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「ファン」ならオープンな場所で叩いても良いのか?

こんにちは。佐藤奨(さとうつとむ)です。

ふとTwitterに投稿したことが拡散されたので、本日はその件について掘り下げて書いてみる。

熱心な「ファン」がオープンな場所で叩く

特定の「競技」の普及を考えるとき、必ず起こることは、熱量がある人が、内側をオープンな場で叩き始めること。それをするのは「古参のファン」などだが、ここをもっとこうすべき、と、オープンなところで叩くのだ。あらゆる競技でそれが起こる。もしその指摘が正しくとも、初級者に与える印象は良くない。

オープンなところとは、ネットの掲示板、SNS、現地でのクレームを言う行為などで、誰でも目に触れられる場所で行われることである。

指摘が的を射て正しいときもある

「古参のファン」は、それを愛するが故に行っていることで「完全な善意」で、オープンな場で叩いているのだ。そして指摘が的を射て正しいときもある。でも、この状態は、好きになる前に、お試しでご飯に行ってみたら、文句を言われまくった。もうその人と、付き合いたくないっしょ?競技もそれと同じ。

ここで言う「内側をオープンな場で叩き始める」とは、協会はここがイケてない、だとか、大会運営のここがダメだ、とか、選手の行為だとか、発信が足りてないとかの「ダメ出し」のことだ。熱量の差は、それを運営する「当事者」も古参のファンと同じかそれ以上にあるはず。何故できないかの想像も大切。

叩くなという意味ではなく、その行為で自滅する

補足だが、間違ったことをオープンな場で叩くなという意味ではない。これは、フワっとした指摘で、初級者が、ちょっと触れた競技で、古参のファンが思いっきり叩くところに出くわしちゃうと、そこで好きになる気持ちが削がれちゃう初級者も、一定数いるだろうという意味合いだ。

そういう雰囲気でも行きたい人たちの居場所となり、コアジャンルから抜け出せないジレンマが起こってしまっているとも考えられる。なのに、コアなファンが、その競技をもっと普及をした方がいいとも考えているケースもあり、その点は矛盾を感じざるを得ない。

初級者を萎縮させてはいないか?

熱心なファンであるがゆえ、その愛とか正義感で、その運営側や対象を叩いている。でも、その行為をオープンな場所ですることによって、初級者を萎縮させてはいないだろうか?

その競技の普及が大事。競技人口を減らさないように(増えるように)という思いがある”にも関わらず”、初級のファンたちの居心地を、古参のファンの、その熱量で奪ってしまう可能性があるのだ。無意識だから怖いのだ。

前述したが、その叩くことが、思い通りにいかないことで、何故できないかの想像も大切なのだ。熱心なあまり叩くことで終わらせるのではなく、どうしてそれが起こっているのか。できない理由についても想像力を働かせ背景を探っていくことで、もっと建設的に良い方向に導くことができるのではないだろうか。

それも、オープンな場所ではない方法で、何かできないのか。水面下で伝えるのか。それとも、運営の足りない部分を自分で補うのか。できることはないのか。運営側としては、ファンの声は大切なのは間違いないことであるが、あまりに激しく叩かれたら、初級者だけでなく、運営側も萎縮する。

そもそも、その「指摘」は初級者が求めているものか?

コアなファンが指摘をしたいことは、そもそも初級者が求めているものであるか?という視点も必要だ。なぜなら、熱心なファンほど、要求が高くなる傾向にある。

それが、初級者にとって、気づいていない指摘、求めていない指摘だった場合、外野としてその熱心なファンが要求する光景を目の当たりにした場合、「ややこしい場所にきたな」と思わせてしまう可能性すらある。

熱意に任せて行う行為でジャンルが自滅する

繰り返すが、叩くなという意味ではなく、その熱意に任せて行う行為(歯止めをかけないで行う行為)で、無意識に、そのジャンルが自滅する可能性があるのだ。本当のファンならば、それでも良いのだろうか。

ここで、改めて問いたい。

「ファン」ならオープンな場所で、その対象を叩いても良いのだろうか?

著者のTwitter

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