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青山学院大学の彼を応援した2年間

(トップ画は初めて現地で圭太氏を見た時のものです)

こんばんは、よしです。
殆どの絆世代メンバーが退寮していく中、とうとう圭太氏も町田寮を退寮したということで、まだ青学生ではあるとはいえ「青山学院大学 陸上部」としては完全引退したのが分かりました。
想像以上の寂しさに涙を流してばかりですが、圭太氏の新しいフィールドでの活躍を今後も応援したいという気持ちでいっぱいです。

今回はわたしが吉田圭太選手もとい、圭太氏を応援したいと思うようになり、それから今日までの約2年間を振り返るだけのnoteです。

⚫彼を知った2年前

2018年度。
原監督の「2度目の三冠を目指す」から始まった駅伝シーズン。
「出雲は出雲の選手、全日本は全日本の選手を」と、立ち上げた出雲駅伝プロジェクト。そこで紹介された、2018年の全カレで5000m日本人トップ、3位入賞のスピードランナー。
それが圭太氏を初めて知った時でした。

当時は「選手層厚いな~」ぐらいの認識でした。ですが、出雲駅伝プロジェクトの紹介のお陰でいつもならキャプテンや主力ぐらいしか分からなかった自分が「あ、プロジェクトで紹介されてた子みんな出とる!」と、ある程度全選手が分かる状態で出雲駅伝を見ていました。

結果、トップを譲らずの出雲駅伝優勝。
圭太氏の区間賞は「初めての大学駅伝で区間賞はつえ~!」ぐらいの認識で、当時は竹石くんのアンカー勝負にハラハラしてた気持ちが強かったです。

続く全日本では6区までは先頭が見えそうで追いつかない微妙な位置でのレース運びで、最終的に7区でキャプテン森田くんの快走もあり、アンカーはそのまま逃げ切って優勝。圭太氏はここでも区間賞と知り、わたしへのインパクトは十分。少なくともわたしの中に「吉田圭太」という選手が記憶された時です。

この頃の自分は「2度目の三冠」という偉業の見たさに青学を応援していた気持ちが強く、まぁ普通に見ても「青学が有利でしょ」と思ってました。
(この頃は今のようにTwitterや雑誌を追っかけていなかったので、情報収集もゆるゆるでした。29日の区間エントリー発表で「おお!!!」と騒ぐぐらいのレベルでした)

迎えた2019年1月の箱根駅伝。
2区で落とした順位を、当日変更で3区に入ったキャプテン森田くんが区間新(当時)の走りでトップに。
ここでは「ほら今年も青学やん~」とか呑気に考えていました。

しかし、どうなるのか分からないのが箱根駅伝。

青学はそこから4区、5区で失速して順位を落とし、トップから5:30秒差の6位。

「優勝無理じゃん…?」
それが往路終了時のわたしの感想でした。
(補足すると、世田谷ハーフの存在を知らなかった時なのでわたしはこの箱根駅伝で岩見くんを初めて知った)

しかし、翌日復路のメンバーが諦めずに前を追う姿にわたしは目を惹かれ、もしかしたら青学が逆転優勝するかもと希望を持たせてくれました。
小野田くんの区間新(当時)から始まり、林くんの区間賞、初出走の飯田くんの魂の走り、圭太氏の区間賞、塁人くんの笑顔のゴール。

東海さんの初優勝に拍手を送りながらも、気になったのは青学のみんなでした。

さて、わたしのここまでの圭太氏の印象は「三大駅伝で全部区間賞、きっと来年のエース候補」でした。
むしろ、来年のキャプテン誰?と、そっちの方が気になっていました(笑)

しかし、それからしばらく経った頃。わたしが見たのは多分2月でしょうか。
G+特別編の映像をどこかで見た時です。
様々な大学の様子が映し出されている中、涙を流す森田くんの姿、不甲斐ない走りをしてしまったと泣く岩見くん、その他メンバーも涙を堪えながらの報告会の様子にわたしも貰い泣きをしそうでした。

その後、圭太氏が先輩に励まされながらも悔しそうに涙を流している姿が映し出されました。
何故か分からないけど、彼の悔し涙に彼のチームに対する気持ちが現れていたように見えました。そこから「応援するならこの人を応援したいし、来年は彼に笑って欲しい」と素直に思いました。

彼の悔し涙が、わたしが圭太氏を応援するきっかけとなったのです。

なので常に思っていることは、あの時に青学が五連覇三冠を成し遂げていたら、わたしは今のように圭太氏を応援することはなかったのかもしれないということです。
きっと「2度目の三冠すご~!青学来年もつよいわ~!」でゆるゆる応援をしていたのかもしれません。

あの時、彼の悔し涙を見ていなかったら、きっと今の自分はいなかったでしょう。不思議なものですね。

⚫彼を応援したいから

新チームが始まった頃、わたしは他に夢中になっていたものがあったのでそちらに意識が行きがちで、学生ハーフとかトラックレースの記録会などはあまり意識が行かず、このタイミングで圭太氏はニュージーランド留学(笑)
まだ青学全体を応援!とまでは行かず、三大駅伝が始まったらでいいや~ぐらいの気持ちでした。(全カレとかは結果だけ見て自己ベスト更新に拍手してた)
インスタもフォローしていなかったので、留学中の彼の様子はほぼ知らずでした←

なので春~夏まではそこまで騒ぐこともなく、9月から徐々に駅伝ムードなり始めた頃に「現地で圭太氏を応援したい」気持ちと「現地観戦方法分かんないし、出雲は遠い」という気持ちがせめぎ合ってきます(笑)

