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巧言令色(こうげんれいしょく)という言葉を聞かなくなった

(以下の話は、1週間以上、寝かせましたが、うまく文章化できない内容なので、おもしろいかどうかはわかりません。それでもよろしければお読みください。)

巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)という言葉を聞かなくなった気がします。巧言令色とは、言葉巧みで愛想がよいことを意味し、悪い意味の言葉です。出典は『論語』です。論語と言いますと、私は15歳のときに(「十有五にして学を志す」という言葉から)祖父に岩波文庫でもらいました。これは聖書の言葉より前からなじんでいた言葉です。

ところが、世の中全体が、「プレゼン重視主義」になってきていることを感じます。小学校の教科書でも、「発表しましょう」といった文言は多くなって来ています。「わかりやすく」「聴いている人のほうを見て」など、私が教員だった時代に要求されて、できなかったようなことが要求されています。つまり「巧言令色」が要求される世の中になって来ていると私には感じられるのです。

最近、自己啓発セミナーのようなものに誘われてしまったことがありました。そこに出て来る人たちは、みんな自信たっぷりの笑顔にあふれていました。まさに巧言令色ですが、あれに「だまされる」人は多いということでしょうか。

土居健郎の『信仰と「甘え」(増補版)』を読みますと、土居の時代のほうが、人々は言葉巧みな人より口下手な人を信頼していたようです。土居はこれを、非言語的コミュニケーションを好む日本人の傾向として描いていますが、最近、傾向が変わって来たのかもしれません。「甘え」とは非言語的コミュニケーションですが、この50年くらいで「甘え」という言葉はどんどん悪い意味の言葉になって来ています。「甘えを排し、はっきりした言葉で表す」という傾向と「プレゼン重視主義」が私には重なって見えます。

これに少しだけ蛇足を加えますと、ツイッターよりTikTokが流行る傾向にある世の中である点もこれに関係する気がします。TikTokは明らかに非言語的コミュニケーションだと考えられるからです。これについては私もきちんと自分のなかで整理された考えになっているとは言えませんので、いつか考えがまとまったら書きたいと思います。

そして、プレゼン重視主義は、多様性の排除とつながっています。「わかりやすく話せ」と言われても、われわれひとりひとりは驚くほど違いますので、「誰にとってわかりやすいのか」というのは、個人差が大きいからです。世の中でこれだけ「多様性」という言葉を聞くのは、世間にいかに多様性がないかの証拠であるとも言えます。

再び土居の言葉を借りると、自主独立を重んじる態度が、甘えを排除して、プレゼン重視主義を生み、多様性を排除している、と私には感じられるのです。単に「少数派を排除する世の中になった」と言うだけでは説得力がないので、少しだけ理屈をこねてみました。いかがでしょうか。まだ考え中です。

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