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ゴールデンのバラエティ番組に出た

 今は昔、1995年に、あるゴールデンのバラエティ番組に出たことがあります。寮の先輩で、テレビ局とつながりのある人がいて、それで応募したのです。その番組は、当時、たいへん人気のあったコメディアン出身の司会者が司会しており(いまはまったく名前を聞かない。どこで何をする人ぞ)、いろいろなジャンルの50人のひとを並べて、いろいろ突っ込む番組でした。当時、私は、オーケストラで忙しく、「単発のアルバイト」のつもりで、気軽に入れた用事でした。

 「彼女いない歴、半年以上の、東京六大学生」という枠で出ました。(いまだったら、「彼女いない歴、半年以上の、東大生」という枠にしそうですね。いまどきの東大生は、やたらテレビに出ているから。)あらかじめ、「夏らしい格好で来てください」という注文がありました。オンエアは夏だからです(収録は春ごろでした)。で、そのときに着て行ったTシャツが、つい最近まで、部屋着として現役だったのです!よほどもつシャツでした。定時にテレビ局に行きました。まず、スタジオには、当時、人気のあったタレントさん、女優さんなどがたくさん出ていたと思うのですが、あまりテレビを見ない私には、よくわからない人が多かったです。おぼえているのは(私でも理解できたのは)、そのまんま東と、渡辺満里奈くらいですかね。まず、「つぎの番組はこれですよ」という番組の予告を、出演者数人で収録しているのが印象的でした。さまざま見るものもいちいち珍しく、いろいろな刺激がありました。荷物は足元に置いていました。足元は映らないからです。けっこうテレビ局っていい加減なのね、って思いました。
 
 さて、私は、胸に大きく、ふだをつけていました。大学名と、本名のフルネーム、年齢(19歳でした)。しかし、私は、おそらく50人中、49番目で、うしろの、上の方に座っており、司会者やタレントさんは、下のほうにいるので、「映ってないな」という実感はありました。なんの発言もしませんでしたし。私はオンエアは見ていません。その日は、オーケストラの本番の日で、そのオンエアの時間に、まさに演奏してましたし、さらにその演奏は、ツアーの最中であって、東京(の寮)にいたわけでもなく。(最近、そのツアーのプログラムが出て来て、そのオンエアの日が正確にわかるようになったのですが、まあ書かなくていいでしょう。1995年の7月の下旬です。)さらに録画もしなかったので、ほんとうに見ていないのですが、だれからも、「出ていたね」ということを言われませんでした。顔まるだし、名前まるだし、大学名も年齢もまるだしだったのに。ゴールデンのバラエティで、視聴率も高い番組だったのに。しかし、構いません。単発のバイトのつもりで行っているのですから。それにしても、1時間の番組を収録するのに、こんなに時間をかけるのね!っていうくらい拘束時間が長く、しかも、謝礼はたった五千円、しかも現金は4500円で、残り500円は「テレホンカード」でした(そのテレビ局のオリジナルのテレホンカード)。これはバイトとしては割りに合わない、と思った私は、もう二度と「テレビ出演」はしませんでした。しかし!
(当時は携帯電話というものがありませんでした。固定電話の時代です)私の寮の電話に、ひんぱんに留守電が入るようになりました。「つぎのようなテレビ番組に出ませんか?」という、番組制作会社からの留守電でした。つまり私は「テレビに出たがるバカ学生」のリストに載ってしまったのでした!私はもちろん出ませんでしたが、なかには出たやつもおり、たけしの番組で尻を出したとか、いろいろな話をもれ聞きました。この「出ませんか留守電」は、毎日のようにひんぱんに入っており、しかも、1年くらい続きました。1年を過ぎて、ようやくリストから外れたようで、かかってこなくなりました。

 オンエアは見てないと言いましたが、寮のラウンジで録画を見ているところをちらっと見たことがあります。目立って、大いに発言していたやつもいたのです。そういうやつは、もちろん目立って映っていました。こんな体験がありますという話でした。おそまつさま。

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