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カフェバーである「No.」が、「コレクション」をはじめた理由 【Collection Note Vol.1】

301の拠点である、カフェバーとクリエイティブオフィスが融合したスペース「No.(ナンバー)」は、これまでカフェバーで提供してきたメニューを刷新します。

「/RE DESIGNING THE BASICS(リ デザイニング ザ ベーシックス = ベーシックなものを見つめ直し、独自の視点を提案していく)」をコンセプトに、シェフやデザイナーなど業界を超えたコラボレーションで新たなプロジェクトチームを立ち上げ、共に開発したメニューを発表していくメニューシリーズ『No. COLLECTION』がスタート。

本マガジンでは、「SUMMER COLLECTION 2021」のメニューブックに掲載されている内容を順次公開していきます。初回は「No.」のオーナーである大谷へのインタビューです。

なぜ「コレクション」なのか?

―今回コレクションという形の取り組みをする理由は何ですか? 

ざっくり整理すると2つのポイントがあります。ひとつの視点は、No.の飲食チーム内で「自律連携の仕組み」を構築することです。No.はもともとが独立した個人のコレクティブとして機能することを目指してつくった場所ですが、実際やってみると、ただ各人が自由に動ける環境をつくるだけでは、その実現はなかなか難しいと感じていました。そこで、これまで各セクション (コーヒー、カクテル、フード) がそれぞれで独立してメニュー開発していたものを、No.全体としてのコンセプトを言語化・共有し、それを各セクションが自分たちで横串で連携しながら企画・開発・発信していく、というやり方に変えてみようと考えました。

もうひとつの視点は、「思考の言語化と知の蓄積」です。飲食店は基本的に一定のサイクルでメニューを更新していきますが、多くの個人店では、トップにいるシェフやバーテンダーのパーソナルな嗜好や感覚的判断によってメニューが具現化されていきます。つまり、どのようなインスピレーションから、どのような理論によって最終形へと結実していくのかという「プロセス」は一人の人間の頭の中にしかないため、それをチーム全体として次の企画・開発に対してフィードバックさせていくことが難しい。

―飲食店に限らず、小規模なチームやビジネスではよくある話ですね。

当初から、No.における飲食の働き方として「現場と外の仕事を行き来する」という理想を掲げていますが、2019年のオープン以来、そのテーマに対してはなかなか前進できていないというもどかしさがずっとありました。ビジョンはあれど、言うほど簡単にはいかない… 外部とのプロジェクトでは自分のアイディアを他者と適切に共有したり、そのために論理的に物事を考えていく思考力が求められます。しかしNo.の中では、良くも悪くも日々顔を合わせる仲間として”感覚的に”物事を進めることが「できてしまう」ので、そうした「力」を鍛錬せざるを得ない状況になりにくいし、チーム全体での知や思考が言語として蓄積されにくい。

この2つのテーマに取り組んでいくためのアイディアとして、コレクションというシステムの着想に至りました。

―つまり、今のNo.は「仮の姿」ということですか?

もちろんNo.が、朝から夜まで誰もが肩の力を抜いて自由に過ごせる場であり、質の高いドリンクや料理や人との会話を楽しむことができる場であるというのは、とても大切なことだと思います。しかし、そこをゴールにしてしまうと、No.という場としてチャレンジしたいことのひとつの側面に自分たちを閉じ込めてしまう。ここで仕事をしている仲間たちの多くは、既存の飲食業の働き方を超えていきたいという理想や志を持って関わっているので、目指すべきことを忘れてしまわないようにすることは大事だと思います。

特にNo.はカジュアルな場であることも大切にしているが故に、そこをつくる人間たちの姿勢や振る舞いは、高い目線や志が個々人の中に維持されていないと、気を抜けば楽な方向に流され、崩れてしまうという危うさも抱えていると感じています。

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「コレクション」に込められた意味

―「コレクション」という表現について。アパレルやアートなどの領域で使われる言葉だと思いますが、今回飲食の中でこの表現を使おうとした意図は何ですか?

