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『お早よう』 メンタルクリニックの映画館

『お早よう』 小津安二郎 1959年


【前口上】

 今日は、小津安二郎監督の『お早よう』をご覧いただきます。小津晩年の佳品です。

 小津安二郎作品というと「小津調」ということばがあるくらい、特色のある映像の文体を持っていまして、部分をパッと見せられても、すぐに、あ、小津だと判る。ローアングルの固定カメラの多用と独特の会話のテンポで有名です。

 いちばん広く観られているのは、原節子をヒロインにした三部作『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)と遺作の『秋刀魚の味』(1962)あたりでしょうか?そのほか、サイレント期の『生まれてはみたけれど』(1932)、戦時下の『父ありき』(1942)などなど、名作があまたありますが、皆さんは何をご覧になっていますか?

 小津作品を、私はかねてもう一度系統的にしっかり観直したいと思いながら、なかなか実行できないでいます。今日は、改めて入門編のつもりで選びました。これから上映する『お早よう』ですが、一見すると、ほのぼのとしたホームドラマのように見えますが、よく見ると、結構鋭くてチクチク痛い社会批評が潜んでいることに気付いたりもします。

 そのことは、例によって、上映後に少しお喋りさせていただきますが、全体は軽い喜劇仕立ての作品ですので、まずは気楽にお楽しみ下さい。



【上映後】

 『お早よう』をご覧いただきました。

 日本の庶民の家庭にテレビが普及しはじめた頃の、東京郊外の町を舞台にしております。
 白黒テレビや電気洗濯機を月賦で買う、という話がでてきますが、いま挙げたふたつに電気冷蔵庫を加えて、当時 “三種の神器” と言われたものです。この映画が作られた数年前(1956年~57年)の好景気が“神武景気”(日本の歴史開闢かいびゃく以来の好景気の意)と呼ばれたので、神武天皇神話の三種の神器にひっかけて、また高価であるにもかかわらず当時の消費の花形であったので、テレビ、洗濯機、冷蔵庫を“三種の神器”と呼んだわけです。

 その一方で、「あら、いいホウレン草。高くなったわよ、お野菜」「これで20円」「そう、滅多にお浸しも食べられないわね」だとか、「なぁんだい。お母さん、またサンマの干物と豚汁かい?」「ゼイタク言うんじゃないの」という会話もありました。

 経済の高度成長とともに諸物価が高騰して、食費を切り詰めないと、なかなか暮らしが成り立たない。

 そんな中での庶民の日常のひとコマです。


冒頭、第3ショットから

ご近所の位置関係は平面図に再現できる

 映画の冒頭、高圧電線の鉄塔の下に、平屋の建売住宅がならんでいます。各々の家の木の柵は、白いペンキで塗られていて、まだ新しいですね。この団地の住民が、まだわりあい新しい住民であることを示しています。

 路地風景は、この映画のなかに何度も現れますが、路地の奥にやや大きな川の堤防が見えて、そのふもとに同じような間取りの家が並行して建っています。

 堤防の上の道を、兄の実たち中学生三人組が、♪有楽町で逢いましょう♪ を唄いながら学校から帰ってくる。小学生の弟の勇がいっしょにくっついている。フランク永井のあの曲が大ヒットしていた頃だったんですね。

 オナラのギャグは、なかなか秀逸です。「軽石をけずって粉にして飲むとうまく出せる」なんて悪戯、誰が思いついたんでしょうね。軽石は、最近の家庭ではもう見かけなくなりましたが、若い方、わかりますか?お風呂で使うんです。小さな穴がたくさん開いていて、水に浮きます。かかとの垢すりに使ったものでした。

 4人の子供たちは、路地風景に出てくる、勝手口どうしが向かいあった4軒のうち3軒の家の子供たちです。
 いきんでパンツを汚してしまった息子がお尻を気にしながらのろのろ帰ってくるのを見て、杉村春子の母親が「どうしたの?」というところ。杉村春子が画面左向きだったのが、路地の息子のショットを挿んで次のショットは右向きです。注意深い方は、瞬間、 “アレ?”と思ったはずです。《画面の方向性の原理》(イマジナリー・ラインの原理)という映画の文法の基本があるんですが、その基本原理をわざとはみ出すことをやっている。

