見出し画像

【考察】ジョハリの窓

暇だったので、臨床心理学の講義を聴講してみた。

この日、「ジョハリの窓」という実習が行われていた。

まず、ジョハリの窓について知っている人はいるだろうか。少なくとも、この講義を受けるまで僕は聞いたこともなかった。少しこれを説明する。

1.説明しよう

ジョハリの窓とは対人関係におけるお互いの認識のグラフと言える。目的として「自分の思う自分の姿」と「他人の思う自分の姿」のズレを見つけようとする意図がある。

ジョハリの窓の方法とは以下のようである。

ちなみに、これは割と自画自賛しなければならない方法論なので、やるのは若干恥ずかしい。
僕は講義でこれを一緒に聴講した学部の同期とやった。僕の場合、自分に当てはまるのは、ここで言うと⑥⑧⑨⑪⑫⑬⑭⑲だと思った。

一方、その同期はそれ以外の番号も僕に当てはまると、僕の選んでない番号を指摘してくれた。
それは「自分はそうは思わないが、他人はそう思っている」窓に入る。つまり「盲点の窓」。

また自分が選んだ番号が他人に選ばれなかった場合、「秘密の窓」に入る。つまり「自分は自分のことを〇〇と思っているが、他人はそう思っていない」ことである。ちなみに、ここのギャップを解消するには「自己開示」という方法が適切らしい。自分はこうゆう人間なのだという自己開示がなければ、他人は「自分の思う自分」を理解できないということだろう。

2.やった感想

盲点の窓に入れられた性格(自分はそう思わないが、他人が思っている自分の姿)を見ると、「そんなふうに見られてんのか」と面白く感じた。
そもそも、こんなの忖度するに決まってる診断なので、ちょっとガバガバな方法論だなとは感じたが、大切なのはこの診断自体ではないように僕は思う。

一方、秘密の窓(自分は自分のことを〇〇と思っているが、他人はそう思っていない)に番号が入る原因については、「自分の思い込み」「自己開示が足りない」の二つが考えられる。
飲み会とかで、「俺〇〇だからさぁ…」と悲観的なことをいう人がいるが、そう言う奴は大体そんなことない。「自分の思い込み」に囚われてしまっていることが多々あるように思う。

まぁ、自分が思う自分が本当の自分なのか、あるいは他人が思う自分が本当の自分なのか、というのは検討が必要なように思う。

あと、他人から「お前って〇〇だよな」と言われると、「こいつ俺のことわかってないな」と切り捨てるのは非常に簡単で、僕も簡単には受け入れられない時がある。具体的な体験談を言うと、
最近、友人Aから「TAKAって指摘されたらちゃんと反省するし、真面目だよな」と言われた一方、友人Bから「TAKAって怒られても何も感じないでしょ。よく言えば肝が座ってるよな」と言われた。

自分では割と反省するタイプだと思っていたため、友人Bからの言葉は新鮮でびっくりした。

友人Aと友人Bの言葉は一見対局にあるようだが、よくよく考えるにどっちの言うことも当たっているように感じる。

・部活の試合でボロクソに負けて先輩に怒られた時、めっちゃ反省した過去。(友人Aの視点)
・論文発表会で圧迫気味の質問責めをしてきた教授に対して若干横柄に返答をしてしまった過去。
(友人Bの視点)

盲点の窓に入ること(他人が思う自分像)の原因は自分が作り出していることに気づけただけでも、このワークに価値はあったように感じた。

他人の思う自分についても割と大切にしたほうがいいように僕は感じた。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,034件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?