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言葉の定義

 私の学生時代の専門は、数学でした。数学では、新しい言葉や概念が導入されるさい、必ず「定義」がありました。「この言葉は、こういう意味ですよ」という約束が、必ずあったのです。(空気の読めない人には、非常に向いている学問ですね。)

 しかし、世の中のほとんどのことの場合、言葉の定義は、確認せずに進みます。あえて言いますと、辞書が、言葉の定義集ですが、しかし言葉は生き物ですし、すべての言葉は必ず定義されていた数学の世界に比べたら、ほとんどの場合は、定義されていない言葉を使っています。

 最近、読んだ、ある本で、どうやら「不安」と「恐怖」というふたつの言葉が、私と定義が逆なのか、少なくともかなり私とは定義が違うらしいということがわかったことがありました。これは、かなり参るのですが、しようがありません。

 私がこういうことを書くと、「これだから数学を専門としてきたやつは、頭が固くて、すぐ定義だ定義だと言って、困る!」と嘆かれることも多いのですが、そうではないと思います。私は数学の世界を知っているので、「すべての言葉は定義されていた」という世界を知っているからこそ、世の中では多くの場合、言葉は定義されておらず、その状態で議論するので、それがしばしば誤解や混乱や対立の原因になっていることが、はっきり、わかるのです。

 だからといって、この記事で、なにか建設的なことが言えるかと言いますと、もうとくに何も出ませんので、書くだけ書いて申し訳ありませんが、少なくとも、自分と他者で、言葉の定義がそもそも違うことは、意識したほうがいいことが多いと思います。

(蛇足です。クリスチャンのみなさんへ。「神様」という言葉の定義も、おそらくみんな違いますよ!たとえばそういうことです。)

 本日は、このへんまでです。お読みくださりありがとうございました。


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