《画面の方向性の原理》をはみ出すショットつなぎ

なぜ、そんな撮り方をするかというと、登場するご近所同士の位置関係を、観客に立体的に想像させるため、わざとそうしているんです。

 ご近所の位置関係は、映像やせりふから、平面図に割合簡単に再現できます。

 路地をはさんで、勝手口を向かいあわせて4軒の家が並んでいます。
 助産婦のお祖母さんがいる(杉村春子の)原口家、(高橋とよの)大久保家、(長岡輝子と東野英治郎の夫婦が住む)富沢家には子供はいません。
 実(設楽幸嗣)と勇(島津雅彦)の林家は、子供と両親(三宅邦子と笠智衆)に母親の妹(久我美子)の5人家族。
 テレビを持っている丸山夫妻は、林家のとなり。 

婦人会費をめぐるトラブル

 シーンが前後しますが、大久保の奥さん(高橋とよ)を富沢の奥さん(長岡輝子)が訪ねてきて、妙なウワサ話をはじめる。払ったはずの先月分の婦人会費がまだ納まっていない、ウチの組だけまだだ。会長さんにそう言われた。

「おかしいわよ。でも、まさかねぇ」
「なぁに」
「ねぇ、ほらお隣、電気洗濯機買ったじゃない」

 婦人会と言っていますが、町内を10軒とか15軒ずつ組みにして、隣近所で回覧板を回したりして組長を置いている。町内会と同じようなものでしょう。組長は、原口の奥さん(杉村春子)です。

 次に、富沢の奥さん(長岡)は、林家を訪ねる。実と勇の母(三宅邦子)は、組の会計をしています。

「ねぇ奥さん、あのねぇ、ちょいと妙なこと伺うようだけど、貴方お集めになった婦人会の会費ね、あれ組長さん所へお届けになった?」
「ええ、もうとうに。十日ぐらい前かしら」
「そう、やっぱりねぇ。それがね奥さん、まだ会長さんのところに届いてないんですってさぁ」
「どうしてでしょう」
「いえね、大久保さんの奥さん仰るのよ。組長さんとこ洗濯機買っちゃったって…」
「でも…まさか…」
「そりゃそう。でも大久保さんの奥さん、確かに貴方にお渡ししたのにって…」
「ええ、そりゃ確かに頂きましたわ。じぁあ組長さんに伺ってみましょうか?」
「でもねぇ…もしかして…」
「だってあたくし…確かに…」
「そりゃ、そう。奥さん間違いっこないわよ」
「じゃあ、どういうんでしょう…困りますわ、あたくし」

富沢の奥さん(長岡輝子)
実と勇(林家)の母親(三宅邦子)

 富沢の奥さんは、ちょっと困った人ですね。自分が振りまいているウワサを他人が言っていることにしてしまう。しかも、そのことに無自覚なように見えます。それから、納められていない婦人会費と洗濯機を買ったという別個の二つのことを邪推して結びつけるのは、 “隣の家に蔵が建てばウチでは腹が立つ” という、古くからある嫌なことわざを想い起させます。他人の幸福を見て嫉妬を感じてしまうのは、人間に普遍的にありがちな事かも知れませんが…。

 実と勇の母(三宅)は、大久保の奥さん(高橋)を訪ねます。

「ねぇ奥さん、いま富沢さんから伺いましたんですけれど、先月の婦人会の会費ね、あたくし、もうとうに組長さんにお届けしてありますのよ。
 何ですか、大変ごたごたしているようで、まるで、あたくしの責任みたいで、あたくしとしても、本当に…」
「あらア、そんなことありませんわよ奥さま。判ってますわよ、お宅じゃないってこと。嫌ですわ。わざわざそんな事で」
「でも、あたくし…」
「いえね、ただね、お隣り洗濯機買ったもんだからなんて、富沢さんの奥さんが仰るもんですからね。だから、つい」
「でも、それと、あたくしの方とは…」
「そう。そりぁそう。そりぁ全然関係ありませんわよ。でもね奥さま、それがまだ会長さんのところへ納まってないっていうのは、どう言うんでしょう。一番ご迷惑なのは貴方よ、ねぇ奥さま?」
「じゃあ、あたくし組長さんに一度伺ってみますわ。あたくしとしても責任がありますから」
「あ、そりゃお止しになった方がいいわ。そうなったら組長さん立場ありませんもの」
「でも、あたくし」
「大丈夫よ奥さま。皆んな奥さまを信用していますもの。誰が黒いか白いか、そのうちハッキリしますわよ。安心してらっしゃいよ。 “犯人はだれだ”ってなものよ。 ほら、こないだ駅前の映画館でやってたじゃないの…」

