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制度のはざまに落ちる人

私のように仕事とお金がなくて障害を持っていたりすると、福祉に頼ります。福祉でよく言われる表現として「制度のはざまに落ちる人」というものがあります。本当はもっとずっと複雑ですけど、以下にかなり単純化してこの現象を紹介いたします。「仕事を失った人向けの福祉です」というところは、仕事を失っていない人はまず門前払いを食らいます。「子どもたちのために」「若者のために」という福祉は「60歳の人は助けてもらえないのですか」ということになります。こうして「どこにも当てはまらなかった人」というのは「誰からも助けてもらえない」ことになるのです。これを「制度のはざまに落ちる」と言っております。

以下の記事の人は「発達障害であって、最低賃金の時給850円の工場でのシール貼りの仕事はかえって向いておらず、自分に向いている翻訳や執筆の仕事では食えない」という話を書いておられます。私も似たようなもので、高学歴で仕事ができず、特技はあるものの収入に結びつけるのは極めて困難です。こういう人は「制度」では想定されていないでしょう。

TOEICで900点を取る私は、時給300円で働きながら夢を追う | かがみよかがみ (asahi.com)

これは、暗黙のうちに「困り具合」を数値化することで起きています。「どのくらい困っているのですか?」というのを数にしているのです。中学に入りますと「算数」は「数学」になり、まず負の数(マイナスの数)を習って「数直線」を習います。正の方向と負の方向の2つの方向に限りなく伸びている直線で、数は直線で表せるのです。高校に入って複素数(虚数を含めた数)を習うと「複素平面(複素数平面)」と言って、数が平面状に並んでいるのを習いますが、虚数を出さないならば、われわれが「数」と呼んでいるものは数直線に並んでおり、数値化した瞬間に「線」になっています。「困っている人」はさまざまな困りかたをしているものであり、とうてい「線」で困り具合が表せるわけではありません。だから「制度のはざまに落ちる人」が後を絶たないのです。

実際に困り具合を数値化した言いかたはあります。「障害者手帳何級」とか「要介護いくつ」とか。やむを得ないと思いますが、本当は人の困り具合は数値化できないものです。

このほか、「IQで人の頭の良さを測り」、「偏差値で学校を測る」ということが日常的に行われています。「年収」もわかりやすい基準ですね。でも「数にした瞬間にそれは数直線に乗るのであり、『線』になっている」ということはもっと認識されてよいと思います。あるとき、将棋の心得のある人の前で「ひふみん」という言いかたをして「加藤一二三先生ですね」と言い直されたことがあります。将棋をやっているかたからすると加藤一二三先生の強さは如実にわかるのでしょう。将棋も「何段」という強さを数値化した言いかたがありますが、将棋の世界というものは、とにかく将棋が強くさえあれば、どれほど「変わった人」であっても評価される世界であることが想像されます。

とにかく「数」にした瞬間にそれは数直線に並んでおり、順番がつきます。「困っている度合い」というものは本当は数値化できません。中学のときに習った「数直線」というものは、そういう恐ろしいものであったのだ!

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