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夢よ、蘇れ サクラ大戦とわたし

【この文章は、思春期ど真ん中の時期にサクラ大戦シリーズへ狂おしいほど嵌りつつも、最盛期に生まれるのが間に合わなかったタイプのファンが思い出と自分語りによって新サクラ大戦の発売を祝うものです。】

「サクラ大戦ってやつ面白いらしいから、今からソフト探しに行こう」

  私とサクラ大戦の出逢いは、叔父のこの一言だった。

  当時、私は中学生。サクラ大戦シリーズはⅤが発売する前であり、主だったゲームとしては『サクラ大戦〜熱き血潮に〜』が発売されて少し経った頃だった。

  漫画好きの私の叔父はゲームはあまりする人ではなかったのに、その時は自分からゲームを買いに行こうと言い出し非常に珍しいことだった。理由としては、ゲーム好きの親類から面白いよと勧められたとのことだった。

  そこですぐさま向かった宮城県のローカルショップで叔父と共に見つけたのが、『サクラ大戦〜熱き血潮に〜(以下、血潮)』パッケージの刀を抜いた凛々しい和装少女の姿が美しく、このヒロイン昔アニメディアの表紙で見たことあるな、どんなゲームなんだろうと惹きつけられた。

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【松原秀典先生の数あるサクラ大戦版権でこれが一番好き】

  帰宅し、叔父が旧型PS2にディスクをセットして流れ出すオープニング。かの主題歌『檄!帝国華撃団』の力強いイントロと、海岸に立ち着物の袖を白帯で縛り鉢巻きも巻いて刀を抜くパッケージの乙女。

衝撃だった。

  幼い頃からTVゲームが大好きだったとはいえ、一般的な任天堂ゲームや王道大作RPGしか遊んでこなかった私はこのゲームは触れたことない新しい何かだと予感させる素晴らしい曲だった。

  しばらくは叔父がプレイをするのを横で見ていたが、アドベンチャーゲームの形式のものをほぼ初めて見たという真新しさと、大正ならぬ、架空の太正時代という時代設定の愉しさ、次々と登場していくヒロインたちがとにかく華やかで魅力的、(声優さんの名前をちらほら覚え始めていたオタク中学生だった私は、桐島カンナの初登場シーンでエッ声きり丸の人だ!?と驚愕した)戦隊モノのような軽快なテンション、TVアニメのような次回予告付き…と、てんこ盛りのエンターテインメントに夢中になるのはあっという間だった。

  続きが気になって仕方なくなり、スローペースだった叔父のプレイに痺れを切らして自分のセーブデータをつくり1話から自分で始めた。

楽しかった!!!!!!!!!!!!

  とにかく楽しかった。あまりにも楽しかった。アドベンチャーゲームを遊んだことがなかったため当然ギャルゲーも未体験の当時の私は、R-18タグも真顔で見まくりな現在の自分から見て微笑まし〜くなるくらい健全でプラトニックな描写しかないこのシリーズの恋愛要素も非常にドキドキした。もともと女性キャラクターのほうがより好きな自覚はあったが、このシリーズに嵌ってしまったがために今後も美少女コンテンツにばかり固執するようになることを運命付けられてしまったと言っても過言ではないというか、実際そうであると断言できる。

  話題を『血潮』に戻すと、このタイトルは原典である1をPS2にフルリメイクしたものであることを私は後で知ることになったのだが、当時の個人イラストサイトなどを巡ってみたら様々な問題点・賛否両論点(詳しくはここには列挙はしない)から劣化リメイクだと古参ファンに批判されまくっていた一本だった。

  私は『血潮』の追加要素で一番評判が悪かったとされる追加シナリオでマイナスに描かれているヒロインの李紅蘭が『血潮』を遊んで普通にシリーズ1の推しになったのだが、それは古参からすると信じられない異端扱いだったことも後日知った。確かに後でオリジナルの1を遊んでから批判意見を読むと『血潮』が怪しい点は多く感じられ古参の失望を買ったことも頷けるのだが、それでも私はサクラ大戦に出逢わせてくれた『血潮』にはとても感謝しており思い出深い一本となった。

