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発達障害疑惑のあるうつ病患者はどのタイミングでうつになるのか


先日、箱根旅行へ行ってきた。
箱根というのは素晴らしい場所で美味しいものと温泉で溢れていて目移りしてしまうほど。ましてや、素敵なホテルで泊まれれば申し分ない。
今回泊まらせて頂いたのはランクの高い素敵なホテル。とてもワクワクしながらホテルへ向かい、ホテルにある客室露天風呂を満喫し、大浴場も貸切風呂も全て満喫。
ここまで温泉を満喫出来る贅沢に幸せを感じながら、素敵なお夕食を頂いた。
このお夕食は香りからして美味しいという表現をせずしてなんと表現しようか、と思うほどに香りがどれもたっていて口に含めばその香りと食感と様々なものが口の中で楽しめるものだった。
もうここまで至れりつくせりでいいのだろうかと幸せな気持ちなまま眠りにつこうとしたら、悪夢は突然やってきた。

そう、鬱というのは楽しかろうとなんだろうと突然やってくる。ストレスなど何もなかった。なのに突然くる。何か言葉でいい表すことの出来ない恐怖と不安と襲いかかる見えない何かに怯えてしまうのだ。
先程まであんなに楽しかったのに、あんなに幸せだったのにと髪をぐしゃぐしゃしてしまう。安定剤を服用したところで心が落ち着くことはない。いつの間にかに眠ってしまったをしてしまわない限り、私は眠りにつける事がない。これに関しては他の人もそうだろうが永遠に嫌な考えが頭をフル回転させる。
このままこのひとを置いてこの部屋から飛び出してしんでしまおう、ひとりになって何もなかったことにしようと思うのだ。他にもさっきお風呂で使ったタオルを首にかけてドアノブのところでしんでしまおうかと体が重だるいながら、しに方について頭をフル回転にしてああしようこうしようとひとりで悶々と考える。
その日は眠ることが出来たが、それで朝を迎えることも多くある。

私が何が言いたいのかといえば、うつ病患者はこのようにどんなに楽しいことがあろうと突然しにたくなりしのうとしてしまう。それを止めることは自分にも人にも出来ることはない。死を止められることは出来てもその後のケアは誰にも出来ない。出来たとしても長続きはしない。
よくいう「大丈夫」という言葉はうつ病患者にはなんの慰めにもならなければ励ましにもならない。右から左へ流れてしまう言葉になるか、圧でしかない。
じゃあどうすればいいの?と言われるがもう放っておいてくたばるのを待つしかない。
これは非道と言われるかもしれないが、私たちにはいや、私にはそれしか救いがない。
本当に死にたくないであろう私は首にタオル(縄、パンツ、シャツetc)をかけてしのうとするタイミングで、あるひとの顔を思い浮かべ涙を流し正気を保つ事がある。その時の恐怖心は言葉にならない。
なぜこんなことをしようと思ってしまったのかと罪悪感に苛まれる。だがそれを何度も繰り返す。どうしようもない馬鹿なのだろう。
そして躁鬱患者の場合(昔は躁状態が酷かった)、躁状態で飛び降りなどの自殺行為をするので他人の顔が思い浮かぶことは少ないだろう。躁状態が一番何しでかすか分からないので周りも怖ければ自分自身も怖いもので、躁状態のときは大体自分が何仕出かしたのか覚えてないことが多い。
少し違うが分かりやすく例えるならば、大人であれば酒を飲み過ぎて記憶飛ばして何をしたのか分からない時に似ているものがある。
正直なところ、そんなふうになってしまっては手の施しようがないと思ってもらって構わない。力はそこまで強くないと思いたいが、無敵状態の場合が多いので大人何人かで取り押さえなければならない。こんな風に文字に起こしていると恐怖を覚える。
全くの対処法がないわけではないのだろうが、いまのところ私が知る限りではないのが現実。
だから、私は一人で生きていくのが私の中での正義だと思ってしまう。事実は塗り替えることが出来ない。
ではどうすべきか、それを考えるが答えが出るはずもない。
私に残された答えはただひとつ死しかない。



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