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コロナ病床で介護に従事。閉鎖された空間で感じたもどかしさとやりがいと。

2022年。どの職業を生きている人でも、少なからず悩み、戦い、もがいた一年ではなかっただろうか。私は、主に高齢者を受け入れている急性期の病院の中で、一般床及びコロナ陽性者が入院している病床にて、看護助手兼介護福祉士としてこの2022年をただひたすらに走った。正直、悩む暇も無いまま目の前の業務をこなしていくことで精一杯だったと言ったほうがしっくりくる。高齢者施設で次々と起こるクラスター。施設では隔離が困難な高齢者がひっきりなしに運ばれてきた。終わりの見えない、アンカーが居ない、そんなリレーをただ走り続けている気分だった。高齢の患者さんは、ほとんどが認知症を患っていた。患者さんからの暴言暴力はコロナでもコロナじゃなくても珍しい事では無いが、防護服を破られる事もあり、身を守る事にも気を張った。夏は汗だく、暖房を入れざるを得ない真冬も汗だく、休む間も無く脱水気味になってしまうことも多々あった。看護師への待遇と介護職への待遇の違いにもグッと目を瞑り、耐えたりもした。辛いことは沢山あった。でも1番辛かったのは、十分に理解ができないまま、閉鎖的な環境下に突然置かれて隔離期間を病床で過ごさなければならない患者さんを見ることだった。私達も付きっきりで病室に籠っているワケにはいかない。面会もできない、リハビリも十分に介入できない、刺激が少なすぎる空間に何日も居たら、認知症の症状を加速させることは想像するに難しくないだろう。そして〝これでいいのか〟という疑問が沸々と湧き、しかし〝これしかできない〟現状を知り、打ちひしがれるのである。それでも努力をした。なるべくその一瞬だけでも穏やかな心で過ごしていただけるように寄り添った。外の出来事を話してみたり、昔話しに花を咲かせるひと時もあった。もしかしたら今日、明日が人生の最期かもしれない高齢の患者さんへ、伝わりますようにと、ありがとうを沢山込めてケアをした。仲間と助け合いながら乗り切る毎日には達成感があったし、ケアの内容には決して満足できるレベルではなかったが、その背景で患者さんの家族の助けになれていたり、施設の職員の皆さんの負担を少しでも軽減できていたとしたら、良かった、と思うのである。そして私が働くことができるのは、子どもを保育してくださる保育園の先生方が居るからで、疲れ果てた帰り道に晩御飯を買えるのは、いつものスーパーで変わらず働いている方々が居るからで。私の仕事も、誰かの仕事に支えられていることを実感する。そして、今私達が生きているのは、人生の大先輩である高齢者の方々が、苦しい時代を必死に生き抜いてこられたからに他ならない。これから先、日本に起こりうる様々な問題や課題は深刻だ。しかし、先ずは感謝をしなければ全ては成り立たたず、繋がっていかないのだと思う。先述した通り、認知症の患者様を隔離することでのご本人が被るリスクにも目を向け、できることを考え、実行していかなければならないし、介護、医療の現場での課題は、言わずもがな山積みだ。決してラクな仕事ではない。辛いことも沢山あった。でも、人生の大先輩方から生きるということを直接教わり、考えさせられ、成長させていただける介護という仕事は、2022年もわたしの人生に学びをもたらしてくれた、大切な仕事でした。そしてこれからも、立ち止まった時には、〝感謝をしなさい〟〝謙虚に学びなさい〟と、背中を正してくれるような...。きっとこれからも共に人生を伴走してくれる仕事だと思っています。2023年も、高齢者の方々に、そのご家族のチカラに。少しでもお役に立てれば幸いです。2022年、わたしも仕事も、変化を恐れずに挑戦し、そして共に感謝へと帰り着いた1年でした。2022年を働いた全ての皆様へ、お疲れ様とありがとうを込めて...。

#2022年のわたしと仕事

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