見出し画像

短編小説:吊り橋効果

恋人は運転が荒い。
急カーブの多い山道でもそこそこのスピードで進んでしまう。何よりも怖いのは、そんな恋人が「怖い!」とか「なんか後ろ煽ってくる!」とか喚きながら運転していることだ。怖いならスピードを落とせば良い。煽ってる、煽ってると喚いているが、後ろの車はきちんと車間を空けてくれている。
「だからカーブ少ない道もあるよって言ったやん」
「だってこの道しか知らんし」
「ちゃんと案内するのに…。それか、運転変わろうか?」
「やだ」
まったく。困ったものだ。

僕と恋人がなぜこんな山道をドライブしているのか。それは、2時間ほど前に遡る。

日曜日の午後、僕はゲームをして、恋人は寝転んで恋愛ドラマの見逃し配信を見ていた。よくある、ゆったりした時間。ドラマを見終わった恋人はごろごろしながら「あー、私もドキドキしたいな」と呟いた。
同棲をうだうだ続けて約2年、交際期間はもっと長い。確かに付き合いたてのドキドキはないが、そんなこと言われても…、と思っていると、
「そうだ!吊り橋行くか!」
と言って、彼女は勢いよく起き上がった。

…で、今に至る。
県内には観光地としても有名な大きな吊り橋があり、そこに恋人の運転で向かうことになった。運転がそれほど上手くないのはわかっているので、最初は僕が運転しようと交渉したのだが、
「道わかるから大丈夫!」
とあっさり断られてしまった。
吊り橋までのルートは、カーブの多い山道と、比較的カーブの少ない道がある。彼女は山道の方しか知らないようだった。別の道で行こうよ、と提案したけれど、一言「大丈夫!」と返されてしまった。
結果、全然大丈夫じゃない。

怖い、カーブ多い、対向車が嫌だ、とさんざん喚きながら2時間かけてようやく目的地の大吊り橋に着く。
「あー、疲れた!帰りは運転頼むわ」
「はいはい」
疲れきった彼女から、キーを受けとる。
「あれ、ここ17時までなんや。今何時?」
案内板を見た彼女は驚いたように言った。知らなかった。勢いで、何も調べずに来てしまっていた。あわてて腕時計を確認する。
「えーと、もう16時過ぎてた!」
「よかったー、ギリギリセーフ!」
焦ったー、と彼女は笑う。
僕らはあまり計画性がない。旅行でも何でも、行き当たりばったりが多い。何度かちゃんと予定を立てて出掛けようとしたけれど、気になるものがあるとそっちに行ってしまうので上手くいかなかった。だから行ってみたら目的地は閉まってる、みたいなことは珍しくない。
「早く行こう!吊り橋効果!」
恋人ははしゃいだ様子で走り出す。走るなよー、なんて言いながら、僕もついていく。

「…あんまり怖くないね」
「…あんまり揺れないね」
今日は風が強いし、「吊り橋」というからもっとすごいのかと思ったけれど、案外そうでもない。
「今日は揺れん方やね。揺れるときはもっとすごいんやけど」
吊り橋の途中に立っている警備員さんも、苦笑いだ。吊り橋といってもわりと作りが頑丈なので、簡単には揺れないのかもしれない。
「あ、谷底が見えるスポットだって!」
吊り橋の中ほど、地面が金網になっており、下がよく見える場所がある。確かに、谷底がはっきりと見えた。
でも…、
「全然怖くないんよな」
そもそも僕らは高いところが平気だということを忘れていた。吊り橋は少しも怖くないし、ドキドキしない。

