『実は私、拾われ子として育ちました』
西尾さんがリレーエッセイを始めてはるんですけど、残念ながら私にはアッと言わせる秘密も特技もなくて、ショボーン…
なんですが。
話すと、ちょっとビックリされることがあることを思い出したので、参加しまーす♪
わたくし実は「橋の下で拾われた子」として育てられていました、小学生までの間。実子なんですが「拾われた子」として育てられていたんです。
自分では、何の変哲もなく育ってしまったと思っていたんですが、大人になってけっこうな割合で聞かれるのが「どういう風に育てられたら、こんな風になるんだろね」って言われまして。
え? それ、どーゆー意味?
若かりし時ならばまだしも、年を重ねれば重ねる程、そう言われる機会が増えているようにも思います。
まぁ、それは、たぶん、まちがいなく、いつまで経っても成長していないのでしょう。
「子供がそのまま大人になった人」のわたくし、実年齢と精神年齢の差が年々広がり、そのギャップが如実を極めて受け入れがたいんでしょうね、周りにとっては。
と、心の中でブーイングを鳴らしながらも、この「拾われ子として育てられた話し」をすると、たいがい納得してもらえるので、ちょっとお話ししてみようと思います。
なんで納得してもらえるのか、今もって、本人にはわかってないんですけどね。
あ。最初にお断りしておきますが、めちゃめちゃいちびった不謹慎な話しですので、不謹慎極まりないのを冗談で受け流せる方のみお進み頂けたらと思います。
よろしいでしょうか?
それでは、始まり始まり〜
◇◇◇◇
私の子どもの頃って「拾われ子」が多かったんです。
ほんまに拾われた子なのかどうかは各ご家庭の知るところですが、そうやって育てられていた子がクラスにポロポロ居たんで、傷つくも何も「お前、どこの川?」みたいな会話がフツーに交わされていたんですよ。
関西特有のブラックユーモアなのかもしれませんね。
ここで特筆すべきは「捨て子」ではなく「拾われ子」であることなんです。「捨て子」と呼ばれると、とってもキリキリ胸が痛みますけど「拾われ子」だと、ちょっぴりあったかい。
そして、これは言うことを聞かない我が子の躾でよく使われていたようです。「そんなこと言う子は、うちの子じゃありません!」みたいな感じでね。
だから、叱られる時の常套句みたいに子どもたちは受け止めていたんで、当然わたしも、怒られる時だけ「拾われ子」だと思っていました。
駄菓子菓子、うちは違ったんですよ、ハハハハハ。
と、言いますのもある日。
その話しをすると、母上が大真面目に言うのです。
「あんたはな、ほんまに拾たんよ、淀川の橋の下で」(※便宜上、淀川にしておきます)
「え? なんで? ほんまなん?
でも、お兄ちゃんもいるもん、そんなん嘘やわ」
小学校低学年ながら、生きてきたすべての知恵を集結させ必死の応戦をしますが、いちびり母上の解説によると、兄上も同じく淀川の橋の下で拾ったのこと。うそぉ。
そんな上手い話しがありますかいなと思ったけれど、うちは、両親が結婚してから、なかなか赤ちゃんが授からなかったので、調子に乗った母上が、その実話にかぶせた巧妙なストーリーを展開し、私はまんまと丸め込まれます。
「お父さんとな『赤ちゃん授からへんなー、授かりますように』って話しながら淀川を散歩してたんよ。そしたらコウノトリさんが橋の下を見なさいって言うから見たら、アンタがおったんよ」
えええ!? コウノトリってほんまにいるん?
お話の中のコウノトリさんは嘴に赤ちゃんを咥えてくるけど、えらい、ズボラなコウノトリやな。橋の下に置いて指差すなんて。
それにしても、そんなん2人続けてうまいこといくかぁ?
