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そういえば10代は鬱だった

新年明けました!おめでとうございます!2023年、1発目のタイトルが鬱というまさか。今まさに文を打っている私は、タイトルの印象とは180度違うところに位置する気分なのだが。そう、申し訳ないが、るんるんしている。あの暗黒時代から10年以上は経って、“あの時“とは切り離した第二の人生を歩んでいるような感覚だから、かな。


さて、私の話しになりますが。小学生、中学生時代の私は、俗に言う優等生だった。躊躇なく自分で言うが、よく気遣いができ、勉強もでき、先生から気に入られ、友達も沢山いたし、部活動でも活躍した。順風満帆そのもの。それなりに悩みはあったが、受験に苦労することもなく、どちらかというと、ずっと褒められて生きてきた。そんな小中学生時代だった。でも、高校に入学してからそれは一転したのだった。何に対しても“上のほうの位置“で生きてきた私は、いきなり、“自分よりできる人だらけの世界“に生きることとなり、一気に“下のほうの位置“にズドーンと落ちた。井の中の蛙とはこのことだったのか。自分が今までどれだけ狭い世界の中を生きていたのか、その狭い狭い世界の中の評価と価値観の中で天狗になっていたんだと思い知らされ、すっかり自信を無くし、まるですっからかんになってしまった。それまでを褒められて生きてきた私にとって、この多感な時期の落差は大きすぎる挫折だった。生きている価値すら見失い、ただかろうじて息をしている...“虚無“という2文字がピタリとはまるような、そんな毎日を過ごしていた。


そんな日々の中、親も友達も必死に支えてくれていた。だが、その時の私は、それすらも恨んだ。わかってくれない、どうせ私の気持ちなんか誰もわからない!私を見てよ!あんなにできていた私だよ?と、怒りにも似た、おそらく“嫉妬“と“承認欲求“の渦の中に居た。可哀想でしょ?心配してよ!と、愛を求めた。
きっとだが、全てを褒められて生きてきたそれまでの“私“が、何もできない“私“を受け入れられず、自信が無く、でも、それでもいいんだよ、の愛をカラッカラに求めていたのだと思う。満たされることは無かった。周りがどんなに愛を伝えてくれても、支えてくれても。求めた。探した。でも、満たされることはなかった。環境に、人に、恵まれていたのに。もう、生きていたくなかった。


ではなぜ、虚無状態から脱出できたのか...。それは、自分で自分を受け入れたからだった。どれだけ周りに何かを求め、例えそれが叶ったとしても満たされなかった心は、自分自身にしか満たすことができないということに、なんだか急に気がついた瞬間があった。私はただの人。ふつー。いたってふつー。小中学生時代の私は、“たまたまできた“。私って別に何か特別でもないし、ダメなとこもこんなにあるんだ。で、ふつー、、ってかむしろ苦手なことが人よりも多い気もするけど、それがなんだ?これが私なんだ。仕方ないよね。

できない自分を認め、過去の栄光を手放すことができた時、俗にいう鬱ってのが晴れて行った。抜け出すのは容易ではなかった。一度砕けた心ってのは厄介で、リハビリが必要だった。“大丈夫“でも、最初はかすり傷を負うだけで、随分と“鬱の方向“に、引っ張られてしまった。つまづきやすい状態がしばらくは続いた。でも傷が閉じ開きを繰り返しながら、患部は分厚く、強くなっていくのである。


感謝というものができる様になった時。人は大きく前進することを知っている。自分の手柄で何かを成し遂げたと思う時。それは、少し視野を広げてみると、誰かの、何かの、“おかげ“かもしれない。自分を卑下する必要は全くないのだが、何かに“ありがとう“とすることが、1番心がにっこりするんじゃなかろうか。キレイゴト、か。いや、あながち、嘘じゃないんだな、これが。


全ては今、生きているから言えるコト。鬱真っ最中!の時って、人からどんな言葉をかけられても受け入れられない。キラキラした前向きな言葉なんてものは、むしろ凶器だった。そんなんやめてくれよ、と、逆効果。その時って、わからないものなんだ。でも、生きていていいんだよな。何も食べれなかった1日でも。1日起きる気すらなかったとしても。ただボーっとして1日をやり過ごしても。生きていていい。とりあえずでも。生きていていいのだ。今生きている私が伝えたい。生きていていいのだ。生きていなくてはいけないのだ。辛くてもだ。わからなくてもだ。とりあえずでいいんだ。ただ、生きていて。騙されたと思って生きていて。それでいい。それがいい。


人に迷惑をかけないように生きるなんて、無謀なハナシ。人に迷惑をかけて当たり前に生きていくしかないのだが、感謝ができるように少しづつ成長していけばいいのだ。それが人生そのものの様な気すらする。長々と私の若かりし日のことを綴ったが、じゃあ自分の子供が同じ様に、人生に生きる意味を見失った無気力な日々を送ることになってしまった時にわかってあげられるか?って言ったら、正直、自信が無い。勿論、全身全霊で守るが、やはりその人の気持ちってその人にしかわからない。それを大前提で接したい。私の現職、介護の仕事のハナシに繋がるのだが。認知症の患者さんの気持ちも、結局のところ、“その人にしかわからない“のだ。その人を支える家族の気持ちも、だ。だから人は想像をする。尊重をする。その時その時の“気持ち“も、その人にしかわからないのに、その人の過去の“気持ち“なんて、もっともっとわからない。わからないという事だけは事実なので、できる限りを尊重しなくてはいけないと私は思っている。わからない。だから、その人が生きてきた過酷だったであろう時代を想像する。そしてそれを生き抜いてきたという事実に感謝をする。私が10代の時に生きることが辛かった、もう辞めてしまおうかと思ったあの時を生き抜いたことでさえ大変だったのに、90年100年....長いこと生きるって、それを支える家族って、本当にすごいことなんだ、と、思うからである。生きている一瞬すら辛かった時があったので、一瞬でも私より長く生きている人を心からリスペクトしている、そんな毎日である。


だから。育児をしている中で、子どもが壁にぶつかっていたら。とりあえず生きていてほしい。生きてるじゃん、それでオールオッケーだと寄り添える私で居たいと思う。そして、日々関わる人々や、仕事で関わる高齢者の皆さんのコトや背景は“わからない“ので、想像力を働かせながら、今その人が生きていることに、ただ、感謝をしたいと思う。そして、完璧には生きていけない私(人間)だから、助けてもらえる人柄であり続ける努力をしたいと思う。そして感謝し続けられる私(人間)であり続ける努力だけはしていきたいと思っている。

そういえば10代は鬱だった。しかし今私は、生きているのだ。るんるんと。生きているから、るんるんと。

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