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30代、1回無職になってみたら案外よかった

会社を辞め無職になり、まもなく3ヶ月経つ。


在職中は「働きたくない」って毎日思っていたけど、本気で無職になろうと思っていたわけではなかった。

ただ、働くことに疲れ切ってしまった。思い切って、一度立ち止まってみることにした。


退職後の生活は、想像していたよりもなんとかなっている。
勤めていた時とは、比べ物にならないくらい元気だ。心身ともに。


もちろん、いいことばかりではない。

収入源と社会的信用はなくしてしまった。
時には不安でたまらなくなる日もある。

それでも、これまで感じたことのない開放感と自由を手にしている。
人生を整えるために、一度必要なことだったのかもしれない。

とても良い機会になったので、感じたことをありのまま書いていく。


■健康が一番大事

無職になって一番良かったのは、心身の健康を取り戻せたことだ。


在職中はとにかく疲れやすく、いつも気が滅入り、趣味もどこか楽しめなかった。

日曜の夜はとくに、ぐっすり眠れたことなんて一度もなかった。

なんの不安もなく眠りにつき、
毎朝気持ちよく目を覚ます日々は、なんて幸せなんだろう


こんなことを毎日噛み締めている。




3ヶ月前、会社を辞めたのは「仕事のストレスによる体調不良」が原因だった。


すんなり退職はできなかった。

何個かプロジェクトを並行して抱えていたし、スキルアップを目指して転職がかなった会社で、入社してまだ2ヶ月半、やっと覚えてきた仕事、新しく出会えた人々、これまでの頑張り、その他諸々。

それらを簡単には手放せなかった。
無駄にしたくはなかった。


でも、自分の人生はもっと無駄にしたくないと思うようになった。

体がついてこなくなっていた。

このまま心と体を壊してゲームオーバーになるのはごめんだった。

「ここは私には合わなかったのが分かった、それだけで収穫だ」と考えたら、短期の退職にも前向きになれた。

離職後は、ノルマもプレッシャーも軋轢も恐怖もイライラもなくなった。
解放された。

みるみる健康を取り戻し、肌つやも明らかに良くなった。
献血を断られるほど底打ちした体重も、受け付けてもらえる基準まで戻った。

いまは運動や筋トレで適度に疲労し、それが安眠につながり、良いループになっている。
フィットネス系youtuberさん、まじでありがとう。


「健康第一」は考えてみれば当たり前のことだけど、そのあまりにも当然のことが、気が付いたときには蔑ろになっていた。

自分のベストコンディションがどんな状態なのか、思い出せてよかった。


単純に、その職場環境が合わなかっただけかもしれない。
仕切り直しだな、と思い、退職後にハローワークへ行った。

また同じような職場だったらどうしよう、という不安に駆られた。
焦って転職してまた同じことを繰り返すのか?
それは嫌だった。怖かった。

というか正直、疲れてしまった
結局すべて、これだった。
「働きたくない」が爆発した。
辟易していた。休みたかった。

転職先を探しにわざわざ足を運んだはずなのに、求人票を見ても全く応募する気になれなかった。


自己啓発に励まなければ。
スキルアップしなくては。
努力しなければ。
ちゃんとしなければ。

一度だけでいいから、そういうのを考えずに生きてみたかったんだと思う。


今まで働き続け、幸い、ある程度の生活資金はある。
おひとり様で、背負うものはない。
逆に今しか無職できないんじゃない?

結婚予定も全くないのに、謎にポジティブな思考だった。


心身も徐々に元気になり始めていたので、今後のことはこれからゆっくり考えることにした。


とにかく、精神の安定が保たれない環境にいるべきではないということは、とても大きな教訓になった。

私のメンタルは全く強くない。ストレス耐性に大変弱かった。

■自分の時間が増えた

最初は、心と身体を休めることに時間を使った。
好きなだけ寝たり、味わってご飯を食べたり、本を読んだり、ぼーっとしたり…そうしたら、少しずつ充電されていった。

満たされるまでは、思ったよりも時間がかかった。


そのあとは、生活を整えた。
大規模な断捨離をし、引っ越した。

もともと住み替える予定で、退職を検討するより前、契約だけは先に済んでいた。

手続きや片付けが落ち着くと、時間にも空間にも心にもゆとりが生まれた。
趣味だった創作に対する意欲も、少しずつまたわいてきた。



そうして、やっと現実が見えてきた。
さて、これからどうやって生きていこう?

