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箱根駅伝にハマったきっかけ

おはようございますこんにちはこんばんは、よしです。
コロナ影響で次の観戦の予定が中々立ちません。
3月の観戦予定が全て流れたのはシンプルに悲しい。
早めに落ち着いてくれることを祈るしかありません。

さて、今日はずっと書きたかった事を書いてみようと思います。

【箱根駅伝にハマったきっかけ】です。

⚫箱根駅伝との出会い


箱根駅伝の最初の記憶は
「なんかオレンジのユニフォームが目立ってた!」だった。
拓殖なのか、法政なのか、他の大学なのか。それは未だに分からないが(笑)

次の記憶は恐らく、2010年の箱根駅伝。
そう、東洋大学が2連覇した年。そして、山の神と世間が盛り上がっていた柏原選手の時代だ。
たまたま見ていて、メディアが沢山取り上げていたのもあり、記憶に残っていた。けれど、それまでだった。

そんなわたしが箱根駅伝をしっかり認識して見始めたのはいつなのか。

2011年ーーーーー夏。
当時の自分は『弱虫ペダル』という漫画にハマっていた。
どこかで「面白いよ!」な記事を見て、気になって読んでみたら、「なんでこんな面白い漫画を知らなかったんだ!?」って勢いでハマっていったのだ。
当時18巻まで出ていたのをすぐ全巻買い揃え、ひたすら読み返すぐらいにはどっぷりハマっていた。

ん?弱虫ペダルとは?
週刊少年チャンピオンに掲載されている、ロードバイクという自転車に乗って競うロードレース漫画です。
ただのヲタクだったはずの主人公の小野田坂道くんが、ママチャリでの漕ぎの速さを買われ、自転車競技部に入って様々なストーリーを繰り広げる漫画です。
最高の仲間にも会え、素敵な先輩に恵まれ、最終的には全国大会のレースで優勝に大きく貢献します。

…...今65巻という長続漫画ですが、興味持たれた方は!是非!笑
今でも胸熱な展開が続いております。
アニメにもなってるし、アニメ映画化もしたし、なんならドラマ化してたし、今度実写映画化します。しかし、実写はあまり得意ではないのでドラマはあまり知りません。実写映画化も乗り気ではありません。


話を戻して...。

その夏、どっぷりハマったその漫画で好きなシーンの1つが、主人公・坂道くんの先輩である巻島裕介という男とそのライバルの東堂尽八という男の学生最後の勝負、インターハイでのラストクライムのシーンだ。
山をロードバイクで走り登って競う、熱い戦いだった。

その舞台の山がそうーーーーー箱根の山だった。

作中でも「なんで箱根駅伝のビデオなんすか」「今度のレース、箱根が舞台だからだ。コースもだいたい同じだから見とけ」的な説明が出ていたこともあり、箱根駅伝を参考にしているのは確かだった。

「箱根駅伝を見れば、あの2人が登ったコースが見れるということか…!それは見よう!」なんて不純な動機込みで(笑)

ワクワクしながら迎えた、2012年正月の箱根駅伝。

「…すごい面白いじゃん」

気が付けば、【箱根駅伝】そのものを楽しんでいた。そういえば、箱根駅伝を最後まで見たのはこの年が初めてだった。
上手く言葉には出来ないが、一人一人の思いが伝わる、そんな箱根駅伝が素晴らしいと思った。
この年、初めて復路もスタートからしっかりテレビ観戦し、東洋大学の優勝までを見届けた。
1位から定められた時間を過ぎたら繰り上げスタートというシステム(?)もこの時、初めて知ったものだ。分かってるようで曖昧だった区間賞の意味、区間新記録の意味、そういう細かな部分の知識を得たのはこの頃だったと思う。

なんとなく知っていた箱根駅伝。
それが、“ 面白い”と気付いた瞬間だった。

この翌年から、箱根駅伝を意識するようになった。

⚫青山学院大学を知る

しかし、2012年~2015年頃までは本当に【箱根駅伝】しか知らなかった。
恥ずかしながら、2015年頃までは三大駅伝の存在もほぼ知らなかった。

2013年箱根駅伝
「こんな悪天候なのにすごいな。日体大の服部くん、まだ3年生?来年も走りそ~!」

2014年箱根駅伝
「設楽双子最終学年で2人して区間賞の総合優勝ってドラマじゃん!東洋すごいな!」

と言うような、単純な感想を述べるだけの箱根駅伝鑑賞だった。
そんな感じで過ごしていた自分が、今や三大駅伝もチェックし、それぞれの選手のトラックシーズンの成績チェック、チーム公式アカウントからの情報収集をして、それを踏まえて箱根駅伝に備えるようになったのだ。

そのきっかけは何だっただろうか。それも思い返せば、青山学院大学が1つのきっかけだったように思う。

ーー青山学院大学が初優勝をした、2015年の箱根駅伝が始まりだったのかもしれない。

ーーーーー2015年の箱根駅伝

この時までは事前特集や絆の物語、当日のピックアップ等で挙げられた選手しか把握していなかった。つまり、青山学院大学の存在はほぼ知らなかった。
2015年の箱根駅伝時のわたしの事前情報は【前回王者 東洋大学、全日本大学駅伝優勝 駒澤大学】ということだけだった。

そんな中、この年はスタートから好位置で緑のユニフォームがトップ争いに絡んできた。

「東洋後ろの方だな~。今年はこのままだと、駒澤かな~。なんか速そう。……なんや、緑ユニが凄い上がってるな!どこ!?青山学院大学?」

(自分の中で)全然情報のないチームがトップ争いに加わってる、ということに衝撃を受けた。そんな衝撃から、いつのまにか青山学院大学の動きを目で追いかけ始めていた。

そしてレースは4区へ。
当時1年生で、後に青学の軸となる田村和希選手が区間新の走りを見せた時だった。

他の情報を知らない故に、「誰…田村くん?1年生なのに早!すご!」が率直な感想だった。実に単純である(笑)

そして、5区の山へ。
これは説明不要に感じるが、皆さんもご存知の通り当時3年生の神野大地選手が山の中盤で駒澤大学を抜いて、柏原選手の記録を更新する区間新で往路初優勝。


自分が初めてちゃんと見たときは東洋大学が強かった。優勝争いに関わっていたのは日体大と明治と駒澤…というイメージが自分の中にあった。そのせいか、全くイメージの中になかった大学が優勝というものは中々のインパクトがあったのだろう。
わたしの中に、青山学院大学というチームの存在がインプットされた瞬間だった。

この年から“ 何となく“青山学院大学を意識するようになった。

(メディアが多く取り上げていたのと、自分の興味が大きくなってきていたこともあり、情報は沢山入ってきてたのもあるかもしれない)

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そこからは年単位で箱根駅伝への情熱が上がり、2019年度をきっかけに更なる箱根駅伝の沼へと深いところまでにハマりました。
(この辺りで、元々YouTuberさんについて語っていたTwitterアカウントをムリヤリ大学駅伝アカウントにしました 笑)

次回は【“ なんとなく応援“から“ 応援”に至るまで】です。
タイトルセンスの無さよ。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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