発達障害?ふーん。毒親?ふーん。

 私の記事をよくお読みの方は、私の親はかなりひどい、いわゆる「毒親」だということはお気づきだと思います。しかし、私は、かつて今まで、積極的に「毒親」という言葉を使ったことはありません。なぜだと思いますか?

 それは、どうも「毒親」という言葉は、流行り言葉のように、気軽に使われている言葉のような気がしまして、自分の両親にあてはめて使いたくないのです。うちの親の「毒親」ぶりは、ちまたで言われているような、「軽い」意味の「毒親」じゃないぞ。そんな、「毒親」という言葉で表すことができるようなイメージの親どころではないぞ!というふうに感じておりますので、安直に「毒親」という言葉を使いたくないわけです。たしかに、流行り言葉で言えば「毒親」なんですけど、もっとずっと「重い」毒親です。あの両親を「毒親」という言葉で表すと、「毒親?ふーん」と言われかねないと思っておりますので…。

 よく考えてみますと、「発達障害」という言葉も似たようなイメージの言葉かもしれません。ちまたであまりにも「発達障害」という言葉が飽和状態のようにあふれかえっておりますので、「発達障害です」とカミングアウトしても「発達障害?ふーん」という感じはあります。こちらが、どれほど発達障害で苦しんでいるかは「発達障害」という四文字熟語ではとても伝わらないものがあります。これは、流行り言葉の宿命かも知れませんね。

 ねこもしゃくしも「うつ病」で、ねこもしゃくしも「発達障害」で、ねこもしゃくしも「毒親」なのです。「発達障害?ふーん。毒親?ふーん」という感じになってしまうのです。恐ろしい話です。ですから、私は、自分から「毒親」という言葉を使ったことはありません。世間での使われ方はかなり軽いと見ていますので、「うちの親は『毒親』という言葉で表されるほど、軽くはないぞ」と思っている私は、「毒親」という言葉は使う気にならないのです。

 しかし、「発達障害」という言葉は、れっきとした術語ですから、使わざるを得ませんね…。

「発達障害?ふーん。毒親?ふーん」という感じをまぬかれないですね。難しい。




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