日記の書き方(好循環への導き方)

 自分は作家になりたいと思っている。

 しかしすでに致命的だ。もう34歳。
 23歳の時に他にできることが何もないという理由から何か書き始めて(この理由自体がアレだけど、今でも執着している)、ブログも始めたが、書けば書くほど自信を失い、20代後半以降は、数万字に至る文章を書いていない。歳を取れば取るほど文章から離れていき、しかも実生活も幸運なことに充実してきて、ここ数年はいよいよブログもほとんど書かなくなってしまった。しかも、休日前は酒浸り。
 となれば、「作家になりたい」なんてのはただの上っ面。書いていないのだから叶うわけがない。常識的に考えればそうだ。

 それでも自分はオブセッションの人間だから、時折、この怠惰な生活から逃れさせてくれる本を求めて買って読むのだ。この『日記の魔力』という本が、8月21日に読み終えたばかりのその種の一冊。

 読み終えた感想としては、このタイトルは大げさではなく、本当に魔力だというもの。これなら、自分の生活を好転させてくれるかもしれない。

 まず、この本では「日記に「感想」を書く必要はない。自分がその日 、取っ た行動を客観的に記録すればそれだけで充分なのだ」と主張する。より詳しくいえば、時間、場所、関わった人、どんなことをしたか、話したか、などについては「具体的に」書けという。

 この通りに日記を書くと、どういうことが起きるか?いくつか列挙してみる。

1. 自己管理が行き届くようになる。

 この本で最も大切にしているのはここ。著者は予備校の仕事で忙殺され、自分を見失いそうな状況で、日記を書こうと思い、実践してみたところ、使える時間が増えたというのだ。特別不思議なことではないと思う。

 第一に、これは有名なレコーディング・ダイエットの方法と同じ。記録すること、読み返すことは、実際に行動に移す力になる。自分は今日、日記に「明日23日、1730に美容室予約。工藤さん(注:美容師さんの名前)。染髪は今日自宅で済ませてしまおうか」と記録した。普段の自分なら、早く帰宅したくて染髪剤を買うのを忘れて帰宅した可能性が高い。ところが記録したこと、また、日記のことを考えていたから忘れずに染髪剤を買うことができた。何も考えずにさっさと家に帰るのが習慣の人間は、帰宅前にドラッグストアに寄るのすら忘れる。染髪を忘れても大した問題がないだけに余計に。
 おそらくこうして、お酒を飲んでいる時間、二日酔いで無駄にしている時間を記録して読み返したら、その無駄にしている時間にゾッとすると思う。酒との付き合い方すら変えてくれそうだ。
 時間ができれば、作家になるために努力する時間だってできる。

2.セルフイメージが修正される

 自分は元来、かなりネガティヴに物事を捉える。
 たとえば、「今月ももう終わるのに、何もしていないな」とよく思う。ところが、振り返ると、(これはほぼ毎回、)想像以上に楽しいことをしていると気づく。なので、お察しだろうが、事実を記録して読み返せば、人間関係、娯楽、仕事などが実際にはどれだけ充実していたのか、よく理解している自分が一か月後には存在しているだろうと、まだ日記二日目にもかかわらず、容易に想像がつく。
「自分は十分に人と、遊びと、仕事と楽しんでいるのだ」と気づけば、一人で孤独な作業をするにも寂しくなくなるだろう。気力がわく。
 勿論、自分が悪い方向にセルフイメージが修正されることもあるだろうが、それは自分を見直すきっかけになるから、何も問題はない。

3.文章が書けるようになり、考える力と観察力もつく

 自分は、LINEだと友だちに送ることがすらすら浮かぶのに、いざ、ブログや小説の文章となると詰まる。理由はおそらく単純で、LINEでは「伝える人」と「伝えること」がいるからだと思う。上の方法で日記を書けば、当座の問題は解決。「伝える人」=「自分」、「伝えること」=「起きたこと」、この二つに困らなくなるから。
 続けていれば、文章力は自然と向上する。多少なりとも、こう書けばより具体的かもしれない、などと考えていれば。また、日記に何か書こうと意識していれば、周りを見回すから観察力もつく。
 そして自分としても強調したいのが、考える力は、書かなければ絶対につかない。というのも、大学時代の体験。頭の中だけでレポートは絶対に完成しない。紙やパソコンに、アイデアや考察対象について書いている内に、考えは広まっていく。頭の中だけで考えるというのは、むしろ、堂々巡りに陥る最悪の考え方だと思っている(頭の中で考えることの大切さを貶めているわけではない)。

 日記を書くことで、これだけの自己改革を達成できれば、作家になることもできそうな気がする。少なくともその努力はできそうだ。そもそもこのnoteだって、昨日・今日と日記を書いたことによる慣性の力で書き上げたようなものだ。

 2018/08/21の日記の一部が以下の画像。

 慣れていないのか、感想がまだ多いけども、どのくらいのさじ加減が良いのかはこれから分かってくると思う。
 ちなみに、日記は一度にまとめて書く必要はないとのこと。数度に分けたほうがむしろ良いと個人的に感じる。休憩時間、ランチ時間、帰宅後、就寝前、起床後、こまめに書く習慣をつけたほうが、日記も身近になる(自分はすでにそうしている)。
 2018/08/21の日記が1640字、2018/08/22の日記が現在915字(もっと書くから1300字くらいになりそう)。一気に書くにはちょっとした時間が必要になる文字数かなと思う。

 最後に余談。

4.この通りに書かないと、どういうことが起きるか?

 この書き方にたどり着くまで、何度も日記にチャレンジしてきて失敗してきた著者の談が挙げられていて面白い。
 まず、夏休みの絵日記。「感じたままを書きなさい」と教師に言われて、絶望感に襲われる。
 次に『アンネの日記』のように独創的に書こうとチャレンジするも、観察力、筆力に圧倒されて、自分には無理と挫折。
 続いて、自分の思いを中心に書こうとチャレンジ。思うこと中心の日記は、思うことがないと書かなくなってしまうという欠点に気づいて挫折したとのこと。

 書くことがなければ、書けない。書けないということは、書く習慣を身につけることが難しくなる。身につけるには、書くことに困らないことを書けば良い。という非常にシンプルな一つの答え。

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