見出し画像

近衛秀麿の「第九」

本日も夜しか授業はありません。いま突然、時間ができました。またクラシック音楽オタク話を書こうと思います。

(この記事をだらだらと書き終えたいま、おそらく数学教室ブログが更新されたと思います。この記事のすぐあとにここにもアップいたしますね。)

高校1年の12月、および高校2年の12月に、ベートーヴェンの「第九」の第4楽章を演奏しました。私のいた高校の年中行事だったのです。文化祭が終わってから、集中的に練習しました。若いうちに、こういう真の名曲に触れることができたのは幸いだったと思います。

スコアも読み込みました。ベートーヴェンのオーケストレーションで特徴的なのは、楽器の音域に律儀なことです。フルートのパート譜を見ただけですぐに気が付くのは、ベートーヴェンはフルートおよびピッコロの最高音を「ラ」と定めて、決してそれより高い音は書こうとしない、という点です。オーボエだと「レ」まで。それは極めて律儀でした。どれだけ非音楽的になっても、その(自分で決めた?)ルールは守り通すのでした。

ベートーヴェンが書きたかったと思われる音は、たとえばピッコロですと、「シ」まで出せばかなり出せます。出している演奏もしばしばあります。私がよくテレビで見ていた2010年前後の「N響第九」のピッコロのおじさまは、しばしば可能な限り出る音はオクターヴ上げしておられたものです。古い録音から、生ですとこういう新しい演奏まで、しばしばベートーヴェンが書いたことを破ってもオクターヴ上げするピッコロ奏者はいるものです(ピッコロはよく聴こえるので)。

第4楽章655小節目からはじまる二重フーガも、アルトトロンボーンにアルトのパートを吹かせようとしていますが、出ない音は「歯抜け」にしてあります。この場面はベートーヴェンはオクターヴを几帳面に守っており、これはオクターヴ下げという作戦に出ず「歯抜け」作戦にしています。

もう少し身近に知っている人の多い例を挙げますと、「第九」をお歌いになったかたは多いでしょう。以下のテノールパートも、そのようなベートーヴェンの「音域に律儀」な面を見ることができます。本来、ベートーヴェンはずっと「上」の音域で歌わせたかったのです。(この論を言ったら「それは違う!」と即座に憤慨して反論してきた合唱をやる仲間がいましたけどね。よく楽譜を見ていないね。)



もう少し大胆なことを申しますと、以下の有名な箇所。


これも、ベートーヴェンは以下のように歌わせたかったのではないかね。


そのようなことを思うわけです。

そのころ、すなわち私が高校生であった時代に、インターネットはほぼなかったわけです。情報は少なかったです。そのような(もっとも上の譜例で書いたテノールのようなわけにはいかないとしても)、ベートーヴェンは本当はこう書きたかったのではないか、という想像をすごくたくましくした楽譜で演奏した録音があると、それは近衛秀麿指揮読売日本交響楽団であると、かすかにそんな記事を読んだ記憶があるのです。「それ、聴いてみたいなあ~」と思ったことを思い出します。

それから年月は流れました。私は東京で大学生になりました。あるとき、CDが売りに出されたのです。近衛秀麿指揮読売日本交響楽団の4枚組のCD。ベートーヴェンの第九が入っていました。これだ!

「近衛秀麿の世界」と書かれた4枚組。1996年2月に出たようですから、私はまだ微妙に東大オケにいた、20歳のころですね。いまから28年前くらいです。収録されているのは、ベートーヴェン「運命」、シューベルト「未完成」、ベートーヴェン「田園」、ベートーヴェン「エグモント」序曲、ベートーヴェン「第九」、ドヴォルザーク「新世界」、ドヴォルザーク「スラヴ舞曲第10番」、スメタナ「モルダウ」です。

買うのに躊躇しました。税込みで8,000円するのです。いまでも躊躇する値段でしょう(いまのほうが学生時代よりもっと貧しいか)。税抜き7,768円と書いてあるので消費税が3%の時代です。同じ東大オケの仲間の「買いなよ」という声で購入しました。東大生協で買ったかもしれません(東大生協は当時、CDは15%引きで購入できました)。

買ってよかったです!こうして、四半世紀以上が経過しても、大好きなCDですから!

「第九」以外から見ていきますと、「田園」の第1楽章のゆったりしたテンポ、第4楽章のピッコロ、それから「運命」のこだわり、「新世界」の驚くべき名演奏。「モルダウ」もすばらしい。結局、すべてがすばらしいのですけど。当時の読響がとてもうまかったこともよくわかります(すべて1968年の演奏)。ずっとのち、2018年に、ストコフスキーが1965年に来日して読響を指揮したベートーヴェンの交響曲第7番のCDがいきなり出て世界のストコフスキーマニアを驚かせましたが、そのときの読響もうまいので、本当にこのころの読響はうまかったのでしょう。

スコアを見ながら聴くと仰天する演奏ばかりです。すごいね。近衛秀麿。しかも不自然さを感じさせないのです。

「新世界」の第4楽章は、学生時代、図書館で、学研(?)の教材で見ました。昔の小学生は、音楽の鑑賞の時間に、ドヴォルザークの新世界を、この近衛秀麿指揮の演奏で聴いていたのですね。

肝心の「第九」ですが、本当に思いのままにやっておられます。これは、スコアを研究しつくした人にこそできる改変。すごすぎます。しかも音楽的にはまともなところがまたすごい!

私は、結局、ベートーヴェンの第九だと、この演奏が最も好きなのです!なんだかんだ言って、結局、第九を聴くときはこのCD!

近衛秀麿って、いまから8年か9年くらい前に、ちょっとブームというか、本が出たりテレビ番組になったりして(私は本は読んだと思いますが覚えていません。テレビ番組は見ていません)、そのころ少しこれらのCDは再発売されていましたし、そのような高い値段ではなく、いまはバラ売りでもっと安く手に入るのだろうと思いますが。

来月は、招待券で、スメタナの「わが祖国」全曲を聴けます。ここに収録された「モルダウ」も聴けるわけですが、モルダウを生で聴くのはいつ以来か…(「わが祖国」全曲を生で聴くのは初)。そして、1月には「第九」の招待券がいただけるはず(つもり)だったのですが、行けなくなりました(オケで乗っているかたから招待券がいただけるはずだったのですが、チケットは合唱のかたしか手に入らないことが最近、判明したとのことでした)。残念だなあ。せめてこのCDで第九を聴こう!

本日のクラシックオタクネタは以上です!

(サムネは第九のピッコロの一部です。最後のほうです。これはベートーヴェンが書いたのに反してオクターヴ上げしているところです。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?