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「模索の跡」は実らずとも無駄にはならない~苦しかった時期を振り返って~

私は一度、それなりの真剣さで海外移住を検討したことがあります。

社会人三年目の時、歳は近いがかなり神経質で細かく、性格が合わない上司と組むことになってしまい、仕事もなかなか進まず残業も多くなり、気の進まない飲み会に当たる確率も高かったこともあり、ストレスがかなり溜まりました。

とにかくこの状況から抜け出したいと思い、カウンセリングやクリニックに通ったり、発達特性について調べたり、農作業体験に行ったり、就職前提でゲストハウスへ見学に行ったり……土日や休暇を中心に色々と模索しました。

苦しいからこそ表現欲求が増すのか、短編小説を複数書いて賞に応募し、一度織田作之助青春賞で、後一歩通過すれば、大手新聞に名前が乗るところまで進んだこともあります。

そんな模索の中の一つが海外移住の試みで、北欧について色々本やネットで調べたりしました。(フォルケフォイスコーレという言葉はその時知りました)

長い労働時間や人事制度、飲み会等の謎風習は、多くの日本企業に共通すると考え、日本脱出を考えた訳です。

結局国境を越えることも、様々な試みを完全に実現させることも無く、ストレスチェック制度を使って人事部と調整を行い、所属部署にも調整して貰って、チーム編成を変更して貰いました。結果合わなすぎる上司とは離れることになり、自分で仕事の仕方を工夫したりする余裕が生まれ、大きく能力を成長させることができたと思います。

その後何年かして、更に自分が伸び伸びできる環境や職種を求めて転職し、今は試行錯誤もありつつ、やりがいを持って働けています。

日本にいながらにして、つらい時に感じていた大概の課題はクリアできた訳です。

ただし、前職が全て悪かった訳ではありません。それどころか、事務処理能力やスケジュール管理、コミュニケーションスキルや課題解決力等を付けることができましたし、尊敬できる人もいました。凄く給料が高かった訳ではありませんが、福利厚生の充実及び自分のミニマリスト的なライフスタイルにより、貯金しやすかったのも確かです。

また、様々な模索は無駄になりませんでした。カウンセラーに対して、粘り強く自分の考えや葛藤を伝えることは、落ち着いた環境で自分自身の内面を整理するのに役立ちましたし、短編小説が選考でいいところまで進んだことを報告した際は、涙を流して喜んで頂きました。

様々な職業や海外事情について詳しく知ることで、日本の環境を(もともと相対化していましたが)更に相対化できましたし、逆に根拠無く全て海外が優れているとも思わなくなりました。

何より日本にいながらにして、何らかの形で世界に繋がることは可能であると思えたきっかけになったと思います。

もともと社会人になる前から、文章を書くのは好きで小説も書いていましたし、時期によって関心のある地域は変わったものの海外にも興味があり、途切れ途切れながら英語等外国語にも触れていました。

また、1~2年置きにサークルやゼミ等、強くコミットするコミュニティを変え、そのどれにも濃い思い出があるのは、色々試してみる自分の中の基盤になりました。

元々持っていた趣味やスタイルが、社会人の難しい時期にヌッと顔を出し、生き抜いていく力をくれましたし、今の環境に転職したのも、色々なところに行ってみて模索する自分のスタイルの集大成な気もします。

色々と挑戦しようとして辞めたり、一度は挑戦したが途中であきらめてしまっても、無駄にはならないと思います。知識や経験が付くのは確かで、別なことに応用も効きますし、挑戦が仮に中途半端だったとしても、また似たようなことをしたくなった時に、全くのゼロから入るよりはスッと挑戦できたりもします。

またつらい中で休んだりじたばたしたりすることは、余裕が無いだけ、自分の無意識の「型」が出やすく、捨てたいものや大切にしたいものがより鮮明になり、迷いを減らして生きていくことにも繋がるのではないでしょうか。

私はいまだに色々なことに迷う境涯ですが、それでも「こうすれば必ず正解」ということはありえない世界の中で、徐々に自分の中で固まってきているスタイルをふとした時に感じられたりすると、安心と自信が湧き上がったりします。

皆さんの中にもそういう時がきっとあるのではないでしょうか。






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