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【紅蘭はとにかく可愛くて頑張り屋で深い】

  あまりにも私が嵌ってしまったので、早々に優しい叔父がゲーム好きの親類からドリームキャストとソフトの2〜4を貸りてきてくれた。

  2で新たに登場するヒロインのひとりソレッタ・織姫が、第一話で我らの主人公大神隊長にする塩対応になんだこいつは!と憤慨した後で彼女の当番回で明かされる真実とデレた彼女にまんまと落ちたり、3は先に遊んでいた叔父がエンディングをまだ出していなかったので選んでみた北大路花火「ぽっ」をすごく気に入ったりした。(余談になるが、DSソフト『ドラマチックダンジョンサクラ大戦〜君あるがため〜』で最終的に帝都・巴里・紐育問わず任意のヒロイン3人を連れてラスダンに行くことができるのだが、私は紅蘭・織姫・花火を連れてクリアした)

当然、すべて寝食を忘れて遊んでしまい親からは大変呆れられていた。

  私は毎日毎日勉強そっちのけでサクラ大戦のことを考え、松原秀典先生のヒロイン立ち絵を模写して過ごし、画集を集め付属しているポスターを部屋の壁一面に貼りまくり遊びにきたクラスメイトをドン引きさせたり、技術の授業でワードでシリーズのあらすじと君よ花よの歌詞をワードで書いたものをつくって提出したり(わかりやすすぎる黒歴史)(あの時の先生どう思ったんだろう…)、クラスメイトに片っ端からサクラ大戦が面白い!という話ばかりするようになり、結果仲良くしていたはずだったグループからはハブられてぼっちになるという憂き目に遭ったりして救いようのないオタク中学生を邁進した。とにかく身近に語り合える人に飢えており歯止めが効かなかった中学生らしい失敗だが、当時は話し相手のいなさが寂しかった。サクラに首どころか頭頂部までどっぷり嵌って引き返せなくなってからようやく、自分がこのコンテンツに嵌るためには生まれたのがあまりに遅すぎたことに気づくのだった。

歌謡ショウとの出逢い

  そしてメディアミックス展開が数多あったサクラ大戦といえば、ゲームの次にまず挙げられる大きな展開があった。

声優陣がキャラクターに全身なり切って演じる独自の舞台コンテンツ、歌謡ショウである。

  今や2.5次元舞台はメディアミックスの一貫としてかなりスタンダードな存在になってきているが、私がサクラに嵌った当時は全くそれは一般的ではなかった。2.5次元舞台の金字塔であるテニミュこと『ミュージカル テニスの王子様』でさえ初演は2003年からだった時勢の中、歌謡ショウの初演はなんと1997年7月から始まっており既にファンには欠かすことのできない普通の声優イベントを超えたショウだったが、存在を知った直後は声優さん本人がキャラクターコスプレをして舞台に立っているということに、なんとも言えない違和感が自分の中にあったことを記憶している。

  それでもまあ、一応観てみるか…と歌謡ショウ初演である『愛ゆえに』が普通にレンタルビデオ店にあったのでレンタルして観てみたのが、結果、ますます私を熱狂させた。

  声優陣たちが自ら演じることによってこの世に降臨して、しかし二次元のヒロインたちとはまた違った存在へ独自進化した姿があった。元よりゲームの時から素晴らしかった音楽が観客の目の前で惜しみなく歌われ、芝居と踊り、時には殺陣まで加わる。基本的に明るくギャグ満載で、しかしシリアスな劇中劇ではとことん締める。唯一無二のエンターテインメントだ。

(追記・Amazon primeの見放題にそんな歌謡ショウの前期作品と円盤化されてるカウントダウンライブや巴里のコンサートまで一斉に追加されたので興味のある方は見放題のうちに見てね!!!ドキュメンタリー風に編集されてる初演の愛ゆえにから順に追って観るのも味わい深いが、個人的にオススメはヒロイン全員に用意された楽曲が素晴らしく、後半の劇中劇ですみれ=富沢美智恵さんとカンナ=田中真弓さんの歌が圧巻の『紅蜥蜴』)

   歌謡ショウは、そもそもサクラ大戦総合プロデューサーである広井王子氏が言い出した無茶振りのメディアミックスだったということは当時のインタビューやムックには頻繁に語られているが、濃い二次元上のヒロインたちから流石にかけ離れていた現実世界の声優たちになんとかキャラクターとして舞台へ上がってもらうことについては「声が同じである」ということへの強いこだわりがあったという。

  これが舞台・ミュージカルのパワーなんだ!と急速に興味が出た私は、ミュージカル自体にも嵌ってしまいこの少し後で仙台公演をしに来た劇団四季のミュージカルを観劇し始めたりするようにもなるが、話題が永遠に逸れるのでこの記事では割愛する。

