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【考察】他人に厳しい日本人

とある海外のニュースにこんなことが書かれていた。

「日本人は自分に厳しい分、他人に厳しい」と。

1.「他人に厳しく」

たしかに、最近の社会を見ると、
・外出している他人を注意するコロナの自粛警察。
・イートイン脱税を店員に告げ口する正義マン。
・他人の運転に仕返しをする煽り運転
など、他人に価値観を強要する例が多々見られる。

あげればキリがないが、このような例の多くには、自分の正義観に反する人を絶対に許さないという心情が働いているのだろうと思う。

自分の正義がこうなのだから、他人もそうでなければおかしいと。

他人に関心がない。と言う人を僕自身多く目にするが、考えるに僕を含め日本人の多くは他人に関心しかないのかもしれない。

また、僕自身、世界の正義観が一つであったら楽なのだろうと考えることもあるが、実際には正義というものは文化・時代・地域によって多種多様である。

ここで問題になるのが、文化摩擦という問題。それは価値観の相違とも正義感の相違とも言える。殊に、人間関係の文化摩擦を起こして、疲弊する人は多くいる。人間関係を疲れなくするための理想は文化摩擦による消耗を極力減らすことなのだろう。
そのためには、他人の正義を許す・譲るということが大切なように感じた。

忍耐の強要、過度の抑制など、自分や他人に何かを強いることが一概に悪いことだとは思わないが、間違いをした人に厳しく矛先を向けたり、一側面を捉えて問題視したり、相手の視点を想像しないことは理想ではないように思う。

2.「自分に厳しく」

僕自身、自分に厳しい人をよく見る。

ここで言う「自分に厳しい」とは、自粛を守るとか、自制心ができているとか、そうゆうことではなく、自分を肯定しないことである。

自分を肯定しないと、ネガティブな感情に悩まされる。

だけども、自分を肯定しろと言われてできれば苦労はない。解決策もよく分からないからあまりここでは深掘りはしない。だが、自分に優しい方が楽であるのは言うまでもない。

ちなみにここでいう「自分に優しく」とは「自分に甘く」という意味ではない。そこには注意が必要だろう。

いずれにしても、そのようなニュースの記事を読んで「自分に厳しく、他人にも厳しい」や「自分に厳しく、他人に優しい」よりも「自分に優しく、他人にも優しい」方が魅力的に感じたことを纏めの感想として、擱筆しようと思う。

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