今後の自分の人生を考える時間が来たと思った。
今まで、時間もエネルギーも、ほぼ仕事に割かれていたから。

というか、働いていれば、人生のことを深く考えずに済んでいた。
ラクだった。



昔から、将来の夢やなりたい職業を思い描くのが苦手な子供だった。
ただ楽しく生きていければ充分だ、と思う一方で、明確な夢や目標がある人が心から羨ましかった。
今もそう。


宝くじに当たったり、大きな不労所得がない限り、生きていくにはお金を調達しないといけない。

生きていくには、働くのが手っ取り早い。

でも、働き方よりも生き方を探すことが、30代の私には大事かもしれない。

どうやったら人生を全うでき、楽しめるのか。
何が好きで何が嫌いで、何を大切にして、死ぬまでに何がやりたくて、何を死んでもやりたくないのか。
働きながら叶える方法は?なんのために、どのくらい働けばいい?


生きる軸は、働き方の軸と同じなのだと思う。

それをしっかり持っておかないと、また同じことを繰り返してしまう。
働くことに疲れてしまう
どんな働き方だったら、大丈夫なんだろう。


これからの人生と、働き方についてじっくりと考える。
今はそのことに、自分の時間を充てることにした

考え続けても答えは出ないかもしれない。
あまり深く考えず、さっさと転職するべきなのかもしれない。
やってみて、続けているうちに初めて答えが見つかる、なんてものがほとんどだとも思う。

それでもいま、30年以上の日々を経験し、無職になり、自分の時間を得たからこそ、初めて人生と正座して向き合えている。


悩む時間がたっぷりとある。
どうせ同じ「悩む」行為なら、仕事のことで悩むより、自分の人生について悩むことに時間を使う。
そっちの方がいいし、私にとっては今一度やっておく必要がある。

せっかく無職になったのだし。
お休みがてら、生き方と働き方について考えている。


■社会のしくみを学んだ

これまで、税金や保険料のことにあまりにも無知だった。
給料天引きだった諸々を自分で支払う必要があることは理解していたとはいえ、役所から届いた通知書の金額を見てびっくりした。

生きるというだけで本当にお金がかかる。


ある程度の貯蓄があると言っても、富豪じゃない。
いつまで無職でいられるのか気になり、具体的に計算をすることにした。

調べる過程で、前納による年金割引や、付加年金制度などの存在も新たに知った。

失業手当は、失業したらもらえるという単純な手当ではなかった。

申請と給付の期間に期限が設けられていることも、全然知らなかった。

会社員、フリーター、フリーランス、自営業、それらを兼業する働き方、税制の違いなども気になって、調べたりした。
今度、人生初の確定申告をするということもあり、お手本になりそうな人のブログなどを読んでは、参考にさせてもらっている。

テクニカルな部分もそうだが、それぞれの人生が反映されているようで面白い。


せめて、自分の生活に関わるお金や社会制度くらいは、しっかり知っていこうと思った。
源泉徴収票を手に、いろいろ調べているところだ。

会社員を続けていたら、きっと知らないままだったこと、見えていなかった仕組み、概念がたくさんある。


■そうは言っても心配なこと

日々減っていくだけの資産残高は、「無職になってよかったなんて悠長に言ってる場合じゃないぞ」と、私に冷や水を浴びせてくる。

今すぐにでも働かなければ、と思えてくる。
計算上は、まだしばらく大丈夫なはずなのに。

ひどいあかぎれを起こすほど手を洗わずにはいられない潔癖症の人や、食べたくないのに食べずにはいられない過食症の人とかと同じで、働きたくないと思っているのに働かずにはいられないと感じてしまう、そんな類の強迫観念でもあるんだろうか?

基本的には、今の生活を愛しんで、謳歌している。
けれどたまに罪悪感と劣等感と不安でいっぱいになる。
ただの甘い考えなのでは、逃げているだけなのでは。

私は落伍者かあ、と思わずにはいられなく、落ち込む。
周りにはどう見られているのだろう、なんて言われるのだろう。

そんなことは思っていてもしょうがないのは分かっている。
他人の目は気にするな、自分を突き進め、とメディアや教育者からさんざん言われて育ったし、理解もしている。でも、そうは簡単にできないから困っている。

