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アシュケナージの魅力

 (これは私がときどき書くクラシック音楽オタクネタです。それでもよいというかただけ、お読みくだされば、と思います。)

 ウラディーミル・アシュケナージという指揮者・ピアニストがいます。存命していますが、すでに引退しています。私はアシュケナージに恩があります。若いころ、ある録音を2つ聴き、圧倒的な影響を受けたからです。いずれも20歳前後の、感受性が豊かなときでした。

 1回は、ラフマニノフの「交響的舞曲」の録音でした。コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した録音をカセットテープで聴きました。一度でとりこになり、ラフマニノフの作品をすべて聴いたわけでもないのに、これがラフマニノフの最高傑作であることを直観しました。その直観は正しかったです。重いメッセージ性があり、何度も聴くのは疲れる曲ですが、アシュケナージとコンセルトヘボウ管弦楽団はこの曲の真の魅力を聴かせてくれていました。最初に当たった録音であったのみならず、この演奏は、私のなかで常に最高の演奏でした。生で聴いたのは、外山雄三指揮の仙台フィルの東京公演でした。これもよかったです。そのときのことを書いた記事もはります。律儀にお読みにならなくてもだいじょうぶですからね。

(それにしてもラフマニノフには「交響曲第3番」という傑作もあります。これ、もしもラフマニノフが交響的舞曲を書いていなかったら、この曲がラフマニノフの最高傑作だったのではないかというほどの名曲ですが、この曲は生で聴いたことがないです。アマオケがやるのはおもに2番ですね。2番は先日も生で聴きました。3番はやるにあたって難しい理由があるのですかね?)

 もう1回は、シベリウスの交響曲第6番でした。これも、フィルハーモニア管弦楽団を指揮したカセットテープを聴いたのです。19歳の夏だと思います。後期シベリウスの世界に目を(耳を)開かされました。シベリウスの後期作品にも独特の魅力があります。これは、私にとってアシュケナージ指揮の演奏が常にベストであり続けたわけではありません。しかし、私に後期シベリウスの魅力を伝えてくれた大切な演奏です。この曲を生で聴いた経験はない気がします。

 私が学生時代、アシュケナージはNHK交響楽団の首席指揮者でした。アシュケナージは指揮もピアノも生で聴いたことはありません。しかし、テレビでは何度も見ました(N響は放送オーケストラだからですね。地方都市に住んで思いますが、地方においては、東京のオーケストラで断然の知名度を誇っているのがN響です。東京に住んでいると、いくつもあるプロのオーケストラのひとつなのですけど。だからウィーン放送交響楽団にいた大塚敬子先生が、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートについて言いたくなる気持ちが少しわかる気がするのです。私はウィーンに住んだことがありません。世界的にウィーン・フィルばかりが有名になっていたら、ウィーンに住んでいる人、ましてウィーンのある有力なオーケストラの団員さんともなれば、思うところはあるでしょうね)。アシュケナージの指揮をテレビで見る限り、あまりうまい棒の振り方とは言えないと思います。それでアシュケナージをバカにする人もいたりするのですが、私は、自分の少ない指揮者としての経験からしても、指揮とは棒の振り方ではないと思っていますので、アシュケナージの指揮で不満はありません。少なくとも上記の2曲にかんしては、抜群の演奏であったと思います。

 最近、ナクソス・ミュージック・ライブラリで、アシュケナージのピアノによる、ショパンのピアノ曲全曲録音を聴きました。たいへん充実しています。とくに、ピアノ・ソナタ第2番が始まったときは「なにごとか」と思うほどの鋭い演奏で、圧巻でした。以前、YouTubeで見た、練習曲第1番をさっそうと弾く若い日のアシュケナージの姿も印象に残っています。

 最後に、アシュケナージがN響を指揮した、スクリャービンの交響曲第5番「プロメテウス 火の詩」の動画を紹介します。(律儀に見なくてだいじょうぶですよ。)これは「色つき」の音楽です。当時、青色発光ダイオードが開発されて、光の三原色がそろい、スクリャービンの作曲からおよそ百年が経過して、ようやくこの曲の「色つき」の上演が可能になったというコンサートの映像です。スクリャービンは音と色の共感覚を持っていました。音に色が見えたのです。


 アシュケナージにかんする思い出はこのようなところでおしまいです。

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