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幸せの瞬間なんてない、幸せはそこに流れてるだけ



私の幸せの絶頂はどんな瞬間だろうか?

真っ先に思いつくのは、パートナーといる時、ハグしてる時。

正直パートナーといる時が一番落ち着く
朝起きて、彼の寝顔を見られるのが幸せ

考えるだけで涙が出てくるくらい幸せな気持ちになる

ものが与えてくれえる一瞬の幸せよりも遥かに安定してる

ありがとう、一緒にいてくれてありがとうと思っていると
パートナーからそれを伝えてくれる

私はまたがんばれる

この人からもらっているものは(一緒にいて自分が感じているもの)

重要感
安心感
向上心


きっと彼もそう感じているのだと願う




私は幸せを与えることができているかな??

奪っているだけじゃないか、今そんなことを考えていた

うちでたまに家事してご飯作って一緒に食べて

共有できる時間は少ないけど、些細なケンカもするけど
我慢できなくてすぐに仲直りしちゃう
大体わたしが悪い



それから、友達と楽しいことしてる瞬間

楽しことってなんだろう?

笑ってる時
とにかく無我夢中で笑っている時

損得感情のない馬鹿やっている瞬間が楽しくて
ばかだなあ、愛おしいなあと思う瞬間

ああ、幸せ。出会えてよかったなあ。と思う。



それから

家族が幸せな時、笑っている時
家族に助けてもらった時
愛されてるなあと感じる視線

産んでくれて、育ててくれてありがとうと思える





あ、なんだか全部

「愛おしい」

そう感じる瞬間がジュワッと幸せを感じている気がする
今書いていて気がついた



いや、気がついていたけど、一つの言葉に完結されるような
単純な気持ちや感情でもない気がして定めたくなかったのかもしれない

そういう定義に入らないこと=幸せじゃない
という定義になってしまうことは納得できないし怖いから

きっと、幸せセンサーみたいなものがぶっ壊れている時って
この世界から消えたいと思っていたり
自分の存在価値も、生きている心地も、求める心も皆無。

そこには、重要感も安心感も向上心もない状態でカラカラの心しかない



愛おしいと感じるためには、それを感じる土台が必要で
そこにただただ幸せという曖昧なものが降り注いでいて
土台である自分がそれを愛おしいと感じられるかどうかな気がする



そう考えると、わたしの人生そのものが愛おしさに包まれて、溢れている

うーん・・・シュウマイくらい薄い皮に辛うじて包まれて、餃子くらい味が濃くて美味しくて、小龍包みたいに熱々の肉汁が溢れ出す

思わずニヤける みたいな瞬間がある 

それくらい曖昧な、これが「幸せ」なのだと確信していいものか
でも絶対に不幸とは言えない不思議な心が解放されていく様
その心の動き

「コレ」と言える物質的なことや、一時の感情的なことでもなく

まるでそこにあったものが流れるようにゆっくりと過ぎていく動作
それが流れている時に感じる気持ちがあまりにも愛おしくて時間軸がないので
一瞬のことのように感じてしまう


実はずっと流れているのだけれど
一生続かない感情だからこそ、ある時しっかりと感じることができる

ただし、鈍感、鈍い時間、鈍くなる環境、に自分がいる時はそういうゾーンなので
そういう曖昧な感情にはあまり気付けないかもしれない

「コレだ」と断言できないからこそ、目にはっきりと見えないからこそ
人と比べて幸せか幸せじゃないかを考えてしまう

他人にあって自分にないものがあるから私は幸せじゃないとか
あの環境にあってここにはあの環境がないから私はOOよりも幸せじゃないとか
恋人もいない私は恋人がいて子どもがいて家族がいるあの子より幸せじゃないとか


外ばかりを見て、他に与えられた時にしか感じなくなる

外にいる人やモノに「幸せの瞬間」を依存する

そうなるといよいよ、自分で幸せを作り出すのが難しくなっていく

ガチガチの心に、渇き続ける心に、幸せの雨が降り注いでも、蒸発していくだけだ




幸せの雨は循環させないといけない

きっと、雨自体は水という性質しか持っていない


でも水が豊かな土に染み込むと、根っこを通して地中深くへ
時間をかけて土や植物や微生物にミネラルや栄養を届けてくれて
それが新たな芽を育てるエネルギーとなる

葉っぱは太陽のおかげで光合成して酸素を生み出し
豊かな土に浄化されて川となり、蒸発した水が、
キレイな酸素と太陽によって空気として運ばれ
また次の土地に雨として降り注ぐ



☝️しあわせが雨だとしたら、こんなイメージ

全ての役わりが完璧に自分の仕事を全うしている

なんて愛おしい循環なのだろうと思う



幸せの雨は、いろんな形に変わって常に流れていくから留まることはない

もしかしたらしあわせの瞬間なんてものはないのかもしれない

幸せは人間で例えるなら血液みたいに常に流れていて、
怪我した時や、貧血の時、体調不良の時、体温が高い時、高血圧の時
とか一定量を越した時になんとなく存在がわかる

しあわせが流れているんだけれども、一定の密度を超えた時
それに気づける余裕がある時や強烈な感情をうけた時に
しあわせだと感じているだけなのかもしれない

今、こうしている時間も幸せの一部

今先ほど流した涙も幸せとは何かを考えて出てきたモノ
大丈夫、ちゃんと循環してる


そうやって、自分の幸せに気づける瞬間を毎日増やしていく


今日も自分の人生が愛おしいと思える

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