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イナカの子(2)

街の少女、イナカへ行く

【第2話: 我は川の子】

イナカの夏。

子供は皆、夏が好きだ。
暑いのが嫌だとか、
日焼けが嫌だとか、
虫が嫌だとか、
そんなのは、
イナカの子には無い。

アラタも例外ではなく、
夏休みともなれば、
早朝から起き出して、
ラジオ体操に通う。

令和では考えられないが、
当時、アラタの暮らす集落では
町内の防災スピーカーから
リアタイでラジオ体操の放送を
流していたのだ。

朝早いのに、大音量。
集落中に、あのオープニングが
ガンガン流れるのを聞いて、
子供たちと、見張り兼
ハンコ当番の大人がワラワラと
会場まで集まって来る。

うるさいだとか、迷惑だとか
騒ぐ者など皆無だった。

それが、普通だったのだ。

ラジオ体操から帰ると、
アラタはゴム草履に履き替えて
魚捕り網を手に、川へ向かう。

家のそばの小道を走れば、
すぐに小川の岸に着く。

小さな川だが、向こう岸は
コンクリートの高い護岸で、
その下は水深もあり、
流れも早い。

こちらの岸は、なだらかな砂利で
周囲は葦などの草が繁茂する。

近隣の人は皆、ここで好き好きに
畑の野菜を洗ったり、
子供の靴を洗ったり、
農機具の手入れをしたりする。

みんなの川だ。
生活の一部で、家の一部。
水質だの、危険だの、衛生面だの
問題になった事も無い。

思えば、平和で呑気な時代だ。

アラタは、この川が大好きだ。
ザブザブと、腿まで温い水に入り
飽きもせず、魚や昆虫を追う。

同学年の女子はもう、
そんな遊びに興じないのだが、
アラタは楽しくて仕方ない。

オイカワ、カジカ、フナ、タナゴ

素早く掬い取ったり、
パン屑で撒き餌をし、
網を沈めて待ち伏せしたり、
様々な工夫やアイデアで、
魚を攻略するのが面白いのだ。

捕った魚はリリースする。

そんな遊びの中で、
自分がこの自然の中の
一部分であると感じていた。


アラタが転校した小学校は、
小さな村の学校だった。

木造平屋の長い校舎が、
広い運動場の端に建っている。

神戸の学校は、大きな三階建ての
鉄筋校舎であった。

運動場は狭く、別の場所に
グラウンドがあった。

32~35人のクラスが、
各学年とも、10クラスあった。

今の学校は、各学年それぞれ
1クラスしかないのだ。

つまり、
仲が良かろうと悪かろうと、
好きな子も嫌いな子も
卒業するまでずーっと
同じメンツと言う事だ。

イナカの学校の周辺は、
田んぼに囲まれている。

そして、田んぼに隣接する
25mプールもある。

このプールは、
川に直結しているらしく、
使用しない期間のうちに
川魚やらザリガニやら、
カメまで住み着いてしまうのだ。

なので、毎年プール開きの前に
全校釣り大会を開く。

プールサイドから釣糸を垂れ、
フナや鯉の大物を狙うのだ。

「ブルーギルがおる!!」

男子が騒いでいる。

まだ、一般的には外来魚が
問題視されてはいなかったので、
滅多に居ない、大きな魚は
男子たちの憧れのアイドルだ。

ブルーギル、ブラックバス
雷魚に草魚など、
今では害魚として、
駆除される彼らにも、
チヤホヤされる栄光の
時代がここにはあったのだ。

アラタの家の近くには、
『一本橋』と呼ぶ橋がある。
それは、ただ川幅の狭い部分に
幅1mくらい、厚さは約6cm
足らずの鉄板を渡しただけの、
何とも雑な橋である。

橋の真ん中で屈伸すれば、
橋はユサユサ大きくしなる。

落ちれば負傷は間逃れず、
最悪、溺死の危険もあるが、
イナカの子にそんな慎重な
小心者は居なかった。


アラタは、イナカの夏を
満喫していた。

街の夏も、地蔵盆に盆踊り。
露天の賑わいも楽しかったが、
イナカの夏は、大人主導じゃない
大らかで自由な喜びがあった。

夕立を避けた橋の下で、
アラタは生まれて初めて、
尖った岩山のてっぺんに
落雷の火柱が上がるのを見た。

目映い稲光の残像が、
目を閉じても長く焼き付いて、
アラタは恐怖と言うよりも、
畏怖の想いを自然に抱いた。

気が付けばアラタは、
扁桃腺を腫らして熱を出したり
気管支炎にも罹らなくなった。

イナカが良いとか、
都会が良いとか。
そんな決め付けなど意味は無い。

子供は、どこからでも学ぶ。
何からでも吸収できる。

それが将来の役に立たなくても、
お金や名誉に繋がらなくても、
心の豊かな大人になるには
必要な経験だと、後から思う。

それを、『想い出』と呼ぶ。

それは、いくら多くても
邪魔にはならない、財産になる。

どの子供にも、
そんな素敵な財産を持たせて
やれる世界であれば良いな。



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