思わせぶりな態度は罪深い

好きな人と出会えるのって、奇跡に近いんだなと感じる一方で、
なぜ、社会にはこれほどまでにカップルが成立しているのだろうと不思議に思う。

まるで、恋人がいることがマジョリティで、恋人がいることでその人の人間性に付加価値が付くような風潮もある。

本当に好きな人と出会えて、お互いに惹かれ合って、愛を紡いでいくなんてかなり難易度の高いものであるという考えは間違っているのだろうか。

異性の友達を好きになること

異性の友達を好きになってしまった経験はあるだろうか。
私は、ある。
もともとグループで遊んでいたところから、2人で会うことが多くなり、個別で連絡とったり、電話したりしていた。

グループから2人で遊ぶようになったのは、同じグループの中でカップルが出来てしまい、グループの構成が変わってしまったことがきっかけだ。

最初は、みんなが集まらないから2人で授業の後にご飯いったり勉強したりしていた。

私自身、異性の友達と恋人の線引きは2人でお出かけするかどうかだったので、ここで線引きが曖昧になってしまった。

そして、彼ももともと女友達とすることと恋人とすることの線引きが曖昧でな人だった。

ここで、書いたらどんな男やねん!(標準語で書きたかったけど、関西弁が一番しっくりくるのでこのまま読んでいただけると嬉しい)って思う方も多いと思うが、私も彼のことを好きになる前は、行為には至らないけど女性が好きな人なんだなとは思い、友達としてはいいけど恋人にはしたくないなと思っていた。

でも、2人でよく集まるようになってから、距離が縮まった。
疲れた時とか、しんどい時に会いたくなって、一緒にご飯食べにいったり呑みにいったり、特に用もないのに一緒に散歩したり、傍から見たら完全にカップルみたいだと思った。

周りからも、Aのこと好きでしょって言われるようになって、そんなことないよと言いながらも、意識はしていた。

ただ、元々男友達だ。それに、彼は女友達が多くて、思わせぶりな態度を無意識にやっているような人なのだ。

私も完全に、思わせぶりな態度にほだされて好きにさせられてしまったのだなと思う。
好きなことを諦めるのは辛い。顔を見るのさえ辛い。かといって、思いを伝えて今ある関係を壊すのも辛い。全てが八方塞がりで、結局自分の気持ちに蓋をするのが最適解であると気づく。

今までは、彼が自分を好きになってくれたらいいと思っていた。
彼の行動一つ一つに脈ありサインを見つけたら一喜一憂していた。

でも、最近気が付いた。彼は私のことを友達コレクションにしか思っていない。

ラインの返信が早いのも、何も気にしなくていいからで、スタンプが多いのも気楽に返して続ける気が無いから。
電話に出てくれるのも、関係が悪くなるのを防ぐため。
会いに来てくれるのも、散歩してくれるのも、別に友達だから。

一緒にいても、私から話題を振ることが多くて質問してくれることは少なかった。知り合いが居そうなところは、横に並んで歩いたりしなかった。足早に歩く姿を後ろから見ていて、複雑な気持ちになった。

気づかないようにしていたけど、考えれば考えるほど脈は感じられない。
あくまで女友達として。付き合ってくれているのだ。

そんなんだったらもうやめよう。
恋愛は、人生を豊かにするもののはずだ。

自分の趣味や仕事や家族と過ごす時間が主食だとしたら、恋愛はデザ―トで、デザート中心の食事は体を壊す。

大事なのは、デザートを楽しみに我慢できるほど、主食も魅力的なものにすることだ。

そうすることで、デザートに固執することもなく、生きていける。

ただ、そんなの綺麗ごとだっていうのも分かっている。
人間は欲望に忠実で、我慢するには理性が必要だ。

私は、デザートを我慢できる程、理性的な人間ではないし、欲に負けることなく大事なことを大切にできるほど賢い人間でもない。

寂しいという感情に振り回されたり、誰かといたいという気持ちだけで簡単に恋に落ちるような頭の弱い人間なのだ。

AC(アダルトチルドレン)になる過去を責めることもしたくないし、克服をすることできっと素敵な人と出会えることも知っている。

ただ、小さい頃から無償の愛を親から与えられて安全地帯として家庭が機能していて、見返りもなく他人へも愛を注ぐことが初期設定として備わっている人を見ると、この世の中は不公平だと思う。

清らかな人間になりたい。誰にでも愛を注げるような優しい人間になりたい。そんな思いで過ごして仮面を被っていても、ピンチの時には仮面がはがれる。人なんてそんなものだ。

だからといって、どうすることも出来ないが。
とりあえず今日からは、自分磨きを徹底しよう。
就活にも本腰を入れて。誰かに気に入られるため。
ではなく、自分が自分のことを好きになるために。

どんな、批判があっても自分は自分だと言えるために。
この世界に正解なんてない。
もし正解なんてものに当てはまるのなら、きっと無個性な人間へと変貌する。
そして、無個性な人間になったらきっとこう思う。
みんなと違うことが羨ましい。と。
正解の中では、正解と思えないのだ。

だから、正解なんて探すのはバカみたいだ。
大丈夫。
あなたのことを好きでいてくれる人は、きっといる。






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