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「スポーツ」が人に与える力と「ブルーインパルス」の人に与える力は似ている

こんにちは。佐藤奨(さとうつとむ)です。

本日、東京都の上空に、航空自衛隊による「ブルーインパルス」の飛行が行われた。

医療従事者に感謝と敬意の気持ちを示すことを目的とした飛行であるが、東京近郊に住む方々を中心に、Twitterでは数万件以上の書き込みが起こり、「ブルーインパルス」の関連ワードがトレンドの上位を独占するなどして、多くの反響を感じ取ることが出来た。

私が、この様子を見て感じていたことを記事にしたいと思う。

「スポーツ」と「ブルーインパルス」が人に与える力は似ている

「スポーツ」が人に与えられる力と「ブルーインパルス」の与えられる力は、とても似てるなぁ。と、ふと飛行機が飛んでいる”空”とか、この”タイムライン”とか”ライブ中継”を見ながら思っていた。

そして、やはり、スポーツのない日々は、どこか寂しい。そして、スポーツを再開できる日を心待ちにしている。

今回のテーマ、「スポーツ」と「ブルーインパルス」、この両者が似ているとはどういうことか。

飛行機が綺麗に”隊列飛行”をしているだけでなぜ感動?

今回の「ブルーインパルス」は、言ってみれば、ただ飛行機が綺麗に”隊列飛行”をしていただけ。それでも、そこに人の「情処」が乗っかり、感動を与える。私も感動した。それとスポーツの、何が似ているかといえば、ボール遊び、競争、そうした”コト”や”ゲーム”に、人は魅せられる。

人が、速さを求めて”走る”、”泳ぐ”、”遠くに物を飛ばす”ような陸上。ボールを枠の中に入れることを競う球技。相手を倒す格闘技。それを行うこと自体に、何の価値があるのか?という問いかけもあるかもしれないが、それを行う側も観る側も、その行為から「意味」や「意義」を見出す。感動する。スポーツは、情処に”価値”を与えるのだ。

スポーツの語源はラテン語の『デポルターレ』で気晴らし

スポーツの語源はラテン語の『deportare(デポルターレ)』で、意味は、気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶ、である。 つまり「スポーツ」は元々「競技」のことを指すのではなく、気晴らし、休養、楽しむ、遊ぶことを指している。

そうした、気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶ。ということを行なっている人の「行為」に対して、人は何かを感じ取り、感動する。それをやる側だけでなく、観る側が「意味」や「意義」を見出し、感動するのだ。

スポーツに例えるならば、そこで行われている”行為”が、見る側の頭の中で意味あることに切り替わる。

それを、”行為”と”感じ方”のそれぞれ分けた例を、もう少し詳しく掘り下げてみる。

高校野球
行為 → 高校生の野球選手が試合をする
感じ方 → 高校野球の少年たちの、一生懸命なプレーに感動する。

マラソン
行為 → 42.195kmで1番早く走ることを選手たちた争う
感じ方 → 負けじとデットヒートを繰り返しながらゴールを目指すマラソンランナーに感動する。

ボクシング
行為 → 相手を倒すために3分12Rで戦う2人
感じ方 → 打たれても倒されず耐え続けるボクサーに感動する。

サッカー

行為 → ボールをどちらがたくさん枠に入るか11人同士で45分前後半で争う
感じ方 → 耐え凌ぐ時間を乗り越えて、ゴールを決めたサッカー選手に感動する。

※ここにあげた”感じ方”は人それぞれであり一例である

ブルーインパルスが隊列飛行
行為 → 飛行機が綺麗に”隊列飛行”をした
感じ方 → 医療従事者に感謝と敬意の気持ちを感じる。1964の東京五輪を思い出す。青空に綺麗な等間隔で飛ぶ飛行機に、パイロットたちの技術を感じる。みんなで一緒に上を向き(コロナを乗り越え)この様子を感じられたことに感動する。
(...この感じ方は、人それぞれだが、一例として捉えてもらえたら)

これが、私が、今日の「ブルーインパルス」の飛んでいる様子を見て”感動した人たち”に起きたことと「スポーツ」が似ているのではないかと思う理由である。

人に感動を与えられる何かを創出したい

「ブルーインパルス」の今日の飛行は、医療従事者に感謝と敬意の気持ちを示すことを目的とした飛行であるが、私の心の内側は、医療従事者にエールの気持ちを持ちつつ、こうして人に感動を与えられる何かを、創出したいという熱がふつふつと湧いてきた。

今は、コロナの影響により、これまでと同じように、スタジアムやアリーナにて大勢の観客を集めてスポーツを行うことが出来ないが、この状況の中で何ができるのか。再開できるようになったとき、自分は何を提供できるのか。動きながら(生き耐えながら..)考えていきたいと思う。

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