大久保の奥さん(高橋とよ)

富沢の奥さんには困るけど、大久保の奥さんのようなのも困る。根拠も充分でないウワサに同調しているだけでなく、富沢の奥さん同様に無責任です。

 隣近所のつき合いで、普段からちょっとした買い物でお金を立て替えあっている間柄なんだから、それとなく「婦人会の会費、会長さんがウチの組だけまだだって言ってるそうですよ。貴方、忘れてない?」って聞けば、それで済む話じゃないですか。

 実と勇の母親は、直接組長の原口さんを訪ねずに大久保の奥さんを訪ねています。これは、大久保の奥さんがウワサの発信元だと聞かされていたからですね。そして、結局、翌朝原口の奥さんが怒ってやって来るまで問題を放置しています。まぁ、きいてみようと思っているうちに原口さんが先に来ちゃったのかもしれない。他の奥さんたちと同様に彼女が無責任だったのかどうかは、微妙ですが…。

原口の奥さん(杉村春子)は、怒って林家に文句を言いに来る

 婦人会であれ、町内会・自治会であれ、隣近所のつき合いはちょっと面倒でわずらわしい面もあります。が、本来はその会を構成・参加する、ひとりひとりの自発性に支えられて運営が成り立つものですよね。ひとりひとりが、できる範囲でちょっとずつ役割と責任を分担する。

 いま、「参加」という言葉を使いましたけれど、英語で「参加する」ことを “take part” と言いますね。かつて、オリンピックで有名になった「勝つことではなく、参加することが重要だ」、 “Not to win, but to take part” という言葉がありました。 “take part”あるいは “take part in” というのは、ある特定の人が、ある特定の部署を責任をもって果たすという意味ですが、平易な言葉のなかに、そのことの重みが、ニュアンスとして伝わってきます。

 ところが、この “take part” を「参加する」という日本語に訳すと、 “take part” が持っていた、ひとりひとりの決断(判断)と行為と責任とを背景にもつ、厳しい意味内容がどこかへ飛んで行ってしまって、「ともかく顔をだしておけばいいんだろう、何しろ参加することが重要だから」という、はなはだ無責任な響きをもつ言葉に化けてしまう。―ということを内田義彦さん(経済学史・社会思想史)が学会や会社の “日本的会議” のもたれ方などを例に挙げて書いておられるのですが、『お早よう』に登場する奥さん連は、ひとりひとりが自分の判断と行為に責任を持つという面が弱いようです。

 この婦人会費をめぐるトラブルは、個人が「参加」(take part)することなく、集団の中に埋もれてしまっている日本の社会にしばしばみられる一面を、コミカルに鋭く、切り取って示してくれているように思うんです。


 婦人会費は、結局、組長の原口の家のお祖母ちゃん(三好栄子)が、預かったお金のことを忘れていたことが判明します。
 物語では、その間、押し売りのエピソードが挿入されています。この産婆をしているお祖母ちゃん、厭な押し売り(殿山泰司)が来ても肝が据わっています。鉛筆を売りつけようとするのを取り上げて、台所から刺身包丁を持ち出して削って見せ、退散させてしまうシーンが傑作ですが…。

 さっき、ぷんぷん怒って、実と勇の母親のところへ文句を言いに行った原口の奥さん(杉村春子)は、すぐニコニコと「本当に申し訳なくて」と詫びに行く。正直で、曲がったことが嫌いで、でも少しそそっかしいという庶民のある典型ですね。

 このトラブルには“オチ”がついていまして、原口の奥さんが家に戻ろうとすると富沢の奥さん(長岡輝子)から呼び止められる。富沢の奥さんは、原口さんのウワサを振りまいた張本人ですが、怪しげなセールスマン風の男から防犯ベルを売りつけられている。話をきいてみると、最前の押し売りからも、鉛筆とゴムひもを買わされている。

