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「桜」から見えた、私の年齢の重ね方

人生で桜を初めて強く意識したのは、中学生のころだった。
当時通っていた学校は城跡の近く。
お堀端に見事な桜並木があって、入学式の時にそこの桜を初めて見て以来、春には桜が欠かせないと思うようになった。

中高一貫校だったので、6年間同じ場所にある学校に通った。
35年ほど前のこと。
ちょうど入学式のころに見ごろを迎える地域だったので、私にとっては「桜」というと「入学式」
真新しい制服をまとった初々しい新入生が登下校の学生の波に加わる、そんなシーンが満開の桜並木と重なる。

「女子高生あるある」なのかどうかはわからないけれど、当時は散ってくる桜の花びらを、地面につく前につかむことができたら願い事が叶う、というジンクスみたいなものが私の周りにはあった。
そのため、学校帰りには必死になって桜の花びらを追いかけまわした覚えがある。

高校卒業後、地方から東京に出たときもそのジンクスを信じ、桜の季節には花びらをつかみに行った。
願い事が何だったかはもう覚えていないけれど。

1人で見るのがつらくなった時期

東京に出て、恋をした。
その恋が破れたころ、ちょうど桜の時期だった。
1人で桜を眺めるのが辛かった。
きっと、桜を見るたびにこの寂しさを思い出すのだろうとも思った。そんな時間が永遠に続くのではないかと思っていた。

1人を意識しなくなった時期

でも、社会人になって、仕事も忙しくなると桜を見てあまり感傷に浸ることはなくなった。きっと余裕がなくなっていたのだと思う。

そして結婚、新しい家族ができたとき、桜を見たからと言って1人の時間を意識しなくなっていたことに気づいた。その時は一緒に感動を共有できることに感謝できた。

ただ、仕事をしていた時の余裕のなさとは違う余裕のなさもあった。
自分に集中できない余裕のなさだろうか。

「1人」が不自然でないと実感した今年の桜

昨日、図書館に1人で本を返しに行ったとき、今年の桜を初めて見た。

今の地に住むようになって、桜を愛でるとしたらここ、という場所の1つが図書館の近く。
今年に入って一度も桜を見ていなかったので、まだこの地は咲いていないのかと思っていた。しかし、いつの間にかもう見事に花開いていた。

1人で桜を見たのだけれど、学生のころ感じた寂しさも、社会人の時の余裕のなさも感じなかった。
1人であることを当然のように受け入れている自分に気づいた。

人によって違う向き合い方

私の場合、

①入学式のワクワク
    ↓
②1人で見るのがつらい時期
    ↓
③1人を意識しなくなった時期
    ↓
④1人が不自然でないと感じた時期

そんな歴史を桜とともにたどってきたことに気づいた。



皆さんも、年と共に桜への思い、桜とのかかわり方が変化してきていること、感じませんか?
是非立ち止まって、どうだったのか考えてみてください🌸

今日もありがとうございました。

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