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人を大切にするということ

昨日の朝、夫に、私は自分の性格が好きだという話をした。
精神疾患になって、波は大きくなったけれど、基本的な性格は変わっていないと思う。
自分の性格は好きだし、基本的な性格を変えたいとは思っていない。
というようなことを言ったと思う。

昨晩、私のこの話に対して、
夫から「すっごいイライラしてしまった」、「(みるくの)性格が好きと言える自信がない」と伝えられた。
すでに一緒にいられる空気ではなく、私は居間、夫は寝室にいたときに、LINEで伝えられた。
夫は昨日の朝の私の話を、「基本的な性格は昔からこうで好きだし譲歩するつもりもないってことをキッパリ言ってた」と受け止めたらしい。

夫は私に否定的な感情を抱いてしまったことに対して、自己嫌悪に陥っているようだった。
夫は自分のことを大切にできない、自分のことを大切にするのが一番難しいと、以前から言っている。
自分の性格が好きな私とは、自分自身に対する想いがだいぶ違うみたい。
夫は「もうだめだ」が口癖のような人だ。
この日も「もうだめだになった」という言葉が送られてきた。

夫から「(みるくと)共同生活をやっていくのは極めて難しい」、「元々そういう人なんじゃないかということを考えている」と伝えられた。
性格について、「イベントに対する受け取り方じゃなくて」「行動指針みたいなもののことを考えてる」と言われた。

「行動指針」というのがよくわからなかったので、聞いてみた。
夫は「他の人が迷惑に思いそうなことはなるべくしないようにしてる」という。人になるべく迷惑をかけないように動くというのが夫の行動指針のようだ。

「(みるくの)性格というか行動指針が元々と変わらなくてこれから病状によらず少しも変わらないとすると、いつまでも共同体やっていくのは難しい」と言われた。
キツかった。

夫が人に迷惑をかけないことを大事にしているのは、以前から感じていた。
私も人に迷惑をかけないほうがいいとは思っているけれど、夫に比べると、その優先順位は(おそらくはるかに)低いと思う。

*****

これは夫には伝えなかったが、私は、生きている限り人は誰かや何かに迷惑をかけていて、迷惑をかけるのは当たり前だと思っている。大きな迷惑をかけるのはなるべく避けたいが、特に身近な家族や友人であれば、迷惑をかけあって、支え合っていければいいなと思っている。

状況や関係性によっては、迷惑をかけるばっかりになってしまうこともあると思っている。
ただ、私は迷惑をかけるのはいけないことだという考えが薄い。程度によるが、迷惑をかけられることに対して、むしろ頼ってもらえて嬉しいと感じることもある。

私は迷惑をかけることを恐れずに、両親や信頼できる先輩に悩みを相談することが多い。迷惑をかけた分、「ありがとうございます」、「助かりました」、「心が軽くなりました」、「話せて嬉しかったです」という言葉を意識して伝えるようにしている。

人に迷惑をかけないこと、の優先順位が夫と比べて低いのはもちろん、日本の平均と比べても圧倒的に低いのかもしれないと、以前から感じていた。
統計データなどを調べたわけではないので、ただなんとなくそう思う、というレベルの話だけれど。

中学1年のとき、友人が「人に迷惑をかけないように生きろ」と親によく言われると話していた。
私は心底驚いた。そんな風に言われたことは、親からも、祖父母からも、先生からも、一度も思い出せなかった。

「人に迷惑をかけないように生きること」が一番大事だと教えられて育つ人がいること、それを信じて生きている人がいること、もはや異文化と言ってもいいレベルで、ただただびっくりしてしまった。

友人の言葉は印象的だったが、その言葉を意識してみると、「人に迷惑をかけないこと」を重要視している人は、日本において、少なくないらしいことがだんだん分かってきた。
それでも私は、「迷惑は掛け合うもの」、「迷惑をかける一方の相手には、感謝の言葉を忘れないこと」、「誰かに迷惑をかけた分、また別の誰かの役に立ちたい」、そんな風に考えていた。この考えはいまも大きく変わってはいない。

*****

夫とのLINEのやりとりに戻る。

夫に伝えた文章。
他の人の迷惑にならないように行動するのは、私にとっては結構難しくて、苦手分野だと思う。
苦手分野に取組むのはいまはハードルが高すぎると思ってる。迷惑をかけてでも、なんとか生き延びようとしてる。
でもそれが(夫の)負担になってることも、ある程度は分かってる。

