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【体験談と日記】おめでとう後輩、ありがとう先輩(1)

数日前、部活の一つ上の男の先輩からラインがきた。

内容は、後輩の大学卒業を祝ってあげようよ、とのことだった。

僕は、変わってないなと嬉しく思った。

少し過去の話をする。

1、僕が大学三年の時

僕が大学三年の時。
週に3.4もご飯に誘ってくれる部活の先輩がいた。
ピアスとかネックレスをするマフィアのような風貌な一方、中身は優しさに溢れた先輩だった。

大体遊ぶ時は、その四年生の先輩を含めた2人と三年の僕と二年の後輩の男4人が固定メンバーだった。

飲みに行って、銭湯とか温泉に行って、先輩が一人暮らししてる家に行って、映画見て寝て、朝帰る。というのが王道パターンだった。

他にも、ドライブで遠出したりとか、ちょっといい店やアミューズメント的な店とか、言い切れない程いろんな場所に連れて行ってもらった。

たまに、飛ぶまで飲む会があったのもいい思い出だ。お陰様で、酔う演技はとっても上手くさせてもらった。

その先輩のおかげで三年の時期、毎日がパーティーと言えるようなめっちゃ楽しい日々を過ごした。

一方で、その生活で発生する金銭面は、
全部その先輩の奢りだった。

今考えても申し訳なさすぎるのだが、先輩は僕と二年の後輩に絶対お金を出させなかった。

僕が、バッグに無理やりお金を突っ込んだ日も、勝手に会計した日もあったが、こっそり返されることが大半だった。

ある日僕は、なんでこんなに奢ってくれるのか気になって先輩に訊いた。
すると、酔ってる先輩はこんなことを言った。
「自分のお金を後輩に使うのが好きなんだよ」


この言葉は何故か鮮明に覚えている。

けど当時、自分に置き換えた時、その言葉を理解ができなかった。

自分のお金は自分に使った方が合理的。
僕はそうゆう価値観だった。

そんな僕を他所に、先輩は「お前も四年になったら、後輩を可愛がってあげてな」と言いながら、笑顔で毎回、会計を済ませてくれた。

2、僕は四年生になった。

時は過ぎ、僕は四年生になった。

自分で言うのもなんだが、僕自身のほほーんとしてるので、後輩からは絡みやすい先輩だったと思う。部活終わりにいろんな後輩が僕のところに無邪気に話しかけに来てくれた。
そんな後輩たちがかわいくて仕方なかった。

また、先輩の言葉の通り、後輩たちをたくさんご飯や遊びに連れて行った。もちろん、その先輩を見習って一円も出させなかった。

しかし僕は、後輩と過ごす時間は楽しかったのだが、奢る楽しみは感じなかった。

僕の後輩たちは会計の際、奢られて当たり前とばかりに、先に店を出てしまうのだ。

奢られ慣れという、部活に蔓延した病気のように感じた。


後輩の「ごちそうさまです」というお礼の言葉は、もはや「ごっさです」という発音になっていた。「それ何語だよ」と往々にして思った。

奢られて当たり前。そのようなスタンスを後輩から感じて、僕や僕の同期は悲しさと不満を日々感じた。

👆こうゆう後輩が僕的には理想だったのだが。実際には少数派だったのだ。

また、後輩の中には図々しい種族もいた。

先輩が奢ることを前提に、勝手にカラオケで注文しまくってそれをむしゃむしゃと食べ始める後輩もいれば、「タバコ無くなっちゃいました〜」と遠回しにねだってくる後輩など例をあげればキリがない。

さすがに、ラーメン屋で勝手に大盛りラーメンと卵かけご飯とチャーシュー丼を注文して、全部残すという常識外のことをした後輩には怒ったが、それ以外の後輩の要請には僕自身応じてきた。

そして、僕の部活において、一番いらない悪しき伝統なのだが。練習が終わった後、四年生は後輩にジュースを奢らなければならない。
割合的には1人の四年が3人の後輩にジュースを奢る。ジュースは基本110円

つまり練習のある日は、最低でも330円と自分の分の110円、440円が飛ぶ。
練習は週6。これが結構辛かった。
210円のレッドブルを押すような後輩は嫌われていた。けど、存在した。

僕が後輩だった時も、ジュースは奢ってもらってきたが、申し訳なくて我慢する日もあった。
一方、僕の後輩たちは150円のコーラをねだってきたりして、僕の時代とのギャップをとても感じた。

いずれにしても、「ケチな先輩」と思われるのが嫌だったのか、先輩としてのプライドがあったのかが理由だと思う。「高いの買うな!」とは口が裂けても言えなかったし、「図々しいぞ」とも言えなかった。
そうゆう空気感が、部内の雰囲気として存在していたのだ。

