今年の目標「足るを知る」

最近、藤井風にどハマりしている。

曲調が芸術的ですごい引き込まれるし、なにか無性に掴まれるような歌詞がとても魅力的である。
特にYouTubeにアップされているliveの動画は、目も耳も奪われる。

そんな藤井風の楽曲の一つに「特にない」というものがある。

その冒頭の歌詞は次のようなものだ。

特にない
望みなどない
わたし期待せずに歩く

特にない
願いなどない
わたし身を任せてる

見返り
求めるから
いつも傷ついて終わる

ご褒美
欲しがるから
いつも腹が減ってる

なるほど、望みも願いもないくらい絶望しちゃってんのかな、病んでるのかな、諦めてるのかな、などと冒頭の歌詞からはイメージさせられた。

しかし、終盤、歌詞は思わぬ方向に行った。

特にない
定めなどない
わたし囚われず歩く

特にない
渇きなどない
わたし満たされてる

特にない
渇きなどない
わたし満たされてる

終盤、この願いも望みもない状態が自分にとって「満たされてる」ものなのだと言い出したのだ。

僕は、この歌詞を聴いて、割とハッとさせられた。

というのも、人間とは、自分に無いものを求めてしまう生き物である。自分の持ってない洋服、アクセサリー、能力、権力などなど、「持っていないもの」に目を向けがちである。

お金持ちであっても、
「あ、まだクルーザー持ってない」
「あ、豪華な家持ってない」
「あ、ヘリコプター持ってない」
「あれ、もっと良いクルーザーあるやん」
などと、どんどん持ってない物に目を向けていくのも良い例である。

だが、この「特にない」の歌詞を見ると、本当に見るべきものなのは、自分の持ってないものではなくて、自分が既に持っているものなのだと考えさせられる。

中国の老子の言葉でも「足るを知る」という言葉があるらしい。「自分に足りているものを知りなさい」ということだろう。

殊に最近、ウクライナで戦争が起きて、平和とは当たり前ではないことを僕自身身近に感じた。

ウクライナの人たちも少し前まで家で団欒を過ごし、美味しいものを食べたり、我々日本人と大きく変わらない日常を過ごしていたはずなのに、現在突如としてその当たり前が奪われた。

いま日本も普通に過ごせているが、そのうち、あの時代は当たり前じゃなかったと思わされることになるのかもしれない。

いずれにしても、物質的に人類史上最高に恵まれている今、「足るを知る」ことが精神的に「満たされる」ための鍵になる気がしてならない。

という日記でしたー。

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