「あ、そういう奴がおりますんで、(この防犯ベルは)警視庁方面からも大変奨励されておりまして、如何ですか、奥さんおひとつ?」
「そうねぇ…もらっとこうかしら」

 だいたい、ご近所さんであろうがセールスマンであろうが、他人を信用できるかどうかを見極める判断力が磨かれていないから、こういう目に逢うんじゃないでしょうか。

 富沢の奥さんから「お宅どうする」ときかれて、原口の奥さんは、「ウチはいらない。…お祖母ちゃんがいりゃ、大抵のことは大丈夫よ」と言って帰ってゆきます。

 勝手口から入ろうとすると、向かいの大久保の奥さんが外に出ている。

「あ、いいお天気ね」
「ほんとにいいお天気」

 みな、婦人会費をめぐるトラブルは忘れたようになっています。


産婆をしている原口家のお祖母ちゃん(三好栄子)


子供たちの ”沈黙ストライキ” と、その波紋

 さて、実(設楽幸嗣)と勇(島津雅彦)の兄弟は、ウチでもテレビを買ってほしい。双葉山と若乃花の相撲をテレビで見たい。おばちゃんの節子(久我美子)に「ラジオでわかるじゃないの」と言われたって、「ダメだい。テレビでなきゃ」「ラジオじゃ見えないよ」。そりゃ、そうですよね。迫真性が違います。で、ガマンできなくなって、両親に盛大に駄々をこねる。父親(笠智衆)が怒って叱ります。

「だいたいお前たち何だ。いつまでも一つ事をぐずぐず、女の腐ったのみたいに。子供のくせに余計なことを言いすぎる…」

 子供は黙って親の言う事を聞けというのは、かなり昔風の叱り方だと思いますけれど、皆さんがこの子たちの親の立場ならどうしますか?「ぐずぐず女の腐ったのみたいに」―私も両親からそういう叱られ方をした世代ですが、今なら女性蔑視だと批判されそうですね。

「だったら大人だって、余計なこと言ってるじゃないか。コンニチハ、オハヨウ、コンバンワ、イイオテンキデスネ、アアソウデスネ」
「馬鹿ッ…男の子はぺちゃくちゃ余計なことを喋るんじゃない!ひとつ黙っててみろ!!」

 という次第で、実と勇の兄弟は、 “沈黙ストライキ” で大人に対抗しようとします。

 この沈黙の行ですが、私があのくらいの年齢なら、せいぜい自分の両親を相手にするぐらいで止めておくところですが、この子たちは世の中全体を相手にしようとしますね。スケールがでかいです。これをご近所でも学校でも英語塾でも徹底するからエライものです。当然、家族以外のまわりの大人にも波紋をひろげる。子供たちが思ってもみないところでハプニングが起こります。

 ハプニングの最たるものは、奥さん連のいざこざが相手を変えて再燃することですね。

 朝、実と勇の兄弟は、原口の奥さんが「お早よう」と声をかけたのを、返事しないで黙って通り過ぎてしまう。原口の奥さんは、兄弟の母(林の奥さん)が昨日の婦人会費のトラブルをまだ根に持っているのだろうかと疑う。勝手口が向き合ったどうしで大久保の奥さんと顔を合わせると…

「ねぇ、変よ、お向い。…ウチでね、婦人会の会費ちょっと遅らせたらね、それで、まるで、あたしのとこが洗濯機買ったみたいなこと言いふらしてんのよ」
「ああ、そう。そりゃ、ひどいじゃない」

 ウワサを言いふらしたのは、林の奥さんだと思っているのは、原口の奥さんの誤解ですが、ウワサに加担した大久保の奥さんは、自分のしたことを、もう忘れているようです。

「それで、あたしね文句言いに行ってやったのよ。そしたら話が判ってペコペコ謝ったの…」

 これは、話が逆だ。

「そこまでは、いいのよ。ところが奥さん、それを根に持っちゃってね、子供にまで言いふらして、今朝だってあたしがあいさつしても知ら―ん顔してんの。 どういうのかしら。あたしにゃ、あんなことできないわ」
「そう、そんな人なのかしらねぇ、あの奥さん」

大久保の奥さんは、また、すぐ同調する。

「そうよ。そうなのよ。あたし、びっくりしちゃった。まさかと思ったけどねぇ」
 ……
「気ィ許しちゃ駄目よ。小さいことだって根に持つんだから」
「そぉ、そうかも知れないわねぇ。あ、じゃぁあたし、このあいだ借りたビール返しとこうかしら」…
「そりゃ早く返さなきゃ駄目よ」
「そうね。ああ、いいこと教えていただいた」

