地虫鳴く

正誤も、善悪も、軸すらない。その中で最後に残るものはなんだろう。

作中にある一文が、この作品のテーマのひとつだろう。『地虫鳴く』は、御陵衛士と新撰組の物語を、三つの視点から交互に描く。サブタイトルは、新撰組裏表禄(うらうえろく)。まさに名前通り、新選組という組織を主軸にその裏と表を綴ったお話である。

結論から言うと、明るく読めるタイプの小説ではない。
「良い新選組小説なにかある?」と聞かれた時に真っ先に浮かぶ作品のひとつではあるが、万人に受け入れられる話かというとだいぶ微妙だ。暗い。頭を抱えたくなるほど暗い。誠を夢見た男たちの青春劇だとか、新撰組と御陵衛士の熱い戦いだとか、そういった類のエンタメ性はほぼ存在しない。巻末解説で「ここまで深い怨嗟を、屈託を、描ききった小説があっただろうか」と書かれているが、まったくその通りだとわたしも思う。華々しさなど微塵もない。この小説にはあるのはただ、地を這うようにして必死にこの時代に生きる、命の有り様だけだ。一途なだけでは生きられなかった時代を、それでも生きるしかなかった、これはそんな不器用で歪みだらけの人間たちの物語だ。
だけど、だからこそわたしはこの小説がめちゃめちゃに好きだ。どちらかというと、わたしは暗い話が好きではない。いわゆるハピエン厨だし、見なくても良い人の闇など出来れば見たくないと思っている。人が死ぬ話も嫌いだ。どうあがいても推しが死ぬ歴史ジャンル正直向いてないと思っている。

けど、何故かこの小説は読んでしまうのだ。もう何度目かの再読になるが、そのたびに胸がいっぱいになって涙が溢れる。かなしい話だからではない。かわいそうだからでもない。
この物語は、どんな生き方をする人間も等しく愛し、否定も肯定もせず描いてくれている。たぶん、それが堪らなく好きなのだ。

作者の木内さんは、デビュー作で「幕末の青嵐」という土方歳三をメインにした物語を書いている。さまざまな立場の、総勢16名の視点から語られる群像劇で、わたしはこの小説がとても好きだ。語り手によって180度印象が変わる登場人物たちを見ていると、本当のところなんて何も分からないのだと思えた。例えばこの物語の土方歳三は、ある人から見れば寂しがりやの天邪鬼で、ある人から見れば無邪気で純粋な若者で、またある人から見れば誰のことも信用できず全てをひとりで抱えこもうとする不器用な指揮官だった。かっこいい土方歳三は他の小説にも沢山いるが、こんなに人間じみた土方を見たことがなかった。なんかもう愛おしいという言葉をここぞという時に使うなら今だなと思えるほど好きだ。それは他の人物も一様である。周囲からの印象と、実際に本人の内面がまるで違う――そんな人間模様を淡々と書いている。

この地虫鳴くも同じだ。御陵衛士には御陵衛士の、新選組には新選組の正義があって、伊藤も、近藤も土方も、登場人物それぞれに貫きたい正義があった。それが善か悪かなど、誰にも決められない。
時代の中で知られなかった事実がある。伝わらなかった思いや願いがある。すれ違ったまま別れた人がいる。正しいことなど、どこにもない。

物事は、対岸から見れば違った景色が見えるものだ。歴史も人も、きっと同じなのだろうと思う。誰かにとっては悪人だったとしても、別の誰かにとってはかけがえのない存在であり、拠であることもあるのだ。

木内さんの書くこの物語には、主役も脇役も、勝者も敗者もない。作者はただそこに「存在した」すべての命を、等しく誠実に書いている。
ちなみに、地虫鳴くの語り部は三人だ。阿部十郎、尾形俊太郎、篠原泰之進。いずれも新選組を取り扱った小説では比較的知名度が低いのではないだろうか。
その中のひとり、阿部の生き方が特に印象的だった。タイトルの意味にも繋がる彼の内面はひどく歪で、それでも前に進もうともがいて這う姿は何だかもう見ていて息が苦しくなった。正直、おまえはなにを食べたらそこまで歪めるんだよ人生墨色か? と見ていて思う。だけど、なんだか読んでいて無性に泣けてしまうのだ。
この物語に出てくる近藤や伊藤のように、ただまっすぐに理想を語れる、あるいは自分の信じた道を突き進める人間が一体どれだけいるだろう。多くは阿部のように、誰かを羨んだり妬んだりしながら、進むべき道など分からず、迷っているのではないだろうか。人は環境によって、転げるところまで転げていく。独創的な思想もなく、冴える弁も剣の腕もない。どこへ行っても心から馴染めず、ただ時代に流されていくしかなかった阿部を見ていると、どうにも他人事には思えない。たとえ表舞台に立てなかったとしても、人はどうにか生きていくしかないのだと。そんな阿部が最後に自分と向き合う瞬間は心が震えた。

ひとつのエンターテインメントとして、幕末を取り扱った小説は沢山ある。中にはもちろん、とにかく登場人物の生き様がかっこいい素敵な話も多い。けれどその一方で、この物語もまた、得も言われぬ魅力があるとわたしは思うのだ。暗い闇の底で僅かに灯る、なにか暖かな光のようなものを感じる。それにとても惹かれる。

と、まあ昏い暗いと散々言いましたが、読後感はかなり良い方だと思っている。あくまで主観でしかないが、最後まで後味悪く終わるということは決してないはずだ。幕末の青嵐の時もそうだったが、読み終わった後は目の前に一筋の光が溢れ落ちるような、遠い昔を懐かしむような暖かさが胸に広がる。

わたしはこの小説の最後の一行がめちゃめちゃに好きだ。あれが救いじゃないなら何なのだろうと思うほど。初めて読んだ時は涙が出た。この物語で生きてきた人たちの、何もかも報われたような気がしたのだ。
そんなわけで好き嫌いは分かれるかもしれないが、何か新選組もので新しい話が読みたいと思った方にはぜひ。
表と裏の物語と書いたが、「表」には勿論、新選組の面々がいる。飄々として憎めないスーパーハイスペック監察方の山崎や、淡々として無気力だが優しい永倉など、いわゆる王道から少し違ったふうに描かれる隊士たちがたくさんいて楽しい。けれどそれもまた、誰かの目線を通してみた人物の一欠片でしかないのだろうと思うと、人物に対する考えも広がる。
ついでに幕末の青嵐も興味があればぜひ。先にそちらを読んでからの方がお話に深みが出るかもしれない。あの土方さんを見てわたしは沼振り返しました。

以上、読書感想文でした。

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