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説教されてうれしい部屋飲み

 いまから、とても個人的な思い出を書きます。本当なら、匿名とはいえ、このようにインターネットで公開することなど、はばかられるような、大切な宝物のような思い出ですので、ほんのちょっと、短く書きたいと思います。

 9月に、ある土地へ行き、偶然に偶然が重なって、ある牧師先生のお部屋で、一緒に飲む機会がありました。その先生は、とても有名な先生で、私も、コロナ以降、その先生の教会のオンライン礼拝を欠かさず見ていましたが、ほんとうに偶然が重なって、その先生のお部屋にお呼ばれして、ご一緒に飲む機会があったのです。

 私は、お酒が飲めません。これは、「弱い」という意味ではなく(弱いんですけど)、私は精神科の薬をたくさん飲んでいるため、ほんとうにお酒を飲むわけにいかないのです。先生は、お茶を入れてくださいました。しかし、私は、お茶も飲めません。睡眠障害も持っていて、夜は、カフェインの入ったものは、飲めないのです。先生は、すぐに「水!」と言って、水を用意してくださいました。しかし、その水も、ほとんど飲まずに残してしまいました。発達障害の特性により、「話しながら」「飲み物を飲む」ことが極端に苦手な私は、先生との会話に夢中になり、結局、その水もほとんど残してしまったのでした。

 私は、先生との会話に夢中になりました。空気も読まずに、たくさんしゃべりました。先生は、いちいち自分が空気が読めないことを断るな、と最初に言ってくださいました。その場は、いろいろな人がいていい飲み会。私みたいにお酒もお茶も飲めない人、空気も読めずに唐突に話題が変わったりする人、いろいろな人がいていい場所だったのです。

 ずいぶん、的外れなことも言ったと思います。ずいぶん、失礼なことも言ったと思います。ついに、飲み会の中盤ごろ、先生は、私に、「説教」をしてきました。いわゆる「教会の説教」ではありませんよ。「お説教」です。

 私は、おとうふメンタルです。それを知っている人は、そして、親切な人は、私が傷つきやすいことを知っていて、あまりきついことは言わないでくださいます。私はもう、どれだけの人に、気を遣わせているか、わかりません。しかし、先生は、ちょっとカチンときたのでしょうね、ガツンと説教をしてこられました。私はいつも、職場では、おもに発達障害ゆえの、仕事上のできないこと、苦手なことにより、ひんぱんに叱責を受けて、傷ついています。いまもそれで、半年以上、休職をしています。ですから、先生から説教をくらったその瞬間は、たしかに、ちょっと傷つきました。しかし、しばらくして、飲み会が進んでいくうち、私は、その説教を、とてもうれしいものだと認識するようになりました。

 つまり、遠慮する仲であるなら、説教など、されるはずがありません。飲み会で説教をされるなんて、じつはそれは、私がその先生と、とても仲良くなれているしるしなのです。「説教をされるほど仲良くなれた」。いつも、職場で厳しい説教をされて傷ついている私ですが、その日の飲み会は、説教されてうれしかったのです。
 
 私が先生に的外れなことを言ったのと同じくらい、先生も私に的外れなことも言って、しかし、根本では、つながりあえて、先生とは、とても仲良くなれました。幼少のころの「友だち体験」の決定的に欠如している私は、44歳にして、この日、真の友だちの体験ができました。その先生が、有名な人だから、有名な人と仲良くなれてうれしい、というレヴェルではありません。ほんとうに、人として、つながりあえたのです。

 私がその地を去るとき、先生は、両手で握手をしてくださいました。気持ちが伝わってきました。ほんとうにうれしかったです。

 今年のほとんどを、休職で過ごし、広義のひきこもりとなり、先行きに関しても、厳しい状況ばかりの私にとって、この日の飲み会は、奇跡でした。

 これが私の「説教されてうれしい部屋飲み」です。簡潔にしました。大切な思い出すぎて、なかなか分かち合えませんが、思い切って、ちょっとだけ、書いてみました。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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