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街の声が聴こえる

緊急事態宣言が明ける寸前に、浅草寺へ手を合わせに出かけた。どうしても必要だった。心にポッカリ穴が開いている。虚無感に苛まれている時、神社ではなく寺に行く。宗教について特段知識があるわけではないが、弱りきった心には、線香とロウソク、静かに手を合わせる事が、自分には落ち着く。

オカシイな....昼間の仲見世の写真がひとつもない。夜のも無い。どうやら相当ボーッとしていたらしい、撮っていなかったようだ。半数はシャッターを閉めていたように見えた。

この日は水曜。一昨日のこと。

シャッターには、決まったように張り紙がされていた。週末だけ開けると言っている店もあった。キーホルダー等の土産屋、揚げ饅頭の老舗、人形焼の老舗....比較的新しい(と言っても開店から10年は経っている)吉備団子の店、開いていた。

よかった...。無事そうに見えるだけでも...。

しかし、この街があらゆる国籍の人々でごった返すのを目にすることは夢と消えた。
ちょっと、未だに信じられないことだ。
なんでこんなことに。
しかも、いつもの活気を元に戻すことさえ、まだ時間がかかる。正直、肺を患う感染症の猛威を甘く見ていた。
慎重な自分でさえ、まさか、こんなに厄介な事になるとは思いもしなかった。
そんな事が、頭の中をつらつらとよぎる中、超ド観光地とは程遠い、まるで、交通網が発達する以前の姿はこんな感じだったんじゃないかというような、それ程遠くない場所から来たであろう若者達が、レンタル着物を着て仲見世を歩いているのを眺めた。

年齢層も不思議な感じだな。ほぼ、若者。
こんな浅草、初めて見る。

もしかして、今、見ている景色は超ド級の激レアな景色。
健康な地球上ならば見ることのない景色だ。
海外旅行者もいなければ、国内旅行者もほぼいない。
落ち着いて考えてみると、なんて時代錯誤な状況なんだろうか。異空間....どの時代とも違う雰囲気だろう。
いや、疫病自体は度々人々を襲っただろうけれど、局所的なものとは規模が違う。

この1ヶ月、深い悩みのなかで、頭はこの世とあの世を行き来している。この、浅草寺周辺の景色が、ボンヤリと目から脳に入ってくる。

ああ、出かけているんだ、自分。

間違いない。出かけている。
マスク越しで、街の匂いが全くしないのは変わらないが、
少し鼻を出して空気を吸うと、久しぶりの運河の匂いがした。

コロナ事情の上、個人的なうつ状態を抱えきれないほど抱え、観音様に手を合わせてきたが....やはり、元気とはかけ離れている。その場の景色は確実に、なにかを自分に訴えかけてくれていたが....。

ああ、そうだぞ。おれらも元気はない。
だが、潮が満ちては止まって、
また下流へ流れていく。
魚達は相変わらず元気にしているようだがな。
どうした?釣りではないのか?
なんだ、そのシケたツラは。え?
なあに、その揚げ饅頭でも喰って、
ああ、うめえなぁーって思っておけ。
難しいこと考えるんじゃねーよぉ。
そんなに賢くねぇーだろ、おめぇーはよ(笑)


そういう声が景色から聴こえた。
ただ、聴いていた。

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