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子は「いつか返す日(=自立)」が来る。

子は授かりものではなく、預かりものなのです

私が通っていた幼稚園で、母が保母さんから聞いた言葉です。この言葉を聞いた時、すごく納得したようで、それからずっと心に止めて私を育ててきてくれたと知りました。

そして今、私自身も子を育てる身になって、この言葉が頭を過ぎります。

8か月前、命を懸けて産んだ息子。私たちのもとに産まれてきてくれてありがとうと何度も思いました。でも、息子は私たちのもとに産まれてきてくれただけで、「私たちのもの」ではない。授かったのではなく、預かっただけなのだと思うと、ちょっと息子との向き合い方が変わるなあ、なんて。

産まれたその日から、「自立」に向かって歩んでいる

産声と共に、彼は自分の人生の歩みをスタートさせました。だから親である私は、彼の「人生」を、「意志」を、尊重してそばで見守る、そんな気持ちで息子と向き合っています。もちろん、まだまだ小さいので危ないこともするし、きっとこれから先、「ん?それはちょっといただけないわね」というシーンでは叱ることもあると思います。必要に応じて、正しく導くことは親の役割なので、そこは向き合いつつも、どんなに小さくても一人の人間として彼を尊重し、彼の意志を応援していきたいです。

そして実際、人間は素晴らしい生き物で、まだ8か月の赤ちゃんである息子にも、しっかりとした「意志」があり、「自立」しようとする姿が見られます。

先日、息子は椅子から転落してしまい、右腕を骨折しました。

最初は全く右腕を動かさなくて、どこかぼーっとしているような、動きが鈍いような、そんな様子でした。でも1日半経ったくらいから、徐々に右腕を上げてみたり、指を動かしてみたり、ハイハイの姿勢で左腕だけを使って前進しようとしてみたり、つかまり立ちにも挑戦してみたりして、動けないなりに自分で工夫して動こうと遊ぼうとするのです。

彼には「動きたい」「遊びたい」という強い意志があり、今の自分にできる遊び方を私に頼らずに模索しながらチャレンジしていました。少なくとも、私にはそんな風に見えました。「こんな動きはできる?」「お、結構いける。」という風に、自分の体を使って実験でもしているかのように、自分と対話しながら確実に動きの幅を広げていっていました。

だから私は、「頭打ちそう~。」「それは無理ちゃう?」という動きをしようとしていてもあんまり止めない。笑 左腕だけでつかまり立ちをしようとしてごろーんと転んでも、そういう失敗をしながらどんどん成長していったからです。むしろ失敗したことが悔しい、前まで出来ていたことができなくてもどかしい、とでも言っているかのように、失敗しても果敢に攻めた動きをし続けていました。

でも、最初からそう思えたわけでは決してないです。

怪我したばかりの頃は「右腕怪我してるから治るまで動かしちゃだめよ〜!」「危ない〜!ここで大人しくしてて〜涙」と、動きたがる息子を大人しくさせようと色んな動きを制限させていました。なんなら、ずっと抱っこ状態・・・。

しかし病院の検診時に「本人が右腕を動かそうとしちゃうのですが、その場合は止めた方がいいですか?」と尋ねると、先生から思いもよらぬ話を聞きました。

「本人が積極的に動かそうとしているなら制限しなくていいです。むしろ制限しない方がいいです。治ってきている証拠ですから。痛いときは本人も動かしたがりません。本能的にやらないんです。だから遊ばせてあげていいですよ。」

と。それから思い切って腕の動きを制限するのをやめてみました。すると確かに、右腕を上げたりはするけれど、危なそうになると自然と右腕をかばう動きをしたり、必要がないときは左手しか使わなかったり、体重をかけすぎないように調整したりするのです。「自分が怪我をしている」とはハッキリとは分かっていないと思います。でも「いつもとは違う」とは分かっていて、本能的にかばえるのだろうと思います。本当に人間ってすごい。

そしてこれも一つ、彼の「自立」の表れだと思いました。本能的にそういう動きを取ろうとできる、小さな彼の素晴らしい「自立」の一歩。

危ないからといって動きたがる彼の動きを制限したり、手を出しすぎたりする必要はないんだと思いました。むしろ、何をしたから転んだのか(失敗したのか)、じゃあそこからどうやったら立ち上がれるのか(立て直せるのか)のやり方を一緒に学ぶ方が大切なのかもしれないと思いました。

「自立」に向けて一歩ずつ

そしてこの件以外でも、おもちゃも遊び方は全然違うけど自分で触りたがるし、飲み物もこぼすけど自分で持って飲みたがるし、できないけど大人と同じように動きたがる。そんな彼の仕草一つ一つに、彼の「自立心」が垣間見える気がしました。

答えを教えたり未然に防ぐことで、彼は「失敗」しないかもしれないが、同時に「自立」もできないと気が付いたのです。これから先、いつも私がそばにいてあげられるわけではない。だから、彼ならできると彼を信じて、自分の力で自分の頭を使って、ちゃんと生きていけるようにサポートすることが私の務めではないかなと思っています。彼の「挑戦心」「自立心」をさらに育み、尊重したいです。

それが、いつか社会へ返す日(=自立)のためにできることなのかなと思う。

とはいえ、怪我をさせてしまったのは親である私の不注意なので、大変反省しつつ、社会から預かっているだけの息子の健康と成長を最大限繋いでいきたいと思います。