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わたし健常者。あなた障害者

 数日前の夜、YouTubeを見ていましたら、メンタリストDaiGo氏が(1回目の)謝罪を始めました。私が見たとき、その動画は、「再生回数7回」くらいでしたので、私はかなり早い段階でその謝罪を見たことになります。謝罪の中で「奥田知志」とか「抱樸」とかいう言葉も出てきて、驚きと同時に、やはり出た、という思いにもなりました。

 私にはDaiGoさんは本気で反省しているように見えました。もちろん、「じゃあ、がんばっていないホームレスはダメか」という批判が出るのは当然ですが、それこそ文字通り、人の考えは一朝一夕には変わりませんので、むしろ、一晩とか二晩とかで、あれだけ考えた彼は、私は評価したいと思います。(偉そうでごめんなさいね。)あれ以上は「求めすぎ」だろうと思います。

 じつは、みんな、優生思想的な発想を持っています。その奥田さんにしても持っていますし、抱樸のみなさんも持っています。直接、お会いしたときに、それは感じました。私も持っています。抱樸のあちこちに「あんたもわしもおんなじいのち」と書いてありますが、それは、強調したいというより、みんな普段から忘れていることなので、なるべく思い出せるように、あちこちに書いているということだと思います。

 私の父も、DaiGoさんの新聞記事を、顔をしかめながら読んでいるわりに、「奥田さんは社会的貢献が高い。あんた(私)とは比べられない」と言っています。私が「おんなじいのち」と言っても「それは当たり前だよ。でもあんたと奥田さんは比較にならない」と言っています。それくらい、この発想は、無自覚にして、人が自然に持っているものです。その奥田先生自身、半年くらい前の礼拝説教で「私たちの心には、ちっちゃい植松くん(相模原事件の犯人)が住んでる」という話をしていました。それくらい自然にみなさん持っている感情です。繰り返しますが私も持っています。障害者福祉の人でも、無自覚で「わたし健常者。あなた障害者」という目線で出る人は少なからずいます。こちらは見下げられていますので敏感に察知します。

 とにかく、誰しもこの気持ちがあるという前提で話をせねばなりません。少なくともDaiGoさんをたたいて、私はあいつとは違う、と言ってすませるのはナシにしましょう。あんたもわしもおんなじいのち。


※翌日の付記。まさかと思いましたが、この記事を書いたあと、その日、奥田先生にお会いしました。奥田先生、もしもこれをお読みになっておられましたら、ごめんなさいね。

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