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短編小説:若い未亡人

 朝倉千晶あさくらちあきは、ろくでもない人生を歩んでいる。
 中学三年生まではよかった。千晶は何の取り柄も無い人間だったが、勉強はそれなりにできた。田舎の小さな中学校で成績上位に入るのはそれほど難しいことでもない。それなりに授業を聞いて、それなりに復習をしておけばよかった。
 そして、それなりの勉強で一目おかれていたのである。

 千晶の人生が狂い始めたのは、背伸びして受験した私立高校の特別進学クラスに合格してしまった頃からだ。
 受かるはずがなかった。運良く普通の進学クラスに入れたら良いや、と思っていたのに、何の間違いか、神のいたずらか、受かってしまった。そして、学費全額免除、という六文字に惹かれて入学してしまった。
 偶然受かっただけの、たいして勉強もしていない、向上心もない田舎の女子生徒がその後どうなったかは言うまでもない。
 ハイレベルな授業についていくのがやっとで、部活もせず、青春など夢のまた夢。クラスの成績はいつも下から数えた方がずいぶんと早かった。

 千晶を苦しめたのは勉強だけではない。
 入学したばかりのときは、自分と同じような勉強だけが取り柄の地味人間がいっぱいいて(千晶は勉強すらも取り柄ではなかったのだが)、友だちもいくらかはできるだろうと思っていた。しかし、現実はそう甘くない。
 クラスにいたのは、運動部のレギュラー、ピアノのコンクールで賞を総なめにしている人、大企業関係者の家族、そして、美男美女。世の中、持っている人は全部持っているのだ。
 千晶のように何の取り柄もなく、成績もいまいちという人間は少数派だった。

 おとぎ話では、顔が良かったり、金持ちだったりする人はきまって性格が悪いように描かれる。それは、作り話。実際、美男美女も金持ちも、豊かな優しさに囲まれて育った人たちの性格は恐ろしいほど良い。
 とても美しくて、他クラスにファンクラブがあるような成績上位の女の子がなんの嫌みもなく「千晶ちゃん、今度のお休みの日に遊びましょう」と誘ってくるのである。
 もちろん千晶に、その誘いを受け入れるような心の余裕はない。美人と金持ちの言葉にはすべて裏があると思い込んでいたからだ。
 結果、差し伸べられた手をすべて振り払ってきた千晶はただの地味な女子高生ではなく、地味で孤独な女子高生になってしまった。

 人間というのは厄介なことに、こういう状況になるとプライドだけはむくむくと育ってくるのである。
 成績の悪い千晶は、二年生まではなんとか踏みとどまったものの、三年生では特別進学クラスに残れず普通のクラスに落とされた。
 一年ぶんとはいえ、私立の学費は高い。
 普通クラス行きが決定した時点で、千晶は両親から「大学は国公立のみ」宣言をされてしまった。世の中、低収入か高収入かで分けたとき、おそらく低収入に入るであろう家庭の朝倉家では致し方ない。
 三年生でも成績は上がらず、千晶は「私立の進学校出身である」という中途半端なプライドを抱えたまま県外の公立大学に進学した。

 そこで心機一転、頑張ろうとは思っていたのだ。お洒落だって、高校ではできなかった青春だって。
 しかし、千晶の中途半端なプライドが度々「私はこいつらとは違う」と囁きかけてきた。私立のハイスペック同級生と接してきた千晶には、どうしても大学の同期が下品に思えてしまったのだ。環境が変わっただけで、千晶は何にも変わっていないというのに。
 そして、メイクは濃いがさほど美人でもない、やたらと大声で手を叩きながら笑う頭もアレもユルそうな同期の女から「朝倉さんって、もっとお洒落したら絶対かわいいよ」と、つまりは「現段階では芋っぽい」という意味の発言をされてから、千晶はすっかり心を閉ざしてしまった。
 千晶は大学にまったく馴染めず、かといって陰口を叩かれるほどの存在感もないまま四年間を過ごした。

 薄い大学生活を過ごした千晶が就職活動を上手にこなせるわけもなく、数えきれないお祈りメールを受け取った後、地元の聞いたこともない小さな会社の事務職に就職した。
 千晶に芋宣言をした女やその取り巻きのユルユル女たちは公務員だったり有名企業だったり、カタイところへ就職が決まっていたのは、甚だ奇妙な話である。