大久保の奥さんは、林家にビールを返しに行きます。ついでに、いつぞや出してもらったバス代まで切符で返す。大久保の奥さんは、まっすぐ帰らないで富沢家へ寄ります。そこで、林の奥さんから何か借りていたら返しに行ったほうがいい、とふれて回るんですね。…困ったもんですねぇ。富沢の奥さんの、

「じゃ、このあいだウチのミーコが干物くわえて来たけど、やっぱり返しといた方がいいかしらねぇ」

というせりふになると、そのまま新作落語になりそうですね。実と勇の母親は、何故ご近所の奥さんたちが急に冷淡な態度をとるようになったのかと困惑する。

 先程も言いましたが、ご近所さんであろうが、見ず知らずの人であろうが、およそ他者を信用できるかどうか、自分の目で見極める判断力を持っていない。これは、婦人会費をめぐるトラブルで、ひとりひとりが自分の判断と行為に責任をもつことが弱いということと表裏の関係にあるんじゃないでしょうか。
 喜劇仕立てで誇張されていますが、こうした類のことは、自分の身の回りを見まわしてみても、よくありがちのことのように思うんです。


「大人だって余計なこと言ってるじゃないか」

 「大人だって余計なこと言ってるじゃないか。…オハヨウ…イイオテンキデスネ、アアソウデスネ」というのは、子供らしい屁理屈です。が、このせりふは、この映画に登場する、大人の日常会話全般を批評する役割を担っているように思えるんですね。

 それは、子供の眼からみた大人というよりも、大人どうしの自己批評を促すような性格のものです。そこで批評されるものが、例えば主婦どうしの会話であり、また、男どうしの居酒屋の会話なんじゃないでしょうか。


 駅前の一杯飲み屋では、父親(笠智衆)が、定年をひかえた富沢さんのご主人(東野栄次郎)の愚痴の聞き手になる。

「…嫌なもんですぞ、なま殺しでねぇ。会社じゃ定年になりゃ、もう、おまんま食わないように思ってますがねぇ、おまんまも食ぃや酒も飲みまさァ。
 かかぁはうるさくいいやがるし、探しに行けども口はなし、どこまで続く泥濘ぬかるみぞでねぇ。 あまが下には隠れ家もなし、はかないもんでさァ…」

サラリーマンの老いの悲哀ですね。当時のサラリーマンの定年は、50歳か55歳。せりふにも出てくるように、退職金も老後の生活の保障にはならない。

「向こうだって考えてますよ。そうは寄こしませんよ。
…三十年、雨の日も風の日も…
ねぇ、混んだ電車に揺られて、あーあ、はかない、はかない…」

と言いながら、酔いつぶれて眠ってしまう。

 友人や知人の悩みや憤りに耳を傾けて聴いてあげる。聴いてあげて、共感したり同情したりする。他者に共感することは、私たち人間がお互い人間らしく生きてゆくための大切な徳性です。

 ただ、日本の社会では、私憤は私(わたくし)の憤りとして、愚痴話のなかになだめられてしまって、公の意見として発せられることも、公憤こうふん(おおやけのいきどおり)にまで高められることも少ないですね。

 父親は、また別の日には原口さんのご主人(田中春男)や相客(菅原通済)と、

「ねぇ、ウチのボン、(テレビを)買うてくれ、買うてくれ言う気持ちも判りまっせ。そりゃよう判る。ウチかて見たいですもん。けど買えまへんわ」
「いゃあ、買える買えないはともかく、私は欲しくありませんねぇ。誰だったか、テレビなんてものは、一億総白痴化の元だなんて言ってますしねぇ」
 …
「テレビね、一億総白痴化か…困ったもんですね、テレビ」
「やっぱりお困りだっか?…ふうん…そういうもんかいなァ」

 なんて、居酒屋談義しています。ちなみにテレビの普及について “一億総白痴化” という警句を吐いたのは、評論家の大宅壮一です。ですが、テレビというものは、お茶の間と外の広い世界とを繋ぐ通路のようなもので、人びとの生活の視野をぐっと拡げてくれる―本来そういう機能をもったものです。大宅壮一の発言も、単に国民がモノを考えなくなって馬鹿になるという主旨ではなく、同じ頃 “一億総評論家の時代” という言葉も残しています。

