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ベルリン・フィルのソリストの思い出

これは、私がときどき書く、クラシック音楽オタクネタです。それでもよろしいというかたはどうぞお読みください。

ワセオケ(早稲田大学交響楽団)は、最もひんぱんに聴いたオケだと思います。つぎが東大オケでしょう。ワセオケには、なぜか絶えず寮の後輩が在籍しており、彼らの演奏を聴きに、ひんぱんに行ったのです。新宿文化センターでワセオケを聴き、歩いて帰る、などということはしょっちゅうでした。以下の演奏会は、そんなワセオケで、立て続けにベルリンフィルのソリストを4人も聴いたお話です。

2つの演奏会があります。ひとつが、1997年2月21日、東京芸術劇場における演奏会で、プログラムは、ウェーバーの「魔弾の射手」序曲、ブラームスの交響曲第3番、モーツァルトのホルン協奏曲第3番、ワーグナーの「神々のたそがれ」抜粋(夜明け ジークフリートのラインへの旅 ジークフリートの葬送行進曲 終曲)という、いかにもホルンの大変なプログラムです。指揮は岩村力さんでした。このときのホルンのソリストが、ベルリンフィルの、ゲルト・ザイフェルトだったのです。アマオケを聴いていると、ときどきびっくりするようなソリストが格安で聴けることがありますが、このときもまたそうです。

私が、ワセオケのメンバーから聞いた話では、ザイフェルトは、もともとホルン・セクションの強化のためのトレーナーとして呼んだということです。さすが私学と言いますか、これはなんだか陸上部が短距離のコーチとしてウサイン・ボルトを呼んでいるという感じであり、びっくりするような話なのですが、せっかくザイフェルト先生に来ていただいていることだし、協奏曲のソロもお願いすることで成立した話だと聞いています。客席は大入りとなり、一緒に聴いたあるホルンの先輩の「ザイフェルト効果」という言葉をよく覚えています。ザイフェルトの演奏もよく覚えています。あとからワセオケのメンバーに聞くところによると、ザイフェルトは、練習中はひんぱんに音を外したそうですが、本番は1回も外さず、さすがだと思ったということでした。難しい曲が4つも並ぶプログラムののなか、「神々のたそがれ」は、極めて有名なホルンのソロがある曲でもあり、終演後は、ザイフェルトも再登場して、演奏した学生に拍手を送っていました。これがザイフェルトの思い出です。

つぎに、同じ年の3月4日、サントリーホールで、またベルリンフィルのメンバーをソリストとして迎えている演奏会を聴きました。プログラムは、ブラームスの二重協奏曲、バルトークのヴィオラ協奏曲、シュトラウスの「英雄の生涯」でした。指揮は曽我大介さんでした。ヴァイオリンはライナー・クスマウル、チェロはゲオルク・ファウスト、ヴィオラはヴォルフラム・クリストでした。ブラームスの二重協奏曲は、東大オケで聴いたこともあります。加藤知子さん、堀了介さん、早川正昭先生指揮でした。了介先生は、弦楽器のトレーナーであった先生です。(そういえば、同じく東大オケの弦楽器のトレーナーであった桑田歩先生の訃報を最近、聞きましたね。若くしてお亡くなりになったと思います。)さて、ワセオケは世界的なソリストを迎えてこの曲をやりました。バルトークのヴィオラ協奏曲のソロのクリスト氏は皆さんテレビ等で覚えておられるでしょうか。ベルリンフィルのヴィオラの真ん前で弾いていた、あたまぴかぴかの先生です。私はバルトークのヴィオラ協奏曲をアマチュアが演奏するのを聴いたのはこのときだけです(というか、この曲を生で聴いた機会がこれだけですが)。すごい演奏が続き、おなかがいっぱいになりそうになったところへ、休憩後に「英雄の生涯」が来ました。ヴァイオリンソロは、学生さんです。非常にうまかったです。この曲もまたホルンが大変ですが、健闘しておられました。大変な曲をやったものです。アンコールは、シュトラウスの薔薇の騎士のワルツでした(覚えてはおらず、指揮の曽我先生に、最近、聞きました)。この日は、光景として覚えているのが、オケ下手の後方から見たというものなので、サントリーホールのそのような席で聴いたことになります。とにかく大変でした。

ワセオケに関する記事は初めてだったかもしれませんが、私が最もひんぱんに聴いたオケです。先述の東大オケの演奏会の話はまだ書いておりませんね。いずれ書こうかと思います。私学はお金があるとしか言いようがない感じですね。ワセオケもうまかったですが、東大オケはもっとうまかった気がしています。身内びいきではなく、そう感じます。東大オケでは決して選ばなそうな難曲ばかりですから。これからも、ときどきワセオケの記憶に残っている演奏会は記事にしようかと思います。本日は以上です!

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