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語学の難しさ

(これから、語学の話を書こうとしています。しかし、私の専門は語学ではないことを最初にお断りしておきますね。)

 私は学生時代、専門は数学でした。しかし、論文は、英語で書かねばなりません。博士論文は出せませんでしたので、私の最もクリエイティヴな著作は、修士論文ということになります。とにかく私は、自分の著作を、英語で書かねばならなくなりました。そのときの経験を思い出して、書きますね。

 英語で書いていて、最も悩んだのが、「ここは単数か、複数か」ということと、「ここの冠詞は、aか、それともtheか」ということでした。これはもう、書いていて、ひんぱんに悩みました。しかし、これらに共通する問題があります。

 それは、「単数、複数」も「冠詞」も、「日本語にないものだ」ということです。

 やはり、日本語にないものが「難しい」と感じるのではないか。

 ここから先は、想像の世界になります。見当はずれだったら申し訳ございません。また、当たり前だったらすみません。

 私は、大学入学時の第2外国語は、ドイツ語でした。ドイツ語には、名詞に、男性、女性、中性があります。これは、とても難しいと感じました。名詞の性によって、さまざまな活用が起こるのです。極めて難しいと感じました。でもそれは、日本語や英語に、名詞の男性、女性がないからではないか。意外と、ドイツ語が母国語の人は、「英語には、男性、女性がないから、難しい」と思っておられるのかもしれない(?)。

 よく、日本語が母国語の人は、ヘブライ語は難しいとおっしゃいます。これも、同じようなことで、日本語とヘブライ語が、「離れて」いるからかもしれない。

 そもそも、たとえば英語が母国語の人には、日本語は難しいと言われているようです。これって、日本語が母国語の人が、英語を「難しい」と感じるのと同じ難しさではないか(?)。

 「4か国語ができる」人が、「5か国語はすぐ」と言われるのも、いろいろな言語と「近づき」になっているからではないのか。

 そんなことをあらためて思いました。

 つまらない話でしたらごめんなさいね。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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