日常性を大事にするNo.の思想からすれば、「作品」というイメージを想起させる「コレクション」という表現は、かなりナイーブなものであることは理解しています。飲食物は、あくまでも人々が口にするものであるし、しかもNo.は人々の日々の生活に寄り添う場でもあるので、つくる側のエゴイスティックな思いや事情なんて、来る人たちからしたら究極的には関係ない。

しかし、日常の中にある物事は、日常であるが故に、人々の意識の中に埋もれやすい。自分の身近にある多くの素晴らしい物事の尊さや可能性に対して、人はつい鈍感になってしまう。だからこそ、日々に寄り添い馴染む、シンプルでスタンダードなものを追求しながらも、それらに対する「新鮮な視点」を受け手個々人の心の中に立ち上がらせることができるように、あえてそれらが浮き立つような伝え方をする。相反するようにも聞こえますが、それらを両立させていくことが、「コレクション」という形でのプレゼンテーションの意図です。

実際、No.のオープン時から出しているフラットホワイトやコールドブリューなど、コーヒーにおいては当初からそうしたことがある程度実現できているとも思います。

― コレクションをやることが、具体的にはどのように最初に話していた2つのテーマに対する成果につながるのでしょう?

No.全体としては、「人々の生活の中で当たり前に存在しているものに、新たな視点と確かな技術を織り込むことで、それらに対する人々の見方や感じ方を更新していく」という基本的な考え方があります。当たり前だと思っていた物事が、ある出会いによって尊く意味深いものに変わってしまう瞬間を生み出していくということ。そういうことが、最もクリエイティブな行為であると考えています。

この大コンセプトをもとに、各セクションがそれぞれのメニューとして具現化していくのですが、その思考の過程を、毎シーズンしっかりと言語化してBOOKにまとめていく。感覚的なことも含めてできるかぎり言語化してストックしていく、言うなれば「知のアーカイブ」です。上手くいこうがいくまいが「言葉にして紙にしないと終わらない」という強制力があるので、飲食の中ではつい後回しにされてしまう論理化や言語化の部分をきっちり鍛えるということが、メニュー開発のプロセスの中に組み込まれています。

また、それらをトップダウンでやらないと宣言することで、各セクションのリーダーが自律的に連携しないと形にできない状況になる。メニュー開始のタイミングは決まってしまっているので、なんとか仮説を立てて、コミュニケーションして、悩んだり迷ったり失敗したりしながら、それでも動いていくしかない。この経験の積み重ねが、結果的にNo.の外の人や組織とプロジェクトを実行していく上で必要な「思考力」や「実行力」を鍛えることにつながる。全体でこうした力をつけていくことができると、そこに新しい形の飲食チーム像が見えてくるはず、と考えています。

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合理性の先にあるもの

―「思考を言語化する」という部分に関しては、こだわりがあるように感じました。

もともと自分が好きだったり、やりたいと感じている部分も、そのあたりにあるからかもしれません。一方で、このようなやり方はどちらかといえば「合理性」を前提として、極めてアメリカ的な解決法であるようにも思います。深いコンテクストの共有が難しく、かつ人の流動性が高いチームを上手く駆動させていく上ではとても重要かつ有効だと思いますし、アメリカは移民国家としての歴史の中でそうした合理性を磨き上げ、文化にまで昇華させてきた。グローバリゼーションと合理性は極めて相性がいいので、結果としてアメリカが世界を席巻するような構図になっているのが現在の状況だと思います。

しかし、飲食に限らずあらゆる物事には、感情の繊細なゆらぎ、身体性を伴うこと、圧倒的な反復の先に言語化できない感覚が立ち上がってくる体験など、どうしても合理化しきれない部分があります。日本らしさとして取り上げられる「型の文化」や、長い歴史を持つ国や地域に継承されている伝統文化や徒弟制度の中には、そうした非合理的なこともたくさんあり、そういうものの豊かさや尊さを排除してしまうのも違うと感じています。

人はどうしても「わかりやすいもの」を求めるため、世界全体としては「合理的なるものが正しい」ように振る舞う力学がはたらきがちですが、そうではないものの意味や価値についても、同じくらい議論していく必要があると思います。これらをどうバランスさせていくのかは、コレクションのさらに先にある大きなテーマのひとつかもしれません。


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記事の全文が載ったメニューブック
「No. SUMMER COLLECTION 2021 CONCEPT BOOK」は
No. の Stores から購入いただけます。

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