 もう想像通りだろうが、職場でも千晶はうまくいかなかった。彼女のプライドと要領の悪さが原因なのはもちろんのことだが、出身大学や仕事ぶりよりも出身高校におもきを置く、という田舎特有の悪しき習慣が千晶の邪魔をした。「朝倉はあの立派な高校を出ているわりにはあんまり仕事ができない」「やっぱりあの高校は勉強だけらしい」「勉強だけさせてもやっぱり意味がない」等々、さんざんに影口を叩かれた。
 千晶の方でも、「なんで私みたいな人間がこんな場所で働いているのだ」と、自分のやる気のなさや努力不足は棚に上げて悶々としていた。

 千晶が赤城裕江あかぎひろえと名乗る未亡人に出会ったのは、その頃である。
 町のはずれにある小さな喫茶店を営む、千晶の予想では六十代~七十代くらいの女性だった。若いころに夫を亡くしたようだが、それもあってかミステリアスで美しい人だと千晶は感じていた。すっかりひねくれていた千晶も不思議と心を開いており、よく喫茶店に訪れてはカウンター席に座りいつまでも愚痴を言っていた。
「もう、私の人生なんて全然だめですよ。ろくなもんじゃない」
「そんなことないでしょう」
「いやいや、私の存在価値なんてどこにもないです」
「そんな悲しいこと言わないの。まだあなたは若いんだから。その大事な若さを持て余してちゃだめよ」
「若さ、ってねえ。私の若さ、裕江さんにあげたいくらいですよ」
 千晶はしょっちゅう、そう話していた。


 というのがざっと、二十四年で幕を閉じた朝倉千晶のろくでもない人生である。まだ巻き返せたと思うのだが、結局いつまでも改善しようと動かなかったのが残念だ。
 そして、あんなにひねくれて美人と金持ちには疑いの目を向け続けていた千晶が、赤城裕江にかんしてはやたらと信用してなついていたのが不思議である。赤城裕江こそ疑うべきである。そもそも、赤城裕江という名前は本名ではないのだ。
 と、私は目の前に転がる朝倉千晶の骨を眺めながら考えた。

 あんなに疑い深いのに、私の「赤城裕江」という偽名はすんなり信じているのだから、やはり要領が悪く詰めの甘い人間なんだろう。
 ま、爪は全然甘くないんだけど…、と、私は彼女の人差し指を噛みながら考え、ひとり笑った。

 この人差し指を飲み込んでしまえば終わりだ。
 骨は残っているのだけれど、骨の髄まで腐っている彼女の性格のせいか、そういうものなのか、骨は不味くて食えたものではなかった。仕方ないのでどこかで適当に処分しよう。
 
 私は朝倉千晶が持て余していた若さをすべて食い尽くした気持ちで立ち上がった。すがすがしい。若さを取り入れるには、物理的に若さを取り込んでいくのがいちばんだ。実際、千晶は私に「若さをあげたい」と言っていたのだから問題もなかろう。
 骨の片付け方が思いつかない。
 とりあえず黒いビニール袋に突っ込んで、私は仕事に向かった。


「あれ、裕江さん、また若返りました?」
 豆を挽いていると、店に入ってきた常連の男が言った。
 嬉しい。
 この瞬間がいちばん嬉しくて、味わいたくて、私は若さを持て余す女を探しているのだ。
「あら、そんなことないわ」
「いやー、急に綺麗になりましたよ」
「なによ、お上手ね」
 彼には焼き菓子をサービスしよう。

「そういえば、最近あの子を見かけませんね」
「あの子?」
「よくこの店に来ていたでしょう。ちょっと地味な、若い女の子」
「ああ、あの子ね」
「どうしちゃったんでしょうね」
「さあ?」

 カランコロン、と音がして、ドアが開いた。見慣れない、若い女性が立っている。
「あの、ひとりなんですけど…」
「お好きな席に、どうぞ」
 おずおずと彼女は、カウンター席の端に座った。
「ようこそ」
 私は心からの笑みを浮かべて、彼女に声をかけた。





※フィクションです。
 どうしてもこの話が書きたくて、でも全然進まなくて、更新がストップしておりました。


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