自分のなかに対極の意見が同時に存在し、矛盾している。
ゆらぎの振れ幅が大きすぎて戸惑う。


いずれ働かないといけない。
社会的に見て、私の世代は、労働力として脂がのっている時期だろう。
キャリアを築く最盛期に、自分探しのための無職をしている。
こんな人間を、企業は、社会は、受け入れるだろうか。

また私は働けるんだろうか。
働きたいという意欲を私は持てるのだろうか。
みんななぜ、そんなに働けるんだろうか。

本当にすごいことだと思う。
働くすべての人を尊敬する。


■おわりに/いま感じていること

退職してからほぼ毎日、100均のノートに日記を書いた。見返しながらこの記事を書いた。


言ってしまえば、「転職に失敗した30代の内省ログ」だった。
または「人生おやすみ体験記」みたいな、そんなところだろうか。


最近少しだけ、「働きたくない」と思っていた中身が分かってきた気がする。


つまり、私の「働きたくない」とは、
「過度のストレスにさらされたり、健康を損なったり、無意味なことや道徳倫理に反することをしたり、嫌いな人の利益のために長い時間を捧げたり、よく分からないまま責任を押し付けられたりする労働が嫌」
ということなのではないか、と。

それさえクリアしていれば、働けないこともない…と思いたい。

こういうことを少しずつ明らかにしていって、自分の譲れない条件を洗い出して、次の働き方を決める材料にしようと思っている。

その上で、楽しく働くことができたら、それはとても最高な環境だと思う。



ある日の日記には、「もう必要なものはなんでも持ってるな」と書いていた。
住む家、生活に必要な道具、健康な心身、人間関係。

特に人間関係には恵まれた。
あたたかい両親、理解ある兄弟、大切な友人、私の大好きな人たち。

前職の人とさえも(あんな形で辞めたのに)いまだに連絡を取りあう仲で、嬉しい限りだ。

久しい人に自分から連絡をとってみたり、連絡をくれた人には心を込めてありがたく返信したりした。
(しかしながら無職になったことを伝える勇気がなく、まだ一部の信頼できる人にしか伝えられていない。)

ともあれ、周囲の人たちへの感謝をいま一度感じる機会になったし、今後もいっそう大切にしようと思った。


これ以上望むものがあるのかなぁ。

私がいまモヤモヤしていることは、きっととてつもなく贅沢なことだ。

そのうち、自分が事故にあったり、親の介護が必要になったり、ひょんなことから子供を養うことになったら、マジで無職をやってる場合じゃない。

だからこそ、この時間は貴重なのだと再確認する。今だけだ。

人生の中で、唯一の機会なんだと実感する。

最近は、アプリを使って海外の人とメッセージのやり取りをすることが一つの楽しみになっている。
長年、ペンパルと海外交流できたら素敵だな、と思っており、時間があるのでこれを機に始めてみた。

なにより、遠い国の何者でもない人間になれるというのは、とても気楽でいい。

アプリを通じて、何度かメッセージのやりとりを繰り返すうちに仲良くなった友達がいる。

今の状況を相談したら、素敵な言葉をかけてくれたから、最後に書いておきたい。


「人生はレースじゃないよ。旅だよ

レースじゃなく旅。
いい言葉だなと思って、何度も頭の中で反芻している。


同世代が着々とキャリアを重ね、出産と育児に励み、努力を惜しまず、社会をまわしている。

私はそんな高速道路のレースでガス欠し、パーキングエリアで休憩しているような感覚だった。

でも最初からレースなんて開催されてなかった。

高速道路でもなかった。

そっかあ、と力が抜けた。


急ぐ必要も、車である必要もない。
ゴールも設定されていないし、観客もいない。

旅にアクシデントはつきものだし、そっちの方があとあと思い返して笑い話になりそうだ。

そう思うと、いつかこの経験が、私の人生のスパイスになるような気がしている。
大きな転換点でもある。


転職自体は失敗したけれど、無職でもうこれ以上失うものがないし、これからも積極的に失敗していこうと思える。

失敗したという経験になる。また失敗しよう。


どこに行っても、何を選んでも、新たに作っても、どんな方法でも、良い。
自分はメンタルが強くないと痛感したから、それに合った働き方を模索する。


この生活を終えても、もしかしたら結局なにも答えは出ないのかもしれない。

それとも急に天啓を受けて、また働き始めるかもしれない。


この機会を得たこと自体、本当に大きなリターンだった。


気持ちに余裕ができた。

いまは毎日のその日を楽しんでいる。
なにかを書きたい衝動に駆られたら、そのときまた書く。


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