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あなたがたは世の光である

 最近、滋賀県の福祉の手厚さを知り、滋賀県の近江学園の設立者である糸賀一雄(いとが・かずお)氏について調べようと思って検索しました。糸賀一雄氏に関するある障害者のサイトが上位にヒットしました。糸賀一雄氏は、知的障害の子どもの支援に尽力した人です。そのサイトには糸賀氏の有名な言葉「この子らを世の光に」が紹介されていました。しかし、その肝心なところでこの有名な言葉が間違っており「この子らに世の光を」と書かれていました。「を」と「に」が逆です。しかし、こう間違ってしまうと「このかわいそうな子どもたちにせめて世の光を」というような意味になってしまって、糸賀氏の思想から大幅に外れてしまいます。糸賀氏はあくまで「この子らを世の光に」と言ったのです。そのサイトには問い合わせを行いました。すぐに対応してもらえて、いまではその間違いは訂正されました。

 糸賀氏がクリスチャンであることも初めて知りました。そしてこの言葉は聖書から取られていることも知りました。聖書で「世の光」が出てくる箇所は2箇所あり、マタイによる福音書5章14節とヨハネによる福音書8章12節です。直観的にこの糸賀氏の言葉はマタイから取られていると思いました。マタイによる福音書5章13節から14節は極めて有名です。「山上の説教」と言われる長いイエスの説教の最初のほうです。引用します。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか。もはや、塩としての力を失い、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」

 イエスがこの話を、どれだけ貧乏でみじめな人たちに語ったのか、わかりません。マタイ福音書5章から7章にわたるこの長い「山上の説教」を読んでいて感じるのは、イエスはかなり貧乏でみじめな人たちに向けてあえて語っていると感じられるのです。「私たちに日ごとの糧を今日お与えください」(同6章11節)と祈れとイエスは教えていますが、これも「きょうの食べ物があるか、あしたのことは考えられない」という極限の貧乏な人の切実な祈りです。そしてイエスも「あなたがたに世の光を」とは言いませんでした。決してそのような上から目線なことは言わないのです。「あなたがたは地の塩になれ、世の光になれ」とも言いませんでした。「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」と言い切りました!

 糸賀一雄氏の思想の一部が垣間見えた気がしました。「かわいそうな子たちに光をあてる」のではなく、その子たちが世の光なのです。しかし、そのサイトがまさにこの有名な言葉を間違って記載していたように、多くの人は無自覚的に「自分は障害者ではない」と思っており、「障害者とは憐れむべきかわいそうなもの」と思っています。私ですら長いことそう思って来たかもしれません。しかし、私も5年半前の40歳のときに発達障害の診断がくだり、「障害者」になってみて思います。こんな私にイエスは「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」と言っておられる!

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