奢られる時の礼儀を四年の先輩として教えるべきなのか?とも思った。しかし、敬ってくれと要望しているみたいで情けなくて、そんなこと言えなかった。こうゆうのは二年とか三年の時、自分より上の先輩がいる時に教えとくべきだったと反省させられた。

しかしもう遅いのだ。

高望みだが、後輩自ら気づいて、僕が先輩にしてきたことを後輩たちも僕らにしてほしかった。

結構ストレスが溜まる毎日だった。

僕の同期には、後輩に奢るのをやめよう。
と考えて、ジュース以外の私生活で奢らなくした人もいた。

一方、僕は先輩と過ごした日々や先輩の言葉を思い出すと、奢らない訳にはいかなかった。
同期の中でも僕だけ特に先輩に奢ってもらっている状況だったのだ。

上の世代にやられて嬉しかったことは、下の世代に継承するという伝統。

なんで、あんなに奢られちゃったんだろ。と僕自身考えさせられた。

そんな中、後輩に奢らなくてはいけないという義務感だけを覚えた僕は、四年の後半から、比較的「良い後輩」だけを楽しませることにした。四年生に対して、ある程度の距離をとってマイペースに過ごしている後輩たちだった。

礼儀正しいし、喜びを言葉で表現してくれる後輩といる時間はとても楽しくて、その数人の後輩を僕はとても気に入った。

後輩たちは、僕が連れて行くたびにインスタのストーリーを投稿しているようだった。

しばらくすると、今までよく連れて回っていた後輩たちがいいなぁとばかりに「自分も先輩とご飯行きたいです」と近づいてくるようになった。

僕は、「奢ってほしくて近づいてきてるのか」
「僕自身とご飯にいきたいのか」
わからなくなってきた。

正直、礼儀の無い後輩たちに対して、お金を使うのは嫌だった。
しかし現実では、人懐っこく可愛げのある後輩たちを前に無視することは僕自身できなかった。結局飲み会を開いて、度々連れて行った。

理性的に、金銭面を考えて「連れて行きたくない」と思っていても、実際に近づかれるとしょうがないなぁとなってしまう自分がいたのだ。
後悔は沢山した。

飲み会に後輩を3人連れて行けば、最低でも一万、多すぎて三万が飛び、平凡学生の僕は苦しかった。

結果、俺何してるんだろという感想に行き着く日々もあった。後輩に奢る金で欲しいもの買えるじゃん!と何回思ったことか。。

そんなこんなで、大学四年生の僕は、一年の時代から四年生になるまで貯めてきたお金を後輩に使ってきた。

そうしているうちに時間はみるみる過ぎ、
僕は部活を卒業した。

3、奢らなくていい生活

部活を卒業してから、登校することがなくなったので、地元の友達と飲む日々へと環境が変わった。

すると、一回の飲み会が平均三千円ということが衝撃で、嬉し過ぎた。しかも小学校から知ってる友人は気を使わず裸で話せるため、すごく満たされる時間となった。

こんなに楽しくて三千円!?やば!と感じた。

一方、部活を卒業してからも後輩たちは時々電話をかけて来てくれた。
僕自身嬉しかったし、オンライン飲み会とかもやって、近況報告を聞いたりしたのだが、実際に会いに行ってまたお金を飛ばすのは嫌がる自分がいた。

誘われても、理由をつけて「ごめんねー」と避けた。

僕はお金を自分のためだけに使い始めた。
好きな服を買い、靴を買い、美味しいものを食べ、楽天で家具を買い、自分の欲求を満たす日々が始まったのだ。

そんな日々が数ヶ月続いた。
お金を自分だけに使う日々は、めっちゃ楽しく感じた。とてつもない満足感だ。

けどそれは、本当に不思議なことに少しずつ虚無感に変わっていった。

僕は、無性に寂しくなり始めたのだ。
マジで意味わからん。

徐々に徐々に、過去の生活を思い出す。
後輩に奢っていた過去だ。

すると、いろんなことに気づいてしまった。

後輩に奢らなくなって初めて、
後輩が喜んでいてくれた姿や、「いつもありがとうございます」と感謝された過去が浮かんできたのだ。

そうゆうのを覚えているってことは、無意識に充実感だとか満足感というものを僕自身感じていたのだと思う。
自分の持っているお金や時間を他人に使うということは僕の中で大切だったのだと悟った。

「自分のお金を後輩に使うのが好きなんだよ」
酔った先輩の言葉をふと思い出した。

はじめて、先輩の言っていたことの意味がほんの少しだけ分かった気がした。
同時に、自分は先輩にはなれなかったのだなぁと感じた。


自分の持つものを他人に消費することの充実感や尊さを初めて学んだ瞬間だった。


日記に続く

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