見出し画像

小さな世界の小さな私

ダイソーでベランダ用のイスを買ってきた。
景観の素晴らしさで買った家と言っても過言じゃないだろうにベランダを今まで使ってこなかった。この家に来て半年?もう半年。
私は半年なにかできただろうか。いや何かしらできてはいるし、生きてるだけで万々歳なわけだけど、私にはやりたいことがあってその夢に1歩でも近づいているだろうかと不安になる。
将来が漠然と不安という気持ちは皆無ではないがかなり減った気がしてる。それは単純に昔に比べて楽観的になっただけで、解決策があったわけじゃない。ここ数年の自分の成長速度から計算して未来を明るく保っている。

しかし、日々絵の練習なり音楽制作なりを続けられているわけではない。眠くて、起きて、やる気が出るのを待って、ちょっとやってまた寝る。これは一日スパンじゃなくて1週間とか。ちょっとコスパが悪い。無理は禁物と思うのが半分、もうちょっと頑張るだけで上手くいくのにという期待なのか失望なのかわからない感覚が半分。
この世の人々はどうして生きているのかな。私が憧れる人達だけが特殊に頑張れる人達で、そうでない人たちはそれなりに生きて、それなりに楽しむのかな。私も後者なのかな。どうしてもヒーローになりたくて仕方ない。ダメな部分を全てその良い結果に集約させて素晴らしい人間、人生でありたい。

でもそれは他人ありきの願望かもしれないな。人に称えられる前提の話。私は何がしたいのだろう。いつもの問いだ。
昔本で読んだ怖い話がある。書いたものが実際に消えてしまう黒板に「自分以外全て」と書いちゃう女の子の話。真白いページに女の子だけが取り残される絵が出てくる。何故か覚えてる。でもいざその世界で生きるとしたら、私は何をするのだろう。それでも歌を歌うのかもしれない。いつか誰かに出会った時のためになにか記録を残すのかもしれない。状況、考えたことすべてを残して、結局それが誰の目に触れることもなかったとしても、記録を続けたこと自体が存在価値になるかもしれない。

まあ実際、そんな世界はなくて、他人もいるし、道具もなんだってある。なんならひとりの世界よりよっぽど狭く感じる。短い人生をちょこちょこ紡ぐよりひとりの永遠の方が大きく感じる。その小さな世界の小さな私は大したことない。どんな失敗も恥も大したことない。眠気もだるさも夢にもがく苦痛も大したことない。
こうして考えたことも大したことないから明日には忘れてしまうんだろうな。だから少しでも残しておくんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?