こうも伝えた。
私にとって優先順位が高いことはなるべくやってる。
感謝を伝える、好きって言葉で伝える、悪いと思ったら謝る。
行動じゃないね、言葉だね。
私は行動より言葉の優先順位が高いのかな。
(夫の)優先順位とは違うみたいだね。

それに対する夫の返信から抜粋。
「言葉だけあって行動はないとやっぱり疑っちゃう、ごめんね」
「口で言ってるだけでやる意志なんか全く無いんじゃないかと思っちゃう」
「食器全部洗えとか言わないから、箸一膳くらい洗えない?とか思っちゃう」
「僕に自分を大切にしてほしいって言われるけど、僕は大切にされてないという気持ちがよぎる」

私の返信
言葉じゃなくて行動で示してほしいんだね。
夫の返信
「うん、申し訳ないけど」

夫からこれも伝えられた。
「(家事等を私ができないことに対して)でも面倒くさい、押し付けたいって気持ちが元々あるんじゃないかって疑っちゃう」

………正直、家事は面倒くさい。
元々好きじゃないし、自分がやらなくて済むなら、誰かにやってほしい。実家でもほとんどやらなかった。
仕事してなくて、家にいるんだから、私が率先して家事をやったほうがいいとは思っている。
調子が良ければ、皿洗いや洗濯物はできる。私にとって、まだ負担の少ない方の家事。

「面倒くさい、押し付けたいって気持ち」は図星だった。
夫にやってほしいということではない。家事サービスなど第三者や、便利家電とか、そういうものは、積極的に頼りたい。
ただ、私はいまお金を稼いでいない。家事サービスだって、便利家電だって、お金はかかるし、そのお金の元手は夫になる。
肉体的であれ、精神的であれ、金銭的であれ、夫に押し付けていることは変わらないなと思った。

図星だったので返信の言葉が思いつかず、スタンプだけ送った。
そこで夫の返信。
「(みるくに)つらいことばかり言っちゃう」
「僕嫌い」

*****

夫とは大事にしていることが違うのだなと思った。愛情の伝え方も違うみたいだ。

いま夫が99.9%の家事をやってくれている。
すごくありがたいと思っている。
でも、家事をやってくれてるから私は愛されてる、大切にされてる、と感じることはあまりない気がする。
だから、私が家事をやらないことによって、夫は「僕は大切にされてないという気持ちがよぎる」ということに、恥ずかしながら全然気づいていなかった。

「好きだよ」、「大切に思ってるよ」、と言葉で伝えれば、私の気持ちは伝わっていると思っていた。

逆に言えば、家事をいくらやってくれていても、「好きだよ」、「大切だよ」といった言葉がなければ、私は愛されている、大切にされているとは思えない気がする。

私は、行動よりも言葉
夫は、言葉よりも行動

言われてみれば思い当たる節はあるのだが、あんまりよく分かっていなかった。

*****

いまの私にとって、行動のハードルはめちゃくちゃ高い。
一日中寝込んでいる日もあるし、起き上がれたとしても、居間の椅子に座っているのが精一杯ということが多い。

文章を読んだり書いたりするのは、私にとってハードルが低いので、家事はできないが、こうしてnoteを書くことはできる。できてしまう。

私は夫をすごく大切に思っているのに、夫にはそれが伝わっていなかった。
いまこの文章を書いていても、悲しくて泣けてくる。

行動のハードルがめちゃくちゃ高いこの心身で、どうやって夫に私の気持ちを示せばよいのだろう。
正直途方に暮れている。

*****

画像は、吉野弘さんの詩集『二人が睦まじくいるためには』である。
私は吉野弘さんの「祝婚歌」が好きで、この詩集の題名も、祝婚歌の一行からきている。

吉野弘さんは合唱組曲『心の四季』の作詞者である。私は中高生のときに合唱部でこの曲集を歌った。
その当時、吉野弘さんについてネットで調べ、「祝婚歌」を知った気がする。

詩集はほとんど読まないし、本は滅多に買わないのだが、神保町の古本屋で昨年偶然出会い、どうしても欲しくて購入した。
昨年2023年のベスト本。

私はこの詩集がすごく気に入ったように、言葉がすごく好きで、大切なのだと思う。
音楽でも、歌詞の意味を意識することが多い。

対して夫は、ほとんど歌詞を聞いていない(!)
何度も聞いているはずの曲でも、歌詞を覚えていないことが、しょっちゅうある。

夫と私とでは、言葉の重要度が圧倒的に違うようだ。
これからはその違いを意識しておこうと思う。
どう行動に移せばいいのかは、まだ分かっていない。

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