フリーランスは有名にならなくてはならない

 キリスト教関係の人でも、フリーランスの人、あるいはフリーランスに近い人は、複数、知っています。みなさん、成功している人は有名です。ただし、有名な人でも、なかなかたいへんであることも知っています。私も、あちこちで福祉の相談に乗ってもらうたび(きょうの午前も、ある発達障害支援センターに行ってきました。もっともそこの相談員さんは、発達障害のプロであるにもかかわらず、私よりも「不勉強」でした。たとえば「自己理解が大切」と言っていましたが、明らかに私はその人の思うよりもはるかに自己理解をしていました。まあいいです)、明らかに私は軽作業(障害者むけの軽い仕事。お掃除など)は向いておらず(みなさんが「やさしい」と言われる仕事ほど難しいのです)、なるべく私の向いている仕事を探そうとすると、どうしてもフリーランスになってしまいます。しかし、私にとってフリーランスが難しいのは、セルフプロデュース能力が足りないこと、アンテナがはれないこと(これは発達障害の特性でもありますが)などの理由があります。それでも残された道はフリーランスか、あるいはどこかに勤めながら、副業で、能力を生かした仕事をするか、ということになります。(※私の書くことはフィクションですよ。)

 フリーランスの人が、有名になる理由が、なんとなくわかってきました。皆さん、名前や顔を売って、商売をしているからなのです。これは自営業の人の宿命かもしれません。以下に出す例は、極端にフリーランスでうまくいっている人の例なので、自分の参考にはなりませんが、いかにフリーランスは「有名人」になるかの例です。

 「ランパル」といえば、フルート界では知らぬもののない、二十世紀の大フルーティストです。彼はフリーランスです。どのオーケストラにも所属せず、どの音大の先生でもなく、「ソリスト」でした。ですから「ランパル・リサイタル」のようなものを世界中で開いて、それで食っていました。もちろん、それで食えるだけの能力のあるすごいフルーティストなのですが、同じくらいうまい人でも、ランパルやニコレほど有名でないフルーティストはいました。たとえば、「ミシェル・デボスト」とかご存知でしょうか。この名前は、フルート業界では多くの人が知っていますが、明らかにランパルとは知名度がぜんぜん違います。でも、ランパルよりずっと「へた」かというとそんなことはないのです。ただ、デボストは、「パリ管弦楽団首席フルート奏者」で、「パリ音楽院フルート科教授」だったのです。そういう人は、オケや音大の給料で食っていますから、「有名になる必要がない」だけなのです。ただ、業界では有名でした。うまいからです。たくさんの弟子を育成しているからです。これはヴァイオリンでもホルンでも、なんの楽器でも言えます。

 ですから、かのランパルでさえも、「今度のリサイタルは、客席はうまるだろうか」という心配はいつもしていたようです。ランパルほどの大フルーティストでも、そういう心配をするほど、フリーランスは不安定なのです。指揮者のストコフスキーも、1950年代の前半、どこの専属の指揮者でもない、フリーランスの指揮者だった時代があります。

 ピアニストの宮沢明子(みやざわ・めいこ)が、ランパルに言われた言葉を書いていました。「ソリストは、キラッと光る個性がないとね」。宮沢明子もソリストですが、たしかにランパルは、たんにうまいだけでなく、ソリストとしての「個性」がありました。ですから好き嫌いは別れるのですが(アンチ・ランパルの人もけっこういました)、テレマンの「12のファンタジー」など、自由自在の表現で、ランパルの個性が炸裂していました。これも、成功するフリーランスの人の特徴かもしれません。

 どうも、自分がフリーランスになる可能性を考えれば考えるほど、いろいろなことを思わされます。でも、それで食える人は滅多にいません。つくづく数学者になっていればよかったのですが、死んだ子の歳を数えてもしかたがありません。でも軽作業は向いていないので、それは避けないといけません。私の能力はいずれも「すぐ食える」ものはないのですが、うまくまわっているものは、たいがい、自分の才能がうまく出たものばかりなので、「得意なことを活かした就労」が適切であることは確かです。あせらず、しかしあきらめず、道を探りたいです。(それにしても今日の発達障害支援センターの相談員は、ちょっと不勉強ですね。親切だったけど、不勉強。そして、ちょっと上から目線でした。わたし健常者、あなた障害者、の人でした。)

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