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大学には行くべきではないのか

【チャレンジ 9/20】

少し前に大学に行くべきか否かの議論がTwitterで繰り広げられていましたね。

これは、おそらくイケハヤ氏の発言が元になったものです。

イケハヤ氏の発言を、私が見た限りでまとめると以下のようなものでした。

大学には多くの費用がかかり、時には奨学金で借金を作ってまで通う人もいる。しかし、特定の目的がない人が大学に行くことは非効率である。
今の時代は大学に行き、大企業に就職するという今までのルートに従う必要がない時代になった。
「やりたいことがないならとりあえず大学に行くべき」「大企業に行け」という意見は洗脳かつ搾取である。
むしろ、やりたいことがないということ自体がやばい。

私も、多額の借金をつくってまで大学に行くのは正しいことなのか疑問に思います。

しかし、だからと言って大学に行かなくていいということではないと思います。

大学行くにメリットは大きく3つあります。

一つは、社会的ステータスの確保。

大卒という肩書きは多くの場所で大きな効力を持ちます。

特に、日本の企業は新卒をポテンシャルで採用するところがあり、そのためには学歴は必要不可欠であると言えます。
学生のうちに企業が認めるスキルを持つことは厳しいですが、学歴があれば就職がある程度容易になります。

それだけでも大きなアドバンテージであると言えるでしょう。

また、学歴とはその人の学力のみを表すものではありません。
家庭環境なども同時に表し得るものだと思います。

だからこそ、企業は学歴を重視するのです。

二つ目は、モラトリアムを享受できるということです。

大学に行きながら、バイトやサークルに明け暮れたり、ボランティアに参加することはよく批判されますが、私は悪いことだとは思いません。

それらは学生のうちにしか出来ないことです。

それからやりたいことを見つけたって別にいいと思うのです。

私は大学に行きましたが、とても真面目な学生とは言えませんでした。
ですが、大学に行かず、その分の学費を他のことに使えたとして、それを有効に使えたかと聞かれると自信がありません。

大学を出た今でこそ、もっと効率のよい使い方があった、もしくは学問に打ち込めばよかった等と考えることができますが、それは今だから言えることです。

様々なことに想いを巡らせる時間を持ちながら、一つ目であげたステータスを確保できることは日本で大学に通うことの大きな利点です。

とまあ、これらはこれまでの社会で、しかもお金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんにしか与えられないメリットであり、今後は薄れて行く可能性もあると思っています。

三つ目は、学問ができることです。
大学で学問を学ぶ重要性を、私は信じています。
これは、時代が変わっても変わらない価値だと思います。

大学はよく、象牙の塔などと揶揄され、役に立たないことをしていると批判されることもあります。
一時期、文系の学部を減らすだのというニュースが話題になっていましたし、就職に役立つカリキュラムを組むべきなどという意見もありました。

しかし、仕事や生きて行く上で直接役に立たないと思われるようなことも、学ぶ意義はあります。

私が大学で聞いていた講義の中で教授が言った言葉で、「学問は理想を追い求めるもの」というものがありました。細かい部分は覚えていませんが、ニュアンスとしてこのような言葉でした。
これは、開発学の授業で、ゲストスピーカーの方が、「発展した人類は環境などに悪影響をもたらした。そのため、後戻りすることが必要である」との論を披露した際に、学生のほとんどが「そんなことは不可能である」と返した時の言葉です。
教授は学問をする上では、現実的に難しいと思われる理想こそ、扱うべきだと言っていたのだと認識しています。

実生活に役立つかだけが重要なことではないのです。
どうしたらより良い暮らしができるのか、どうすれば多くの人が幸せに暮らせるのか。
そのような難しいテーマを扱うことこそ、学問の重要なひとつの側面ではないでしょうか。


PSYCHO-PASS サイコパス アニメ1期にて、常守朱が回想の中で槙島らと対話するシーンにこういう言葉があります。

槙島「僕は人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい。だが、己の意思を問うこともせず、ただシビュラの神託のままに生きる人間達に果たして価値はあるのだろうか」
常守「ないわけないでしょ……!あなたが価値を決めるって言うの?誰かの家族を……、友達を、あなたの知らなかった幸せを!」

船原「おもしろくって、楽チンで。辛いことなんて何もなかった。ぜーんぶ誰かに任せっぱなしで、何が大切なことかなんて考えもしなかった。ねえ、朱。それでも私は、幸せだったと思う?」
常守「幸せになれたよ……。それを探すことはいつだってできた。生きてさえいれば……、誰だって……!」

この場面で朱は、体制の言いなりで、それを疑わず生きている人たちにも幸せな生活はあったと言っています。それぞれの人にそれぞれの幸せな生活があり、それを他人がとやかく言うことはできない、そんなことをこのシーンから気づかされます。

多くの人は大学に行き、就職をすることで幸せになれるはずです。
何もやりたいことのために突き進んで自分だけの道を行くことだけが幸せのあり方ではありません。
むしろ、「やりたいこと」という言葉に囚われ、自分にとって良い道を見失ってしまうことの方が不幸です。
そして、自分だけの道を行くということは、茨の道であるということでもあります。
ですから、大学を出て就職をすることが悪いことであると思って欲しくないのです。
それは決して恥ずべき選択ではなく、ひとつの正しい選択となるでしょう。

しかし、大学に行くことは家庭に余裕があれば大きなメリットを産むものだと思いますが、今後はそのような家庭が減るかもしれません。
そうなれば、学歴を買えることやモラトリアムを生み出すと言うメリットは薄れていくでしょう。
それでも、学問の重要性が変わることはないはずです。
そうした場合に、政府による支援や働き始めてからでも大学に通うことが当たり前である空気を作っていくことが重要になると思います。

そんなことより、Ed Sheeran のHappier 聞いてると「はあちゅう」としか聞こえない部分があるので聞いてみてください。



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