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マインドマップで歴史シリーズ①:京都の歴史
京都は日本の古き良き時代を現代でも堪能できる都市のひとつ。日本には数々の都市がありますが、京都はなかでも唯一「洛(都という意味)」という言葉で表現されています。
魅力は何と言っても日本文化の神髄とも言える「景観」と「文化財」に溢れていること。日本国内はもちろんのこと、海外からも高い人気を獲得しています。
この記事では京に都が置かれてから1200年余りの歴史をふりかえって行こうと思います。マインドマップでビジュアル化もしていますので、気になる方は是非チェックしてみてください。
京都の歴史
![京都の歴史](https://assets.st-note.com/img/1663143976352-sHcj74y3H1.jpg?width=800)
平安時代(794年~1192年頃)
平安時代の出来事は次のとおりです。
● ①:日本独自の文化となる「国風文化」が生まれる
奈良時代までは中国の文化を取り入れていましたが、平安時代に突入すると家屋・衣服・文芸・芸術などが日本独自の貴族文化にシフトします。いわゆる「国風文化」の誕生です。
● ②:初期は貴族が政権を握っていたが、末期には武士が台頭する
平安時代は序盤から貴族が政権を握っていました。しかし、末期になると武士が権力を握るようになり、台頭した平家と復権した源氏との間で政権争いが起きます。
鎌倉~室町時代(1185年~1573年頃)
鎌倉時代~室町時代の出来事は次のとおりです。
● ①:武士が幕府を樹立する
鎌倉時代は貴族に代わって台頭した武士が「幕府」を樹立することからはじまります。
● ②:政権は「朝廷」と「幕府」の二重政権
諸説はあるものの、鎌倉時代は「朝廷」と「幕府」による二重政権が併存していました。これは日本の中・近世史における重要な特徴のひとつです。
● ③:1336年に幕府が京都に移される
1336年(1368年という説もあり)、幕府の本拠地が鎌倉から京都に移されました。これにより「室町時代」に突入。「能楽」や「茶の湯」などの日本文化の振興も見られます。
● ④:1467年に「応仁の乱」が勃発
1467年には将軍の跡継ぎ争いによって「応仁の乱」が勃発。この影響によって京都は戦乱の渦の犠牲になり、見るも無残な姿となって荒廃します。
● ⑤:地方大名が台頭し戦国時代へ突入
幕府権威の失墜によって地方大名の台頭が見られるようになりました。これによって戦国時代へと突入していきます。
安土桃山~江戸時代(1568年~1868年頃)
安土桃山時代~江戸時代の出来事は次のとおりです。
● ①:地方大名の京都進出
幕府による統治を保守する大名や、富国強兵によって征服を試みる地方大名などが「上洛」を目指しました。当時の京都は「天下」と呼ばれ、戦国大名たちは天下人になることを胸に刻んでいたのです。
● ②:1603年、徳川家康が京都伏見で征夷大将軍に任命される
徳川家康が征夷大将軍になったことで、政権は京都から江戸へ移されます。これにより、江戸時代が始まります。
● ③:日本最大級の都市へと発展する
京都は幕府の直轄地として江戸や大坂に次ぐ大都市へと発展。文化および工芸の先進地として知れ渡りますが、幕府はその盛り上がりを警戒して参勤交代時に京都へ入ることを禁じていました。
幕末~現在(1853年頃~)
江戸幕府が終焉を迎える幕末の京都は、近代へと移行していく動乱の舞台でした。各地では時代を大きく動かす様々な事件が起こります。
● ①:幕府にとって代わろうとする存在の続出
幕末は外国勢力の侵略を防ごうと「攘夷」という思想が生まれます。この思想が発端となり、幕府にとって代わろうとする藩や人物が続出しました。
● ②:新勢力と新選組の衝突
攘夷勢力は京都に集結し、武力行使の政治運動が熱をおびていきます。幕府は彼らを対策すべく治安維持部隊として「新撰組」を設けます。こうして幕末の京都は激しさを増していくのです。
● ③:1863年、池田谷事件が起こる
1863年、新選組は尊王攘夷派を旅館「池田屋」にて殺害・拿捕することに成功。これが発端となり、幕府と長州藩は戦闘状態になります。
● ④:1867年、坂本龍馬らの働きかけにより「大政奉還」
幕末の日本は欧米列強に対抗すべく、坂本龍馬・後藤象二郎らの働きかけにより「大政奉還」が起こります。当時の将軍・徳川慶喜は提案を受け入れ、1867年京都の二条城にて朝廷に政権が返上されました。
● ⑤:京都の近代化
京都は東京奠都によって人と建物が流出してしまいます。しかし、京都の市民たちは諦めることなく復興を目指し、徐々に拡大していきました。なかでも有名なのは西洋の技術を取り入れた施設を置いた「京都策」です。
京都に関するトリビア
![京都の歴史に関するトリビア](https://assets.st-note.com/img/1663143995535-jSL3kNxIGs.png?width=800)
京都に関するトリビアは次のとおりです。
● ゲーム会社の大手「任天堂」は、1889 年に京都でトランプや花札などの玩具の製造から事業を開始している
● 京都にはおよそ 1,000 の仏教寺院と 400 の神社の宗教的建造物がある
● 京の都は中国の風水に基づいて置かれた
● 銀閣寺は当時、銀箔ではなく漆が塗られていた
● 「おいでやす」は主に一見さんに使う言葉で「おこしやす」は心待ちにしていたときに使う言葉
● 京都は太平洋戦争にて空襲を受けなったと噂されているが、実際は合計6回も空襲を受けている
● 臨済宗の寺には「五山十刹」という格付けがあり、別格とされるのが「南禅寺」次いで1位は「天龍寺」2位は「相国寺」3位は「建仁寺」となっている
まとめ
京都は「千年の都」と称えられる世界的に注目される都市。およそ1,100年が経過した現在でも、当時の面影と日本の古き良き姿を残し続けています
かつて日本の政治と文化の中心地だった都市は色あせません。私たちに様々な情報を伝え続けています。
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