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文章を書く その2 布団と私と絆創膏

 なぜ文章を書いているのだろう、と思う瞬間ってありませんか。好きだから書いているんだと明確な人もいますし、得意と言われてとか、SNSで目立ちたいとか、憧れの人が書いているのを真似してとか、書くことで気持ちが落ち着く…とかあるとは思います。ですが、特に意味はないけれどなぜか書いているという人が大半なんじゃないかなと思います。その大半の人の中に私もいます。
 でも昨日「いい子として育ったから面白くありません」の記事を書いてから、少し意識が変わりました。何が変わったかというと、note記事を誰に読んでほしいかと考えるようになりました。みなさん出発点として、表現をするときに誰にというのを考える人が多いと思うのですが、恥ずかしながら私は自分のため、自己満足のために書いていました。もちろん側面として自分語りも大事ではありますが、そうすると私は内省的な話だとか暗い話になりがちです。
 どんな人に読んでほしいか?についてもう少し焦点を絞ってみようと思いました。結果はやっぱり自分ではあるのですが「部屋の片隅にあるベッドでスマホを片手に布団にくるまっている私」に読んでほしいと思ったのです。あの時の日常は暗くて、前が見えなくて、未来が怖くて、状況を解決できる何かを見つけたくてネットサーフィンをしていました。そんな自分に向けて「いい子として育ったから面白くありません」はちょっと酷いなと我ながら思います。
 かと言ってキラキラの、私は明るくてハッピーでみんなにも幸せになってほしい!という感情は私にはないんです。幸せだなと感じていますが、ただ淡々と生きています。あの布団にくるまっている暗い日々と何が違うのか考えてみました。不思議と、布団から出たくらいしか違いはないんですよね。じゃあどうやって布団から出られたかを考えると、まず姉がアニメを見ようと声をかけてくれたんです。新機動戦記ガンダムWでした。内容はあまり覚えていないんですが、毎日三時間くらいテレビの前で座っていたら、少しずつベッドから離れることができました。そうして布団から出てみると、窓の外に見える空が綺麗で、写真を撮りたいなと思うようになったんです。写真を撮るには外に出なきゃいけないから着替えて、近所の公園や団地まで行って木や花とか空を撮りました。
 私が文章を書く理由は、こうした過去の体験を言葉にすることで怪我に手当てをしている感覚になるからだと思います。治療や癒しというほど大げさではないんですが、切り傷を消毒して絆創膏を貼るくらいの気持ちです。読んだ人にとっても、根本的な解決策にはならなかったけどないより気が楽になったなぁと思えるような、絆創膏のような文章が書けたらいいなと思います。

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