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北斎<広重

大阪の中之島香雪美術館「北斎と広重」展に行ってきました。

北斎は波

葛飾北斎といえば波

富嶽三十六景のこの波、そしてこの構図は、日本人だけでなく、外国人の好みにもマッチして、日本の画師としての名声を世界に広めるに充分なものであったと思われます。

なので、北斎については映画やドラマでも数多く取りあげられ、美術に興味のない人でもその名前は知られています。

この展覧会でもおそらく広重より北斎目当ての人のほうが多かったのではないでしょうか。

歌川広重は一世代後に出てきた

37歳の年齢差のある北斎と広重。
「北斎翁の図にならいて」としてこの作品があります。

「葛飾翁の図にならいて」とある広重の作品
広重39歳、翁は76歳

お手本にした北斎の作品はこちら

北斎 富嶽三十六景「尾州不二見原」

「お手本」にしたぐらいだから、この二つの作品の制作年はかなり開いてるんだろうと思って調べてみたら、北斎は1831~33年頃の制作、広重は1836年。たった3~5年!ちょっと挑戦的ではないでしょうか?

二人の間がどんな関係だったのかはわかりませんが、交流があったということはどこにも出ていません。
ただ、北斎は広重が出てきたあたりから、木版画を辞め、肉筆画へと転向していくのです。

私は正直、広重の作品にやっぱり「勢い」のようなものを感じました。
後から構図を真似ているわけですから、その分を差し引いても、木々の流れ方とか動きを感じます。正直、粗い部分もありますが、それすら「若さ」→「エネルギー」のような印象を受けます。
片や、北斎の作品には落ち着いた楚々とした品がある。

あとは版元の違いによる色の出方でしょうか。
最初、広重のほうが色が鮮やかなのは、きっと40年近く年齢差があるから紙や絵の具が進化したのか?と思いましたが、制作年は数年しか違わず、それを考えると、木版画の出来の大部分を占める版元での作業が広重のほうが「大衆受け」する気がするのです。

ちなみに広重の「青」は「ヒロシゲブルー」として欧米で評価が高いそうです。

歌川広重の作品は、ヨーロッパアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。

この鮮やかな青は日本古来の藍(インディゴ)の色と間違えられることがあるが、当時ヨーロッパから輸入された新しい顔料であるベロ藍つまり紺青である。木版画の性質から油彩よりも鮮やかな色を示すため、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。

Wikipedia より

「富嶽三十六景」と「東海道五十三次」

葛飾北斎と言えば「富嶽三十六景」。そして歌川広重は「東海道五十三次」。
「富嶽三十六景」は1831年~1833年制作。北斎71歳~73歳。
「東海道五十三次」は1834年~1836年制作。広重37歳~39歳。

私が北斎なら、なんだかすごく気分悪い(笑)。
才能のある若い同業者がこれでもか!と迫ってくる。

歌川広重にもう少し注目します。

葛飾北斎があまりにも有名すぎたのか、私は歌川広重の作品を見ながら、「日本人(私のような美術が本業でもない多くの日本人)は北斎と同じくらい広重にも評価を与えていいんじゃないか?」と思えてきました。

もしかしたら北斎を真似てきた絵師としての道だったかもしれないけれど、残した作品はすばらしいものです。

タイトルの画像は、この展覧会で私が一番気に入った広重の作品です。
菊の花びらがすばらしい。私の好きなエゴン・シーレの菊を最後の画像に加えて終わります。

ドイツのアカデミー(美術学校)の入学試験で、エゴン・シーレが合格した同じ年に、
あのヒトラーは不合格だった…(世界を変えた入試だったと私は思っている)



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