聴覚過敏

 発達障害のよくある特徴のひとつに、感覚が鈍すぎる、あるいは鋭すぎる、というものがあることは、前からよく聞いて知っていました。しかし、それは私にはないかなあと思っていたのですが、最近、少し存在することがわかりました。聴覚の過敏です。

 もともと、私はとても耳のよい人間です。絶対音感があるのみならず、世の中で流れている音楽のほとんどは、すべて耳だけで和音なども含めて聴きとれており、その気になれば、すべて耳だけで楽譜に書き起こせるのです。この意味で、私は自分よりも耳のいい人に出会ったことはありません。昨年の今ごろは、本気で採譜(耳コピ)で食っていこうとしていました。結果的に、採譜の業界も実力主義ではなかったのであきらめざるを得ませんでしたが、そのころ練習用に作ったある複雑なジャズの採譜を、パソコンで再生などしてみると我ながらびっくりします。大人が本気を出すと、こんなことまでできてしまうのだ、と…。

 それと関係するのかどうかは知りませんが、私は、一度、耳についた音楽は、耳から離れません。その程度が極端なのです。これは発達障害あるあるだと、ある仲間から聞いたのですが、障害者福祉の人も認めるはっきりした発達障害の特徴でした。(余談です。その仲間という人は、発達障害かつゲイのかたで、私の予想は当たりましたが、ゲイのかたはゲイのかたで集まりたい。しかし、そのゲイの集まりで、空気が読めずに浮いてしまうというかたでした。その人の「多数派のゲイは空気が読める」という言いかたが印象的でした。余談は以上です。)とくに、耳につきやすい音楽、たとえばコマーシャルソングの類は、もう地獄のように苦痛です。ヨドバシカメラや、ビックカメラなどの、一日中、コマーシャルソングの流れるところで働いたら、気が狂うのではないかと、若いころから思っていました。いまでも、コマーシャルソングを流している店の前を通るときは苦痛です。それから、電話の「少々お待ちください」と言われたあとに流れる音楽!あれは、いつ相手が出るかわからないので、ひたすら聴き続けるしかなく、非常に苦痛です。しかも、電話のお待たせ音楽は、しばしば、ちゃちです。たとえばバッハのメヌエットなら、調が違うのはまだゆるすとして、左手のパートがでたらめなのはほんとうにやめてほしい!せめてバッハの書いたとおりにしてくれー!(バッハのメヌエットは本当はバッハが作ったものでないことは知っています。パウロの手紙で、本当はパウロが書いたものではないものが混じっているのと同じ現象ですね。)

 私の、発達障害の困りごとのなかでは、比較的たいしたことのないことのひとつですが、地味に苦しんでいることではありますので、書いてみました。仲間のみなさん。これ、つらいですよねえ!

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