  なんて素晴らしい世界なのだろうと思った私は、どうしても生で歌謡ショウを観に行きたくなった。

  しかし哀しいかな、当時の私は財力など皆無な仙台市に住む中学生でしかなかった。真宮寺さくらが仙台出身という設定なのは嬉しかったが、それよりも関東圏の都内に電車を乗り継いでいけば行ける場所出身だったのなら、とあれほど自分の住んでいた地を悔しく思ったことはない。

  私は当時のファンサイトのレポートやアニメディア(当時サクラ大戦専用の投稿ページがあった)やドリマガを読んでは、イベントに行ける人が持つ圧倒的な羨ましさにハンカチを噛み締める日々が続いた。

サクラⅤの発売、そして念願の現場へ

  しかし、地方民でも平等に楽しみにできたことがある。『サクラ大戦Ⅴ〜さらば愛しき人よ〜』の発売である。

  既にシリーズに触れた時点で4まで出てしまっていた私にとって、Ⅴが初めて発売に立ち合うことができるナンバリングだった。あれだけ発売を指折り待っていたゲームは、Ⅴが今でも一番かもしれない。コンテンツにはいつ嵌っても嵌ったらなんでも楽しいが、リアルタイムでいま追えるということは特別幸運なことだ。

  Ⅴはシリーズ初のPS2ナンバリング本編にして、舞台は新天地・紐育そして新しい主人公だったため新章・リニューアル色が強い意欲作だった。私はこちらも熱中して遊び、Ⅴに好意的な個人サイトを巡ってはBBSに書き込んだりしていたが、拒否反応の強い古参も残念ながら少なくなかったという。私がサクラに嵌ったきっかけをつくった叔父にも、紐育、魅力的なヒロインがいなくていまいちでは?と言われてしまった。主観だが、男性ファンの獲得に苦戦していたのがⅤだったように感じざるを得なかった。リニューアルしつつ、シリーズ人気を継続する難しさを思わせるのがⅤだったように思う。

  私のⅤと紐育の思い出として、初演の紐育公演『紐育レビュウショウ~歌う♪大紐育♪~』を有り難くも叔父に引率してもらい観に行けたことがある。その頃私は受験が終わり高校生になっていて、これが私の初めてのサクラ大戦イベント体験だった。紐育はいまいちと言っていた叔父も、サジータ=皆川純子さんの生歌の迫力には圧倒されていた。当時存在していたオフィシャルショップ、太正浪漫堂とサクラカフェにも初めて訪れることができた。夢のような日だった。

  さらにこの紐育のショウがあった年の夏に、『歌謡ショウファイナル公演「新・愛ゆえに」』があった。私は幸運にも中日の日に観に行くことができた。

  『新・愛ゆえに』は、歌謡ショウ初演で行った「ベルばら風ロミジュリ」的な劇中劇だけではなく、前半の日常を描く一幕・二幕でファイナル公演だからこそやれたような、シリーズの顔である真宮寺さくらが強力な敵の襲撃により命を一度落とし、仲間たちの愛の力で蘇生したさくらが客席から再登場して復活する、という衝撃の展開がある。この思い切りのよすぎる展開にはまた賛否が分かれたようだが、そんなことは私には関係なかった。客席の通路真ん中に突然スポットライトに照らされて現れ、舞台上の敵(愛を与えられず生まれた名も無きモンスターという設定だった)を見据えて凛と立つさくら=横山智佐さんの鋭いまなざしは、かつて私が初めて宮城県の田舎で目にしたパッケージイラストの輝きそのものだった。

  ああ、私は最盛期は体感できなかったし行けなかったイベントだらけだったけれど…この瞬間の空間になることができて、本当に幸運だと思った。

舞台というものは、実際に現場にいて客席というパーツに自分が成ることによって成立するのだと、私は舞台=総合芸術ということをサクラ大戦に教えてもらえたのだった。 

近年の私とサクラ大戦

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【今年の春に秋葉原で開催されたサクラ大戦博覧会、展示されてるものほぼすべてが分かるものしかなくて感慨深かった】

  その後は、様々な要因からサクラが徐々に展開を縮小していってしまうことになる。田中公平先生がブログやインタビューで明かしている、紐育の3回目のショウでもう本当にコンテンツとして何もかも終わるはずだったというエピソードは実に衝撃的だ。(奏組という女性向けに展開したものもあった、男性キャストによる主題歌は安定の良さで初演舞台の映像配信を試しに観て乙女ゲー的なものは門外漢の私はなかなか良いのではと感じたが、残念ながらあまり長く展開されなかったようだ)

  私はその後他のコンテンツにもあれこれ入れ上げたりしたが、サクラがくれた思い出は骨の髄に刻まれ、大学では卒論に歌謡ショウが最も多く行われた場所である青山劇場の閉館危機や日本国内の劇場の状況や劇場の持つ役割について論じたものにした。