と、思いながらも、コウノトリが橋の下に私たちを置いてから時間が経っていたんやったら、暑かったり、寒かったりせんかったんかな? お兄ちゃんは12月生まれで私は9月生まれ。大丈夫やったんかな? と心配が募り、現場の状況を確認すると、これまた母上がしゃぁしゃぁと
「大丈夫や。あったこうにちゃんと巻いてあったし、コウノトリに言われてすぐに行ったから」
それならよかった。
コウノトリの嘴から離れた時間が長かったのかどうかがすごく気になっていたので、すぐさま母上に抱っこされたと知ると、なんか知らんけどそこで安心してしまって、そのまま私は自分が拾われ子であると信じて、ほぼ小学生時代を過ごすことになります。
というのも。
小学生と言えど、クラスの他の子たちが実は拾われ子ではないと段々にわかってきますし、それなりに知恵もついてきます。
駄菓子菓子、わが母上は鉄壁のいちびりディフェンダーとして私の前に立ちはだかるのです。
「お母さん、もう通用せーへんで。ががちゃんは拾われ子とちがう」
と、何かの拍子でその話しなると鉄壁に挑むんですけど、敵も去るもの。勝手口から、みかんの箱か玉ねぎの箱か知らんけど、赤ん坊が入りそうな箱を持ってきて
「ほれ、見てみ。これ、ががちゃんが入ってたカゴやで。
大事なもんやからな、お母さんちゃーんと取ってあるのよ」
と、布陣を崩す気配を見せません。
そう言われると「大事にしてもらってるんやー」とコロっと騙され「生みの親より育ての親って言うでしょ。お母さんは、ががちゃんがウチに来てくれて、ほんまに幸せなんよ」と言われれば
「ふーん、お母さんに拾われてよかったなー」と、むしろこの家に拾われた幸運に感謝していました(アホやん)。
そんないちびり母上に第一の危機が訪れたのは、確か、私が小学2年か3年の時で、へその緒を持って来なさいという授業があったんですよ。
ちびちゃいながら、実子ではないからうちには無いよな、と思っていたので、遠慮がちに拾われ子ががちゃんは母上に聞きました。
すると、なんと、あるというのです! へその緒が!
「こんなこともあると思ってな、お母さん、ちゃーんと作ってあるんよ」
「え? へその緒って作れるん?!」
「メリケン粉でちゃちゃっとしたらスグにできます!」(※メリケン粉→小麦粉のこと)
ほんま、ええ加減にしいやって話しなんですけど、小学生のががちゃんに、いちびり母上の入念な裏工作が見破れるはずもなく
「手ぶらで行かずに済んだよ、助かったー!」
と、両手万歳で学校に行ったので、メリケン粉でもなんでもよかったし、大事そうに箱も用意してくれてあったしで、学校の先生を騙してしまったのは心が痛んでしまったけれど、これも母上のががちゃんを思ってのことだから先生ごめんね、って心の中でお詫びしながら楽しく授業を終えました。
さて、皆さん(浜村淳でお願いします)
これを上回る危機がありますでしょうか?
ありません。
そうです。へその緒のメリケン粉が確定した時点で、ががちゃん拾われ子説も確定です。裁判でも物的証拠が動かぬ証拠で御免なすって、ですからね。
その後は、ががちゃん自ら「他の人が、ががちゃんをもらいに来ても、あげんとってな」と、いちびり母上に何度となく念押しをし
「大丈夫や。ががちゃんは、もう、ちゃーんと籍にも入ってるからな、安心しいや」
と、学校の「席」くらいに思ってまったく理解していなかったけれど、へその緒以上に重要な手続きを母上がしてくれたんだとすっかり安心して、数年が過ぎました。
そして事件は起こった…
滅多に来ることがない母方の祖母。
ちゅまり、いちびり母上のママ上が我が家にやってきました、真打登場です。
こちらから遊びに行くことばかりで、祖母が出向いてくることなど殆どなかったので「おばーちゃんが来てくれたよ!」と、ががちゃんは、おおはしゃぎで一生懸命おもてなしをします。
「おばあちゃんは、お母さんと血ぃつながってるけど、おばあちゃんとががちゃんは繋がってないでしょ? でも、ががちゃんは幸せやから、心配せんとってね。生みの親より、育ての親やねんて!」
と、大きくなったところを見せようと張り切ってお話をはじめると、祖母がびっくりして、説明をはじめます。ががちゃんは、お母さんの子ぉなんよ。へその緒もあるでしょ、と。
「おばあちゃん、気ぃ使わんとってな。お兄ちゃんとも血ぃ繋がってないけど悲しくないから。へその緒は、お母さんがメリケン粉で作ってくれはってんよ」
と言うと、優しく穏やかな祖母の顔色がみるみる変わって、聞いたこともない大声で母上の名前を呼びました。
自分に人生最大の危機が迫っているとはつゆ知らずの母上は「なぁ〜に?」とサザエさんみたいな顔をして台所からやってきました。
「なんちゅ子や!あんた、言うてエエことと悪いことがあるでしょ!!」
ハハハハハ、めっちゃ怒られたはる。
ばーちゃんは真面目やったんや〜
◇おしまい◇
お読み頂きありがとうございました!
大丈夫でしたでしょうか?
別に面白い話しじゃなかったと思うんですけど、まぁ、自己紹介的な感じです。
それにしても、祖母の前で正座をさせられ、小さくなって頭を垂れる母上が、とってもとっても不思議で。
母親がその母親から怒られる図ってなかなか見られませんよね?
貴重やったわ〜
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