 いずれにせよ、生半可な知識で、判ったような気になって、世の中ああだこうだ、と論じ合っている。居酒屋談義とは、しばしばこういうものです。

 


 こうして、子供たちの “沈黙ストライキ” は、ご近所の奥さんどうしを仲違いさせたり、逆にご主人どうしを近づけたりします。

 そうこうしているうちに、富沢さんのご主人の再就職が決まる。新しい仕事は電気屋の外回りの営業で、父親は富沢さんからお祝いに、テレビを月賦で買うことにします。

 同じころ、子供たちは、テレビを買ってくれない両親への反抗心から、おひつとやかんをこっそり家から持ち出したまま、夜になっても帰ってこない。家の大人たちが心配して騒動になりかけたところを、英語塾の先生平一郎(佐田啓二)が兄弟を見つけて連れて帰ってくる。

「あんまり叱らないでやって下さい。この子たち、駅前でテレビ見てましたよ」

 子供たちは、廊下に置かれたテレビの大きな箱が置いてあるのに気づく。

 大はしゃぎする兄弟と父親のやり取りが、微笑ましいです。弟の勇は、フラフープが上手いですね。幼い子供が喜びの感情を爆発させて興奮しているさまが、よく出ています。


 翌朝―物語の発端から数えて6日目の月曜日です。実と勇の兄弟が、元気よく、原口と大久保の奥さんにあいさつして、登校して行きます。ふたりの奥さんが、怪訝そうに顔をみあわせていると、そこへ富沢の奥さんが通りかかる…。

「ねぇ奥さん、林さんとこの子、今朝とっても愛想がいいのよ。どういうんでしょ」
「ほんとよ。お早よう、お早よう、なんてどういうんでしょ」
「ああ、そんなこと、あんたたちの思い過ごしよ。あそこのお宅、どなたもみんな善い方よ。奥さんだって、よく判ってるし… 街行くけど、なにか買い物ない?なきゃ、また…」
 ……
「ちょっと、どうしたの?あの人…」
「きっと何か買ってもらったのよ。電気コンロかなんか…でなきゃ、あんなはずないもの」
「そうよね。現金なもんよ」

自分の吐くせりふが、そのまま自分たちを批評しています。


 一方、駅のプラットホームでは、兄弟のおば節子(久我美子)と英語塾の先生平一郎(佐田啓二)がバッタリ出会う。

「やあ、お早よう」
「お早よう、昨夜ゆうべは、どうも」
「いやァ…」
「どちらへ?」
「ちょいと西銀座まで」
「ああそう、じゃ、ご一緒に…」
「ええ…ああ、良いお天気ですね」
「ほんと…いいお天気」
「この分じゃ、二三日続きそうですね」
「そうね…続きそうですわね」
「…ああ、あの雲、おもしろい形ですね」
「…ああ、ほんと。おもしろい形」
「何かににてるなぁ…」
「そう。何かに似てるわ…」
「…いいお天気ですね」
「…ほんとに、いいお天気…」

 ふたりは、お互いに好意を抱いているのが判っています。しかも、子供たちの “沈黙ストライキ” 騒動のおかげで、ふたりの距離は、ぐっと縮まったはずなのに。それだけに一層、 “余計な” お天気の話しかできないという、おかしさ。


 長くなったので、私のお喋りもこれで止めにしますが、人間関係はお互いに育てあうものですね。人は社会をなして生きるように作られていて、そうしなければ生きてゆけない。けれども、大人って、確かに “余計なこと” ばかり言っているような気がします。



『お早よう』
(松竹大船、1959年、94分)


製作:山内静夫
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧・小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:黛 敏郎
美術:浜田辰雄

*配役*
林敬太郎   笠 智衆
林民子    三宅邦子
林実     設楽幸嗣
林勇     島津雅彦
有田節子   久我美子
原口みつ江  三好栄子
原口辰造   田中春男
原口きく江  杉村春子
原口幸造   白田 肇
大久保しげ  高橋とよ
大久保善之助 竹田法一
大久保善一  藤木満寿夫
富沢汎    東野栄次郎
富沢とよ子  長岡輝子
福井平一郎  佐田啓二
福井加代子  沢村貞子

押し売りの男 殿山泰司
防犯ベルの男 佐竹明夫
客 通さん  菅原通済


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