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お祈りは神さまに甘えること

「求めなさい。そうすれば与えられる」とはいうものの、世の中は、求めても与えられない、自分の思い通りに行かないことの連続です。そのことは、私自身が、身をもってあかしできます。
もし、私が、なろうとしてなれるものになれるなら、数学者になっていたでしょう。すなわち、数学の研究をきわめていたでしょう。それがいまは中高の教員ですから(しかもかなりデキナイ)、なろうとしたものになれていないです(注:2020年現在は、教員もやめさせられて、あるところの事務員です。しかも現在も休職中です)。


私は、病気にさえなっていなければ、学者として、いい線を行っていたと思いますよ。少なくとも同じ大学を出た仲間とひけをとらないくらい・・・。まあ、フィールズ賞(数学のノーベル賞くらいの賞)とまではいかないまでも、日本数学会なんとか賞くらいは、ね。もらってたんじゃないかと。「世の誉れ」ですけどね。あのころは斬新なアイデアが出まくっていましたからね(←ついに、書いちゃった~。恥ずかしぃ~)。
しかし、研究者になりたかったけれど、なれなくて中高の教員になっているひとは、たくさんいます。


私は、いままで私が学んできた数学を100とすると、中高の数学は1にも満たないので、中高の数学の教員は、それなりにやれると思っていたのですよ。年下には慕われるタイプだと思っていたし。しかし、現実は違った。こんなに、教えることが向いてないとは、思わなかった~。
こんなに、いばらとおどろの人生を歩むとは思いませんでした。しかも定年まで、あと20年以上ある、、、。気が遠くなります。


8月末、現高2の某くんに、「先生って、なろうと思えば、なんの職業にでもなれたんですね!」と言われました。確かに、高校生からみれば、そうでしょうね。エンジニアにも、医者にも、薬剤師にもなれたといえばなれた。しかし、9月の連休明け、出勤したものの授業ができなかった日、妻は校長室に呼ばれて、校長から、「腹ぺこ先生は、この学校でなければ、どこも勤まりません」とはっきり言われたそうです。たしかに自分でもそう思います。たとえば私にスーパーのレジが勤まるか?手際よく商品を整理し、おつりも間違わず、笑顔で・・・。どう考えても無理でしょう。力仕事全般がダメなので、漁業も農業も無理でしょう。接客業も全般に向いてないと思われます。営業もできないでしょう。かといって、中高の教員も、生徒にはなめられ、授業は分かりにくく、授業は崩壊し、秋のクラス集会あたりでは、保護者からの不満が噴出・・・。これを9年半、繰り返しております。そして今年は中学に配属されてしばらく生き生きとやっていたのもつかの間、3ヶ月の休養・・・。もうほんとうに消えてなくなりたい人生です。
(ひたすらいい大学へ、いい大学へ、と駆り立てられてる中高生諸君への私からの最大のメッセージがあるとしたら、学歴がいいといい人生が送れるとは限らないよ、私がその見本だよ、ということに尽きますね。)


しかし、それでもなお、「求めなさい。そうすれば与えられる」というみ言葉を信じるのがキリスト者です。どんな状況に置かれても、なお希望を捨てない、神様に祈り続ける、そうありたいと思って、祈っています。


じつは、私は、10月いっぱいを区切りに(S市の家族の負担が大きいという理由で)、またも実家に帰り、70代の老夫婦である両親に、なにもかもやってもらいながら、ひたすら部屋にこもって、寝てばかりいます。こんな状況で、40歳を迎えるとは思いませんでした。情けないです。神様はなんでこんなことをなさるのか・・・。(私の頑張り不足?とんでもない!)


土居健郎(どい・たけお)の『「甘え」の構造』という名著があります。多くの日本人は、書名くらいはご存じかと思います。土居は実はカトリックの信徒なのですが、土居がその晩年に書いた『信仰と「甘え」』という本があります。久しぶりに読んだのですが、土居は決して「甘え」という言葉を、悪い意味で使いません。そしてこの『信仰と「甘え」』という本で著者がいちばん言いたいことは、おそらく本のいちばん最後に書いてある言葉、「お祈りは神さまにあまえること」だと確信します。いろいろ書いてあるけど、これが土居の本音です。(註:土居は、この言葉を、マリ=アニェス・ゴドラ『からだで祈ろう』からの引用として書いています。つまり私は孫引き)


「甘え」という概念を、前からも後ろからも何十年も見てきた著者は、キリスト者が祈るのはすなわち、神への「甘え」である、と見抜いています。そして、繰り返しますが土居は「甘え」という言葉を、悪い意味で使いません。「絶えず祈りなさい」というくらいですから、「絶えず神様に甘えましょう!」なのです!


絶えず祈りましょう。神様に甘えましょう。万事が益となることを信じて・・・。


(この原稿は、2015年に、4か月の休職をして、実家で療養しているころ書いた、私信です。去年秋刊行の拙著にも載せています。)

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