ですが、どこの界隈やジャンルに行っても「推せるときに推せ」という言葉を目にしていたので、迷うぐらいなら行くか、島根!と、2週間前ぐらいに家族巻き込んで慌てて準備。初島根上陸、初観戦。最初の率直な感想は「テレビで見たコースや…!」でした(笑)

まぁ実際は道を間違えて、自分でも位置が把握できてない沿道の途中での応援になりました(笑)
あっという間に通り過ぎてしまった(そしてカメラも追えなくてブッレブレ)
それでも直接見れたという喜び、聞こえたかは置いといて応援を送れたという満足感で溢れていました。

次こそは、と参戦した全日本では一番よく見えるところで観戦ができ、その時に撮影した写真が圭太氏の元に届いたという事実がとても嬉しかったです(インスタのストーリーに使ってくれた)

ここで「人混み嫌だからテレビでいいや」と思っていた箱根も絶対見に行こうと決め、12月は常に情報収集していた記憶です。初めてエントリーメンバー予想や区間エントリー予想をするほどに気合いは入っていました。(そして圭太氏だけ最後まで外す奴←)
気付けば長距離関連の用語、タイムの見方、ラップタイムの目安が分かるようになり、今までとは違う見方にワクワクしていました。ゆる~く見ていたはずなのに、ここまでのめり込む程にはまるとは思わなかったです。

都道府県も圭太氏が出るからと広島へ行き、丸亀ハーフも圭太氏が出るからと香川まで行き、その後の3月の立川ハーフも行く気満々でいました。

まさか、現地で見る青学ユニフォームの圭太氏は丸亀ハーフが最後になるとは思わなかった。いや、これは本当に。圭太氏が4年生になったら関カレやトラックレースも見に行こうと思っていたのに、圭太氏の在学中にはそれは叶わなかったです。
未だに圭太氏のトラックレースを現地で見れていない(笑)
来季は可能なレースは全部見に行きたいところです。
観客受け入れはいつになるのか…(遠い目)

2020年度は「推せるときに推せ」という言葉の大切さを感じた年でもありました。圭太氏が3年生の時の出雲、箱根を迷いながらも行くことを決めて本当に良かった、と心から思いました。

⚫コロナ渦で迎えた2020年度

全日本の感想
箱根駅伝の感想①
箱根駅伝の感想②

主にこちらに書いてましたが、だいたいこのような感じでした。ツイ廃に拍車が掛かった年だった気がする←


⚫ネタバレ含むよ

最初の印象はクールな人だな、と思った。それが五連覇三冠を逃したあの時の涙を見て、熱い人だなと思った。先輩が好きだったんだろうな、という印象を受けた。

これを打っている2021年2月。大学駅伝の決算号の発売。
「いちばん影響を受けた先輩は?」で圭太氏は森田さんと答えていました。
全体的に2年生時の圭太氏はその世代の先輩と仲がいい印象があったので、その世代からの影響は強かったのかなと感じました。
そして、神林くんが「圭太はいい意味で根っこは変わってない。変わったのはチームに対する意識。学年が上がるにつれてチームのことを本気で考えるようになった。2年生で9区を走ってからちょっと変わった」(ニュアンス)と言っていて、圭太氏は4年生になってからは事あるインタビューで「同期」という言葉をよく使っていたことを思い出しました。
駅伝シーズンが近付くにつれて、圭太氏のインタビューで最も印象的だったのは「同期に結果で恩返しがしたい」というコメントでした。シンプルだけれど、圭太氏のこれまでの思いが詰まっているなと思いました。
そして、それが今日の退寮報告の「幸せな4年間をありがとう」に繋がるんだなと思ったら、それは涙無しでは見れませんでした。

「青学に入って良かったことは苦手としていたロードと駅伝に向き合えるようになった」というコメントを読んで、わたしは過去情報しか知らないけど高3の都大路で外したトラウマを克服出来たんだったら、それは圭太氏にとっては進歩だし、自信のひとつになったんだろうなと思いました。

大学ラストレースは優勝は取れなかったけれど、圭太氏を始め絆世代のみんなが「最高だった」「楽しかった」よりも「ありがとう」を沢山言っていて、涙が止まりません。
こちらこそ、素敵な世代を応援させてくれてありがとうと言いたいです。

本当にありがとう。
青学の中心で、エースでいてくれてありがとう。

3年生の時は周りからも学内からもエースと呼ばれ、プレッシャーの中走りきってくれて。
4年生の時は神林くんと共にダブルエースの存在で、お互い高め合いながら青学を背中で引っ張ってくれて。

「今年は青学のエースになりきれなかった」と言っていたけれど、応援すると決めた2019年度からわたしの中では圭太氏がずっと最高のエースでした。

最初は圭太氏の笑顔が見たいだけでした。
圭太氏が在学している青学が優勝すれば、自然と圭太氏の笑顔が見れる。そんな気持ちで青学を応援し始め、圭太氏の大学ラストレースが近付くにつれて自分の気持ちが冷めるのでは、と思っていたものが今回の絆大作戦で「圭太氏がいなくても青学を応援したい」と思わせてくれました。

ここまで箱根駅伝を、大学駅伝を、長距離という種目の楽しさを教えてくれたのは紛れもなく圭太氏の存在でした。

青山学院大学の4年間、本当にお疲れ様でした。
今後住友電工で競技を続ける圭太氏を、これからも応援させてください。

そして、いつか目標に向かって走っている姿を現地でまた応援出来る日を夢見て。

(わたしの現地観戦でのラスト青学ユニ圭太氏)

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