  私は現在関東に住んでおり、2010〜2014の比較的近年行われた紐育のショウなどは現地で欠かさず観劇することができたし、SNSを通じて知り合ったサクラファンとサクラの話ができるようになった。1回目の時は行けずに涙を飲んだ武道館ライブの2回目には現地に行けた。

  イベントに全く行けず、話し相手にも飢えていた中学生の頃と比べたら夢のような生活環境だったはずなのだが、個人としては希望した職には就けず、生産的なこともせずにただ生活費を稼ぐだけの日々を過ごすようなとてもつまらない大人になってしまっていた。中学生の頃のほうがもっと趣味に情熱的に生きていたな、と昔の良かったことばかり懐古するようになっていた。

  毎年なんとかあったサクラのイベント公演もぷつりと途絶えてもう数年が経ち、20周年記念でさえキャストの自主主催の小規模イベントに止まった。そのイベント自体は愛のある素晴らしいものだったが、最盛期を思うとこじんまりとしてしまっていたことは否めなかった。肝心のセガゲームス方面は長年に渡り沈黙し、このまま細々と懐かしむだけのコンテンツになるのか、もうそれも仕方がないのかもしれない…と私は諦めていた。そんな折、去年のセガフェス2018でファンから数多くの復活要望を受けたため『サクラ大戦新作制作決定』の衝撃発表がある。

  以前から新展開の発表はよく出されていたがゲームは何度も企画倒れしていたし、私は正直に言うとそれを全く信じ切れていなかった。時代はもうとりあえず過去にヒットしたIPを使ったソーシャルゲームばかりでもう大作コンシューマゲームを売る世ではないし、ファンもファンで簡単に復活してと言うけど、新章として出たⅤにやっぱり主人公大神さんがいいよ~とか言ってそっぽむいたファンだって多かったくせに…と捻くれてさえいた。

  今年の春、『新サクラ大戦』の正式発表でまさかの久保帯人先生のキャラクターデザインにSNSが盛大にどよめいていてもこれが現実とは信じられなかった。ほとんど入れ替わったメインスタッフで唯一変わらずに音楽を担当される田中公平先生が、直々に壇上で「ファンの皆さん、本当に長い間お待たせしました!」と深く頭を下げられ、ついに発表された新主題歌『檄!帝国華撃団<新章>』を聴くまでは。

  耳に馴染んだお馴染みのイントロにまた新しいブラスアレンジが加わってる!本当に、本当にあのゲキテイだ!?え…Aメロが…まったく違う!??!!?サビは…ゲキテイだ…ゲキテイだッ!!!!!!

  私が中学生で出逢ってから、もう何百回何千回聴いたのか歌ったのか、何度振り付けを見様見真似で練習したのか、もう分からないあの曲が、生まれ変わってでも魂は引き継いだ姿で顕現していた。

  落ちサビの力強い「夢は蘇る 帝国華撃団」を聴いた瞬間、かつて『血潮』のオープニングを初めて観た時のような熱いときめきが、ぐつぐつと自己から湧き出でてきた。どんなに私がサクラ大戦が好きで、どんなに私が一生懸命地方で画集やグッズやCDを集めていたか、どんなに同志が欲しかったか、音楽ですべての記憶が駆け巡った。涙が溢れた。

 本当に、蘇る時が来たんだ。

おかえりなさいサクラ大戦、はじめまして新サクラ大戦。

新しいサクラと共に、私もかつての情熱が蘇りそうな、そんな予感がしている。

  旧シリーズが大好きだった身として、不安が完全に無いわけではない。支配人と司令になったすみれさんの運命がどうなるのかや、問題のCV.横山智佐の謎のキャラクターの正体など、もしかしたら解釈違いです!となってしまう可能性だってある。

(気になる点を強いて言えばキャラデザ久保先生の起用は良いと思うけど、サブキャラにいくらなんでも著名イラストレーターさんたちに節操なく頼みすぎてないかとかは正直思う)

(かつて活躍していた帝国華撃団が今や貧乏で解散の危機!?というノリはめちゃめちゃ今時のコンテンツ意識を感じる、某ラブライブ!と某ガールズ&パンツァーとか、それらはどっちも好きだけど…)

(他ジャンルで早見沙織さんがかなり好きになったのと、体験版の試遊でめんどくさい女子だったのでクラリスが気になります!!!)

  今はとにかく喜んで迎えたい、新サクラ大戦の完成と発売、新しい夢のつづきを。

花見の準備をせよ!



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