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なんで「助けて」って言えないのか

 その理由は単純であります。「助けて」って言ったら、「甘えるな」って怒られるからです。

 あるいは、「いかにも『甘えるな』って怒られそうだから」でしょうかね。

 しかし、なんでそんなに「甘える」ことは、いけないことになっちゃったのでしょうねえ。

 私がこうして、一連の(その多くは土居健郎の受け売りですが)「甘え」関連の投稿をしていても、場違いな反論をしてくる人って、ほとんど、「甘え」という言葉を、悪い意味でとってしまった人です。それほどまでに、「甘え」という言葉は、悪い意味になってしまっています。土居健郎によれば、小さい子を「この子はもう甘える」という言い方をするように、「甘え」を肯定的に(この場合、子どもの成長の過程として)表現する用法があったのですが、この言い方も、最近はほとんど聞きません。(ほんとうに生まれたばかりの子どもは、甘えることすらしませんからね。)

 前にも書きましたが(「あつかましい人、バルティマイ」。リンクのはりかたがわからずすみません)、あつかましいくらい甘えている人が、救われる話が、聖書にはたっくさん出てきます。「求めなさい。そうすれば与えられる」と言いますが、以下は、なにかで読んだ、イスラエルで先生をしている人の話です。学生のみなさん、テストでなにが出るか、しつこいくらい、聞いてくるんですって。文化の違いなのかもしれませんが、ちょっと、今の日本は、甘えが足りなすぎ!って思っちゃいます。だから「助けて」って言えないんでしょう。そして、祈ることは、神様に甘えることだから、甘えがないと祈れないのでしょう。神様にゆるしてもらわなかったら、そして人からゆるしてもらわなかったら、生きていけないのに。それで、おしなべて宗教が下降線なのでしょう。(その話も、前に書きましたね。)

 「正しい人はひとりもいない」んですよ。みんな、ひとに迷惑をかけてる。そりゃ迷惑をかけないほうがいいでしょうけど、まったく迷惑をかけない人間関係なんて、ありえないです。「あの人、迷惑だけど、自分では気づいてないんだよなー」ってひと、いますでしょ?っていうことは、自分もやっているんですよね。迷惑。

  「足を引っ張るよりは、足を引っ張られるほうがいい」と言っていた小学生を知っていますよ。まだしも迷惑をかけられるほうがよい。自分は迷惑をかけたくない。

 これじゃ「助けて」って言えないじゃないですか。そりゃ、「助けてください」と言ったら、厳しいことを言われることもありましょうけど、助けてくれる人もいるのですよ。もっと「助けて」って言いましょうね。私も、現状を打破するにあたって、福祉の人をはじめ、いろんな人に「助けて」って言ってますよ。なかには「ありがとうございます」って言ってくれる支援者もいますよ。「ごめんなさい、こんなことで『助けて』なんて言って」なんて言わなくていいんですよ。イエスさまの周りには、あつかましく「助けて」と言う人たちがいました。

 甘えましょう。勇気を奮って「助けて」と言いましょう。「まず自助」って言われる世の中ですけど、助けてくれる人は、いるのです。

 あと、ぐちも言いましょうね。

 なんか、いつもと同じような話になってしまって、すみませんね。本日はこのへんまでです。お読みくださり、ありがとうございました。

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