見えない障害
半年くらい前のことです。コロナの流行る前でした。
私は電車に乗っていました。優先席の近くで、私は立っていました。優先席は3人がけ。両端には人が座っていました。ひとりはおじいさん。もうひとりは、若者でした。
そこへ、おばあさんの2人連れが乗ってきました。おばあさんたちは、座りたかったようですが、優先席は、真ん中のひと席しか空いていません。しかし、若者は席をゆずろうとしません。ついに、おじいさんが席をゆずり、おばあさんの2人連れは、ようやく座ることができました。
この一連の流れを見て、私はなんと思ったか。
その若者は、内部疾患だったかもしれない!
たしかに、優先席のところには書いてあります。内部疾患のお客様もご利用くださいと。
でも、この場面を見た、10人中、9人は、ひどい若者だ、と思ったのじゃないかな?と思わせるワンシーンでした。じっさい、横着者の若者だった可能性も大きいですし。
私は、発達障害です。いま44歳ですが、4年前、40歳のときに発達障害の診断がくだりました。発達障害は、生まれたときから持っている「脳のかたより」です。一方で、発達障害ゆえに幼少の頃からたくさん叱責を受けたことに起因する二次障害(二次災害みたいなものです)たる精神障害を25歳のときからわずらっています。
その、ちょうど二次障害たる精神障害の進行するさなか、じん帯を損傷しました。両手に松葉杖、ギプスをはめての大学院通学。町中のあらゆる人が、やさしかったです。電車に乗れば、必ず席をゆずっていただけます。老若男女問わず、外国人でも誰でも、電車では席をゆずってもらえました。私は、気持ち悪くて気持ち悪くて、しかたありませんでした。この気持ち悪さが言葉になったのは、この出来事の20年後近い、最近です。
つまり、私にとっては、じん帯を損傷して両手に松葉杖になることよりずっと、精神障害のほうが、つらかったのです。なのに、世間の人は、精神障害のほうにはまったく配慮がない(当たり前ですけど)のに、「両手に松葉杖」のほうには、ものすごく配慮があったのです。それが、気持ち悪い原因でした。
このように、目に見える障害(ケガ)と、目に見えない障害では、周囲からの配慮のされかたが、まったく違います。あげくに、目に見える障害の人に「配慮」することは、「紳士的」行為とみなされ、逆に、この文章の冒頭に挙げた、(内部疾患だったかもしれない)席をゆずらなかった若者のような人は、かえって「ふとどきもの」になってしまいます。
私も、発達障害で、ほんとうに困っています。職場では、健常者(多数派の、普通のことが普通にできる人たち)なみに「できる」ことが要求され、毎日のように叱責(そうです、毎日、発達障害ゆえに、叱責されていた幼少のころに戻ってしまったのです)、心の調子を崩して、いまも長期休職中です。いまの職場で続けられるか、かなりあやしい状態にあります。
それほどまでに障害で苦しんでいるのに、周囲には配慮がないです。私に、たとえばデスクワークをしながら受付にも気を配るということを要求したりデスクの整理整頓を要求したりするのは、車いすの人に階段で2階に上がることを要求することなみに「無理」を要求しているのですが、当然、わかってもらえません。
私は、25歳からの二次障害たる精神障害で、かなりの睡眠障害があります。毎晩、大量のくすりを飲まなければ、眠れません。飲んでも眠れないことも多々あります。そして、朝は、ものすごく眠いです。コーヒーも飲めないため、試行錯誤のすえ、毎朝、大量の緑茶を飲んで、無理矢理、出勤します。ですから私は、仕事中、「起きている」だけで、多大な努力を払っているのですが、だれも、私が、「起きている」ことで(「腹ぺこくん、起きているだなんて、すごいね!」)評価してくれる人はいません。
また、私は、ひんぱんに、躁と鬱を繰り返すため、たとえば3か月間、無欠勤だったら、それはもう表彰されるべき努力の賜物ですが、これも、誰からも評価されません。多くの人にとっては、3か月の無欠勤は、ごく普通のことだからです。
なんだか、ぐちみたいな文章になってしまいましたが、目に見えない障害は、なかなかつらい、という文章でした。
終わりに。われわれ障害者は、安易に「できません」と言ってはいけないのです。上司に「できない」と言うと、開き直っているように受け取られて、その上司はカチンとくるからです。どれだけ「できない」ということがわかっていても、われわれ障害者は、「できるように努力します」と言わざるを得ないのです。
障害、つらいなあ!
本日は以上です。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。