途中で写真を撮ったりしながら、のんびり橋を往復して戻ってくると、もう17時前になっていた。閉店直前の売店に飛び込み、まんじゅうみたいなお菓子とソフトクリームを買う。ブルーベリーとミルクのミックス。甘酸っぱくて美味しい。
「全然ドキドキせんかったな」
彼女は悔しそうだ。
「つまんなかった?」
「いや、楽しかった。ソフトクリーム美味しいし」
僕の面倒くさい質問に、ソフトクリームを頬張りながら彼女は答える。
昔みたいにドキドキすることはないけれど、楽しい。僕はこれも幸せだと思っている。彼女はどうだろう。聞いてみようかな、と思ったけれど、それは違うような気がしてやめた。
「蕎麦でも食って帰るか」
かわりにそう提案して立ち上がる。
「そうしよ。運転、よろしく!」
任せとけ、と僕は笑う。

帰りは、カーブの少ない別ルート。
「この道、行きと同じ?」
と、きょろきょろしながら彼女が尋ねる。
「違うよ」
「違うよね!全然カーブないやん」
「だから言ったやん、僕カーブ少ない道わかるって」
「言ってたなあ…。私、こんな道知らんかった」
「次は行きもこっち通ろうな」
そうするわ、と彼女は不満げに答える。
「てかさ、全然店空いてなくない?」
そうなのだ。さっきから晩ごはんにと飲食店を探しているのだが、近くはほとんど閉まっている。
「なんかどっこも17時で閉まってるっぽい」
「観光地ってそんなもん?今度はちゃんと調べんとな」
出掛けるたびに、彼女は同じことを言っている気がする。
「そうやな、ちゃんと計画立てんとなあ」
僕も、いつも同じことを言っている気がする。
「吊り橋もドキドキせんかったな。吊り橋効果期待したんに。行きの車の方がドキドキしたわ」
「それは僕もやな。あれがいちばん怖かった。たぶん吊り橋効果のドキドキとは違うやつやと思うけど」
今度は行きも運転頼むわ、と彼女は言う。是非そうさせてもらう、と僕は答える。

結局、吊り橋の近くに開いている飲食店はなかった。もう少し町に出て、チェーン店でも見つけたら入ろう、ということにした。
「めっちゃ良い感じのとこやったしさ、今度は朝から行こ」
「そうやな、次はゆっくりしよう」
ほんっと、私たち計画性ないよなー、と彼女は笑いながら言う。本当に計画性がない。旅行に関しても、他のことに関しても。
いろいろと計画を立てていかないといけないことがあるなあ、とふと思った。うだうだ交際を続けて、それはそれで楽しいけれど。彼女ともいろいろ話をしなくちゃ。
「ちゃんと計画、立てていかんとね」
「そうね、次遊ぶときは」
「遊ぶだけじゃなくてさ」
思わず、真面目な声で言ってしまった。今話すつもりではなかったのに。自分で自分に驚いてしまう。
「遊ぶだけじゃなく、って?」
「え、その…、将来の、こととか…」
彼女が黙っているので、
「あ、その、良い意味で!良い方向に!」
と訳のわからないことを付け足してしまった。なんだ、この情けない状況は。そんな僕の様子に、彼女はぷっと吹き出す。
「なになに、急にどしたん?」
彼女は笑いながら尋ねてくる。

「いや…、いろいろ考えていかんとな、って思って…」
「吊り橋行って思ったん?吊り橋効果?」
「茶化すなよ」
「ごめんごめん」
運転しているので彼女の顔は見えないけれど、たぶん、笑っている。
勢いでこんなことを言ってしまって、やっぱり僕は計画性がない。ちゃんと計画を立てないと、と何度したかわからない反省をする。

「計画、立てないとね」 
少し経ってから聞こえた彼女の声は、弾んでいる気がした。信号待ちのときにこっそり目を向ける。マスクで口元はわからないが、目元が笑っている、気がする。

顔を真っ赤にしている僕と、何も言わないけれど、笑っているであろう恋人。
今、ドキドキしている。僕も、たぶん恋人も。

きっと吊り橋のせいだ。

これは吊り橋効果だ、と思うことにした。






※実在の場所をモデルにしていますが、フィクションです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?